夕拝(主の祈り講解8)  2003/08/17
『我らの罪を赦したまえ』

マタイ6:12

今晩は、主の祈りの第五の願いである「私たちの負い目をお赦しください」との祈りを通して、主イエスの赦しの中に生きる信仰者の姿について学んでおきたいと思います。

(1)日ごとの赦しを
「日ごとの糧をお与えください」という祈りに続いて、「私たちの負い目をお赦しください」と祈られます。最初にこの祈りの順序に注目したいと思います。毎日のパンを求める祈りが、罪の赦しを求める祈りへと繋がっていく。それは言い換えれば私たちの肉体的な命の必要から、さらに進んでより根源的ないのちの必要へと深められていくことを表していると言えるでしょう。私たちはしばしば私たちが必要と感じているものが、私たちの必要の全てであると考えがちですが、実際はそうではありません。私たちが本当は必要としていながら、その必要に気づかずにいるものがあるのです。そしてその私たちが必要としているものの中心にある事柄が、人間の本質に結びついた罪の赦しであると主イエスは教えておられます。私たちに人間は、自分が気づくと気づかざるとに関わらず、そして肉体の糧以上に、根本的に、そして決定的に罪の赦しを必要とする存在なのだということを覚えたいと思うのです。
 主イエスはしばしば人々の病を癒されましたが、たとえば中風の男を癒された記事(マタイ9章)を読んですぐに分かることは、主イエスが与えられたものは病の癒し以上に「罪の赦し」であったということです。主は中風の男に対して「子よ。しっかりしなさい。あなたの罪は赦された」と宣言され、彼を病の床から立ち上がらせました。彼自身が必要としていたのは中風に冒された身体の癒しでしたが、主イエスが与えられたのは彼の中に自分自身気づかれない仕方で密やかに存在していた罪の赦しであったのです。人はパンを求めて生き、それが満たされれば幸せになれると思っているかも知れません。しかしその深いところにある本当の必要は、私たち自身の罪が赦されることにあるのです。

(2)負い目、負債としての罪
では、聖書はこの私たち人間の罪をどのように教えているのでしょうか。聖書の教える罪とは、神との関係が破綻してしまっている姿のことです。本来あるべき神との関係を捨てて自己中心に走る人間の姿こそが罪の本質であるといえるのです。さらに主の祈りにおいては、この人間の罪が「負い目」「負債」であるとも言われています。神との本来あるべき関係を捨てた人間は、それゆえに神に対して負債を負った存在であるというのです。このテーマに関連して、主イエスが語られたたとえ話を思い起こすことが出来るでしょう。
マタイ福音書18章23節以下の「地上の王のたとえ」です。ここで王に一万タラントの負債のあるしもべが登場しますが、主人はこのしもべの約六千億円にもなる負債を免除してあげたというのです。27節。「しもべの主人は、かわいそうに思って、彼を赦し、借金を免除してやった」。まさしくこれが、神の私たちに対する罪の赦しの姿であるというのです。罪の赦しの動機は、赦される側の私たちにあるのではなく、ただ私たちを「かわいそうに思う」神の自由で主権的なあわれみと恵みのゆえなのであり、しかもここではその借金はただ免除されますが、神の赦しにおいてはその借金は免除されたのではなく、主イエスが私の借金を肩代わりして下さり、父なる神に対して返済して下さったのでした。そこで払われた代償こそが、主イエス・キリストが十字架の上で差し出して下さったご自身の命であったのです。この主イエスの十字架によって私の罪、負いきれないほどの負債は弁済され、その罪は赦されたのでした。

(3)赦された人が赦す人へ
 最後に、主の祈りの第五の祈願において問題となるのは、前半の「私たちの負い目をお赦しください」と後半の「私たちも、私たちに負い目のある人たちを赦しました」とがどのように関係しているのかという点です。読み方によっては、私も隣人の負い目を赦したから、私の負い目も赦して下さい、となるのです。そこから、主に罪を赦して頂くことの条件として、私が赦していただくためには、まず私が赦さなければならないと、これを律法のようにしてしまったり、あるい主に罪を赦して頂くことに先んじて、私が他の人を赦すことができるかのような錯覚に陥ってしまうことがあります。
 しかしはっきりとさせておかなければならないことは、私たちが隣人の罪を赦すことができるから、私も主によって赦されるのではなく、また私が隣人の罪を赦すことができなければ、私も主によって赦されることはない、ということでもないということです。そうではなく、私が主によって罪赦された、負債を免除していただいたという赦しの体験、恵みの経験が、私を隣人を赦す愛へと突き動かして行くのです。私たちは礼拝の度毎に罪の告白を御前に為し、赦しの宣言をいただきます。その悔い改めと告白の祈りの中で、主の御前に罪赦されていることを確信する時に、私たちは隣人の罪を赦すことへと心動かされていくのです。赦された喜びを知る人は、赦すことへと促されて行きます。そのような幸いな道を私たちも歩みたく願います。

 




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