主の祈り講解1
『主の教えられた祈り』

「主よ。ヨハネが弟子たちに教えたように、私たちにも祈りを教えて下さい。」ルカ11:1

(1)賜物としての祈り
 今晩から、夕拝において主の祈りについての学びを始めていきたいと願っています。使徒信条、十戒、主の祈りという教会が長い歴史の中で伝え続け、唱え続けてきた言葉の中でも、とりわけ重要な主イエスご自身が教えて下さった祈りの言葉、これを古代の教父テルトリアヌスは「福音全体の要約」であると言いましたが、それほどの大切な祈りの言葉に取り組もうというわけです。そこで今晩は、この祈りの言葉に向かうに当たって、まず私たち自身の学びの姿勢を整えるために、祈りを学ぶ、ということについてともに教えられていきたいと願います。
 主の祈りについて学ぶ、と申し上げました。しかしここにすでに一つの問いが浮かんで来ます。祈りを学ぶとはいったいどのようなことであり、またそもそも祈りを学ぶということはいかにして可能なことなのでしょうか。
 主の祈りは福音書においてマタイ6章とルカ11章に記されています。この二つのテキストについての詳しい分析は次回以降に行いたいと思いますが、一つのことだけを今は申し上げておきたいと思います。それはこの祈りが「主が教えられた祈りである」ということです。マタイでは山上の説教の一部として、祈りの教えが語られる流れの中で「だからこう祈りなさい」(マタイ6:9)という主イエスの命令によって始められます。またルカでは弟子たちの次のような求め、「主よ。ヨハネが弟子たちに教えたように、私たちにも祈りを教えて下さい」(ルカ11:1)という求めに答える仕方で「祈る時にはこう言いなさい」と命じられています。当たり前のように聞こえるかもしれませんが、大切なのは、この祈りが私たち人間の内側から出てきた言葉でなく、主が私たちに外からの言葉、上からの言葉、すなわち神からの賜物として与えて下さった祈りであるということなのです。
 宗教改革の教会は、神の救いの恵みを受けるために私たちに与えられた恵みの外的な手段ということを言いました。特に17世紀イングランドのピューリタンの教会では、御言葉の説教と聖礼典そして祈りを繰り返し行うことで、聖霊が私たちに内に働いて信仰を起こし、救いの恵みにあずからせて下さると教えたのです。ですから主が教えて下さった祈りを繰り返し祈ることで、主の恵みにあずかるということが起こるのです。しかしながら、いつの間にかその祈りが形式化し、ただ機械的に唱えられるだけではなりません。私たちは主が祈りを教えて下さったことに応じて、その祈りを学ぶことが必要なのです。
 
(2)課題としての祈り
主が賜物として与えて下さった祈りを、私たちは学ぼうとしています。ドイツ語で「賜物」のことを「gabe」と言いますが、「課題」や「使命」のことは「aufgabe」と言います。「auf」とは「上から」という前置詞ですが、つまり神が上から賜る賜物は、それを受け取る私たち人間にとっての課題となり、使命となることなのです。ですから私たちは私たちの課題そして使命としてこの祈りを真剣に情熱をもって学んでいきたいと思うのです。
 教会の歴史を見ても、代々の教会は確かに熱心にこの祈りの言葉を学び続けてきました。宗教改革のカテキズムの伝統はもちろんのこと、その源流となる古代教会において主の祈りは信徒たちの霊的訓練のために用いられ、またこれから洗礼を受ける人々のための洗礼準備においても用いられました。信仰を持ったキリスト者だけが祈るのでなく、信仰を求める人々が、信仰が与えられるようにと祈る祈りであり、祈ることによって信仰を学び、信仰に至る道筋を整えていったのです。このことの持つ意味は重要です。今も教会に集い、聖書を学び、誠実に求道を続けておられる方々があります。一つ一つ聖書の教えを学び、納得してやがては信仰に導かれていくことを願っていますが、しかし何よりもその求道の途上にあって祈り始めていただきたいと思うのです。信じられるようにとの祈りをぜひ祈っていただきたいと思うのです。その祈りの中で、信仰への道筋が整えられ、開かれていくということが起こるのです。祈る時に、聖霊は私たちの内に生きて働かれ、わたしたちのうちに主イエス・キリストの恵みを鮮やかに示し、その救いに私たちをあずからせて下さるのです。

(3)祈りを学ぶ
 祈りを学ぶと申し上げてきました。祈りをどのようにして学ぶのか。その答えは、祈りは祈ることによって学ぶということになるでしょう。祈りについてのあれこれを論ずるにまさって、何よりも大切なことは祈りの世界の中に入り、この口で「天にまします我らの父よ」と呼びかけることです。私たちはこの学びを通して、主の祈りについて学ぶことにとどまらず、ともに「我らの父よ」と祈ることによってこのお方の子とさせられていくことを切に求めたいと思います。そしてますますこのお方との交わりの中に生き、その中でなお、「我らの父よ」と呼びかける者へと整えられていく者でありたいと願います。
 古代のアレキサンドリア教父オリゲネスは『祈りについて』という書物の中で次のように言いました。「祈りについて考察するということは、そのために御父が照らして下さり、御子であるお方が教え導いて下さり、聖霊が力を発揮して下さることが是非とも必要であるというほど大変なことですので、これほど大変な問題をそれにふさわしく認識し、語るために、溢れんばかりに豊かで、霊的な理解が私どもに与えられ、福音書に書き記された祈りを解明することができますよう、この祈りについての論述に着手する前に、一人の人間として聖霊を与えられるよう祈りたいと思います」。
 私たちも今晩、「主よ、私たちにも祈りを教えて下さい」との主の弟子たちの願いとともに、主への祈りを捧げることからこの学びを始めさせていただきたいと願います。




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