朝拝(主の祈り講解4) 2005/07/31
『御国が来ますように』

IIテモテ4:1-2

この朝は、主の祈りの第二の願いである「御国を来たらせたまえ」という祈りを通して、
主イエス・キリストの御国とその御支配とを待望する私たちの姿勢について学んでおきたいと思います。

(1)神の国を待つ祈り
「御国が来ますように」という祈りは、私たちに私たちのうちにあるものではなく、私たちの外から来るものを待ち望ませる祈りです。そして私たちが私たちの外から来るものを待ち望むと言うことは、そこに、私たち自身の困窮した現実があることをも意味しています。宗教改革者ルターは、大教理問答の祈りについての教えの中で次のように語りました。「真の祈りのあるべきところには、真剣味がなければならない。自分の悩み、しかも私たちを圧迫し、駆り立てて、呼ばわり、叫ばしめるような、そうした悩みを感じることがなければならない。こうしてこそはじめて、祈りは本来あるべき通りに自ずから発せられるのである。・・・それゆえに主の祈りは、私たちがその中からこうした悩みを思い起こし、熟慮し、心にとどめて、祈りを怠らないようにするためにも役立つべきものである」。 このように私たちが神の御国の到来を願い求めるのは、この地上の悩み苦しみに対して、それに真の救いと解決をもたらすことができるのは、地上のものによってではなく、ただひたすら上からものによっているからなのです。ルターは私たちの御言葉の生活、信仰の営みにとって必要なのは「祈り」(オラティオ)、「黙想」(メディタティオ)、そして「試練」(テンタティオ)であると言いましたが、まさしく試練の中で主の御国を求めることを通して、私たちは主の御力に与ることができるのです。

(2)神の国とは
 御国、天の御国、神の国とは新約聖書の中心であり、また何よりも主イエスの福音宣教における中心的なメッセージでありました。主イエスは宣教の御生涯を「悔い改めなさい。神の国が近づいたから」という宣言をもって開始され、町々、村々を巡りながら御国の福音を宣べ伝えられました。そしてその宣教において神の国の到来と、その成就、完成の希望を指し示されたのです。神の国、それは神の支配と統治の及ぶところであり、また主イエス・キリストの臨在のあるところです。そしてそれは主イエス・キリストの来臨によって開始され、その十字架と復活をもって実現し、さらには再び主イエス・キリストが来たりたもう終わりの時に、天地万物の回復と完成、そしてその更新をもって全うされるのです。神がともにおられる所、それが天の御国である。そうであるならばすでに主イエス・キリストの来臨によって神の国は始まっています。今この時も神の国は私たちのうちに実現しているのとさえ言えるのです。十字架にかかり、よみがえらえ、天に挙げられた主イエス・キリストは、今の時代、御霊と御言葉によって私たちを治められることによって、神の国を私たちにもたらしていて下さるのです。しかし同時にそれはいまだ来ていない希望でもあります。神の国の御支配ということを考える時、私たちは「すでに」と「いまだ」との両面を見つめなければなりません。私たちは主イエスにおいて「すでに」来ている天国の中に生きつつ、しかもなお「いまだ」来ていない天国を待ち望んで「御国を来たらせたまえ」と祈り続けるのです。
 では私たちの待ち望む天国、やがて私たちが迎え入れられる天国において与えられる恵みはどのようなものでしょうか。黙示録は神とともにある天国の慰めに満ちた姿を次のように記しました。「神ご自身が彼らとともにおられて、彼らの目の涙をすっかりぬぐい取ってくださる。もはや死もなく、悲しみ、叫び、苦しみもない。なぜなら、以前のものが、もはや過ぎ去ったからである」。やがて完成する天国。それは罪の解決の与えられた場所であり、従って罪に起因する人間の悲惨や呪い、罪のさばきとしての死とそれに起因するあらゆる悲しみ、悩み、苦しみのない所です。私たちは今すでに天国に生きつつ、しかしなお罪との戦いの中にあってあらゆる悲しみや苦しみの中に生きていますが、しかしやがて天国が全きものとして与えられる時には、もはやそのような一切のものから解放されて私たちは本当の喜び、幸せ、慰めの中に生きることができるのです。その最大の理由は死の問題が解決されているということです。

(3)神の国と福音宣教
主イエスは私たちに「御国が来るように」と祈ることを教えられました。神の国は私たちのもとに来るのであり、またある意味でそれは私たちをして御国を来たらせることでもあるのです。使徒パウロは愛する弟子テモテに向かって語ります。「神の御前で、また、生きている人と死んだ人とをさばかれるキリスト・イエスの御前で、その現れとその御国とを思って、私はおごそかに命じます。みことばを宣べ伝えなさい。時が良くても悪くてもしっかりやりなさい」。御国を思いつつ福音宣教に励めとの勧め。これは何よりも主イエスが弟子たちに教えられたことでもありました。全世界に福音が宣べ伝えられ、そして終わりが来るのです。この終末の待望と福音宣教への熱心はいつの時代にも堅く結びついていましたし、宗教改革者たちの確信もここにありました。ルターは言います。「御父よ。どうぞ福音が正しく全世界に宣べ伝えられますように。まず第一にあなたの御言葉をお与え下さい。第二に御言葉が信仰によって受け入れられ、私たちの内に生きて働き、こうしてあなたの御国が御言葉と聖霊の力を通して、私たちの間に行き渡り、悪魔の国が打ち破られて、悪魔が権力と暴力とを私たちの上に奮わず、最後に悪魔の国が完全に破壊されて、罪も死も地獄もいっさいが根絶され、私たちが全き義と祝福の内に永遠に住み得ますようにしてくださることを祈ります」。またカルヴァンもジュネーヴ教会信仰問答269問で次のように言います。「問:どうして、御国を来たらせたまえと祈るのですか。答:それは主が一日一日と信徒の数を増し加えてくださるように、また彼らの上にその恵みを日ごとに増大させて充ち満ちるまでにしてくださるように。また神の真理をますます明らかに示してくださるように。神の義を表し、その義によってサタンとその国の諸々の暗闇が砕かれ、また一切の不義が打ち倒され、取り除かれるようためです」。
 そしてこれらの最も包括的な言葉がハイデルベルク信仰問答の第123問です。「問:第二の願いは何ですか。答:御国を来たらせたまえです。すなわち、あなたがすべてのすべてとなられる御国の完成に至るまで、わたしがいよいよあなたにお従いできますよう、あなたの御言葉と聖霊とによって私たちを治めてください。あなたの教会を保ち進展させてください。あなたに逆らい立つ悪魔の業やあらゆる力、あなたの聖なる御言葉に反して考え出されるすべての邪悪な企てを滅ぼしてくださいということです」。御国の到来と完成を願う祈りは、悪の力が退けられ神の御支配が確立することを願う祈りです。そしてそれはすでに主イエスにあって勝利を与えられたものであることを確信させる祈りでもあるのです。ですから私たちはこの地上の苦難を前にして、ただただ絶望し、希望の持てない試練の暗闇の中で一人立ちつくすのではなく、主の勝利を確信し、主がすべてすべてとなられることを堅く信じて、この暗闇と苦難の時代の中にあってもなおしっかりと立ち続け、みことばを宣べ伝え続ける者として、体をまっすぐにし、頭を上に挙げ、御国を来たらせたまえと祈るものでありたいと願います。




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