夕拝(主の祈り講解2)  2003/05/18
『我らの父よ』

マタイ6:9

今晩は、主の祈りの冒頭にある呼びかけの言葉、「天にまします、我らの父よ」から、特に「我らの父よ」という言葉に注目して学んでおきたいと思います。

(1)父よ、との祈り
 信仰を持って歩み始めた時に、私たちが新しく始めることの一つは「祈ること」でした。祈りについて教えられ、実際の祈り方を教えられ、そして一言一言口移しのように祈りの言葉を教えられながら、初めて自分の言葉で祈った時のことを思い起こすことが出来るでしょうか。恐る恐る、恥ずかしいような、しかし深いところからわき上がる喜びの中で、私たちは祈ったのだと思います。はじめは「神様」と呼びかけるのだと教わります。次第に教会の交わりの中でその呼びかけの言葉が様々であることにも気づかされます。そしてそれを自分の祈りにも取り入れてみる。そうやって次第に私たちの祈りの言葉は豊かにされ、整えられていくのです。
 主イエスが弟子たちに教えて下さった祈りも、よびかけの言葉から始まっていました。マタイ福音書では「天にいます私たちの父よ」、ルカ福音書では単に「父よ」との呼びかけでした。神を「父よ」と呼ぶ。このことの驚きを改めて新鮮に受け取っておきたいと思うのです。ハイデルベルク信仰問答はこの箇所を次のように解説します。「問120:なぜキリストは私たちに、神に対して『われらの父よ』と呼びかけるようにお命じになったのですか。答:この方は、私たちの祈りのまさに冒頭において、私たちの祈りの土台となるべき、神に対する子どものような畏れと信頼とを、私たちに思い起こさせようとなさったからです。言い換えれば、神がキリストを通して、私たちの父となられ、私たちの父親が私たちに地上のものを拒まないように、ましてや神は、私たちが信仰によってこの方に求めるものを拒もうとなさらない、ということです」。
神を「父よ」と呼ぶこと。これは決して当たり前のことではありません。確かに旧約聖書においても主なる神が「父」と呼ばれることはあり、またユダヤ教伝統においてもそのような習慣があったと言われるのですが、しかしそれでもイエス・キリストが神を父よ、と呼ぶことは画期的であり実に独自なものであったことを強調しておきたいと思います。イエス・キリストが神を父と呼ぶ。これはマルコ福音書がゲッセマネの園での主イエスのお姿を描く場面に出てきます。「アバ、父よ。あなたにおできにならないことはありません」(マルコ14:36)。ここに出て来る「アバ」という言葉が重要です。しばしば説明されるように、この「アバ」と言う言葉はアラム語で「お父さん」と子どもが父親を呼ぶ時のの言葉ですが、このような「アバ」という日常語、しかも幼い子どもが呼びかける親しい言葉で神を呼ぶことはあり得ませんでした。すなわち、ここで主イエスが「父よ」と呼ぶ祈りは、そのような神との新しい関係、神を「お父さん」と呼ぶことの出来るような親密で愛に満ちた交わりの関係を作り上げる言葉であったのです。
 この父としての神の私たちに対する姿は権威の象徴としての「父」ではなく、むしろ愛と慈しみに満ちた「お父さん」としての姿であり、そのことも最も良く表しているのは、あのルカ福音書15章に記される放蕩息子のたとえ話に出て来る父親の姿です。父のもとから離れ去って自分勝手な生き方を繰り返し、放蕩の果てに人生に敗れ去った息子が「お父さん、私はもうあなたの息子と呼ばれる資格はない。雇い人の一人にして下さい」との言葉を携えて父の元に帰って来た時、彼はその息子の言葉を聞くより先に彼を抱きしめ、受け入れ、自らの子であると宣言したのでした。そこに示されたのはまさしく慈愛に満ちた父なる神の姿です。主イエスは私たちにこのような愛に満ちた父なる神を指し示して下さったのです。

(2)子としての祈り
 主の祈りの新しさは、神を父と呼ぶことにとどまらず、この主イエス・キリストの父なる神を、私たちの父、我らの父よと呼ぶことが出来るという驚くべき事実にこそあります。それはただ神の救いのご計画により、御子イエス・キリストの贖いのゆえに、子として下さる聖霊が与えて下さった恵みです。この救いの御業によって主イエス・キリストの父は、我らの父となりたもうのです。この消息を使徒パウロは次のように言っています。「あなたがたは子であるゆえに、神は『アバ、父。』と呼ぶ、御子の御霊を、私たちの心に遣わして下さいました」(ガラテヤ4:6)。「あなたがたは、人を再び恐怖に陥れるような、奴隷の霊を受けたのではなく、子として下さる御霊を受けたのです。私たちは御霊によって『アバ、父』と呼びます」(ローマ8:15)。
 かつては罪と滅びの中にあった私たちが父なる神の選びに基づき、御子イエス・キリストの贖いにより、聖霊の働きの中で神の子とされた。それゆえに私たちは今大胆にも主イエス・キリストの父なる神を「我らの父よ」と呼ぶことの出来る子としての身分を与えられているのです。父なる神は私たちが「お父さん」と呼びかけることを待っていて下さるお方です。「父よ」との呼びかけは、そこに応答を求める呼びかけであり、父であられる神は、その呼びかけに答えて下さり、私たちの祈りを聞き届けてくださる生けるお方です。 ある神学者が言いました。「人間が祈ることをやめる時、すなわち神と語らうことをやめ、神との交わりのうちにあって呼吸することをやめる時、ただ神について語るだけになり、そうして神について議論し、神の問題を討論することになってしまうことを、はっきりと明瞭に認識する必要がある」。私たちは神について論じ合うためにこの場にあるのではありません。そうではなく、神を呼び求め、神を礼拝するためにここに集っているのです。ですからその場に最も相応しい仕方で神を呼び求めるものでありたいと願います。





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