召天者記念主日礼拝  2012/11/04
『信仰と希望は神にかかっている』

Iペテロ1:21-25
 
 私たちはこの朝の礼拝を、地上の生涯を終えて主の御許に召された、愛する兄弟姉妹たちを憶える「召天者記念礼拝」としてささげています。お手元に私たちの教会の天に召された兄弟姉妹たちのお名前の一覧をお配りしています。今年新たにお名前の加わった方々もおられます。午後には教会墓地にて納骨式も予定されています。死に打ち勝ちたもうた復活の主イエス・キリストを信じる者に約束されている永遠のいのちの望みをしっかりと抱きつつ、心を挙げて主を礼拝し、そのいのちの言葉にともに聞いてまいりたいと思います。お一人一人に主の豊かな祝福があるようにお祈りいたします。

(1)魂の看取り手
 牧師の主な務めは御言葉によって群れを養い、一人一人の魂を牧することにありますが、中でも死への備えを導くことと、最期を看取ることがあります。それで古くから教会では「牧会」ということを「魂への配慮、魂の看取り」などと言い表して来ました。英語では「パストラル・ケア」などとも呼ばれます。欧米では病院には必ず医療スタッフやソーシャルワーカーと並んでチャプレンがいて、必要に応じて患者の悩みを聴き、共に祈りをささげ、死への不安を取り除き、死への備えをするという大事な役割を果たしています。私は父が28年前に浜松にある聖隷ホスピスで最後を迎えたのですが、チャプレンの先生がよく病室に来て祈りを捧げてくださり、毎日の小さな礼拝の様子を病室で聴くことで、最後の養いを与えられていたと母から聞きました。しかし、そのような大切な役割であってもまだまだ日本の医療の現場では宗教者が入り込める余地はとても限られています。牧師であるといっても家族以外は入れてもらえないで、最後の祈りを捧げる機会がなかなか得られないということもありました。
 そのような中で、以前にもご紹介したことがあると思いますが、昨年3月の震災以後に新しく始まった動きに臨床宗教師の養成というものがあります。東北大学の文学部に「実践宗教学講座」という寄付講座が開かれ、そこで臨床宗教師を養成するというのです。これは仙台で在宅のホスピスケアをなさっていた岡部という先生、つい先日自らが癌で亡くなられたのですが、この岡部先生が提唱されて、終末期の医療現場で宗教者の関わりがどうしても必要だということが、特に震災後の実に多くの亡くなった方々の葬りの現実の中で痛感され、それがきっかけでキリスト教界、仏教界、宗教学界が中心となってコースが開設されるに至ったのです。これによって「臨床宗教師」というきちんとした資格認定が出せるようにし、今後、病院やホスピスなどの終末期医療の現場で医療、ソーシャルとともに宗教的なケアが与えられるようになるでしょう。これは日本の社会全体にとっても、非常に意味ある営みであると思います。しかしいざ最後の看取りの場面になって、宗教そのものが問われることになるのも事実です。仏教者の方々もそれぞれ自分自身の信ずる確信に基づいてこの事に携わっておられますが、しかしあるところまでは様々な課題や思いを共有できても、やはり互いの立場が決定的に異なってくるのが、死という現実に対する答をどのように持っているのかという点です。死の現実を諦めて受け入れよというのか、死に対して最後まで抗い続けるのか、それとも死の現実を超えてある望みの中へと送り出すのか。ここにおいて様々な宗教がある中で何が真理であるのかが、問われてくるのです。

(2)死の現実を前にして
 今年に入ってから、幾人かの方々との地上の別れを経験してまいりました。同盟教団でお世話になった先生方、古くからの幼なじみの友人、直接の面識はないもののいつも気に掛かる存在であられた遠くの牧師たち、そして何と言っても私たちの群れの中でも大きな大きな存在であられた姉妹。直接その最期の時に立ち会ったわけではありませんが、闘病中のお姿に触れた方もありますし、すでに召された後の数時間後の亡骸を前にして祈ったこともあります。そのたび毎に当たり前のようなことですが、何とも言えず厳粛な気持ちの中で思うのです。ああ人は死ぬのだなと。その当たり前の事実を、しかしきちんと真正面から受けとめることがどんなに難しいことかを。けれどもまた主イエス・キリストにある時には、その難しいことを乗り越える力を聖霊なる神がお一人一人の中で見事に成し遂げてくださるということを。そのことを繰り返し実感させられるのです。
 今日与えられている御言葉を読みましょう。21節。「あなたがたは、死者の中からこのキリストをよみがえらせて彼に栄光を与えられた神を、キリストによって信じる人々です。このようにして、あなたがたの信仰と希望は神にかかっているのです」。私たちの信仰と希望は神にかかっている。力強い御言葉です。ではこの神はいかなるお方であられるのか。それが問題です。私たちはどんな神を信じているのか。人間が作り出した物言わぬ偶像の神か、それとも人間とこの世界をお造りになり、今もこの世界と私たち一人一人のいのちを生かし、守り、支えていてくださる生けるまことの神か。聖書は言います。「死者の中からこのキリストをよみがえらせて彼に栄光を与えられた神」と。聖書が示す神。それは死んだ者の神ではない。御子イエス・キリストを死者の中からよみがえらされた神、そしてこのキリストにあって私たち本来死すべき存在である私たちをも、永遠のいのちに生かしてくださる神。その神に私たちの信仰と希望がかかっているのです。死すべき存在である私たちが、死からよみがえらされて生きる者とされる。ここには大きな断絶と、しかし新たな接続、結合があるのです。

(3)信仰と希望は神にかかっている
 ここでペテロは旧約聖書イザヤ書40章の御言葉を記します。24節。「人はみな草のようで、その栄えは、みな草の花のようだ。草はしおれ、花は散る」。こういう言葉に自らの人生観、死生観を重ね合わせる人が多いのではないでしょうか。日本人が桜を好むのはその散り際の美しさと潔さに魅力を感じるからだといわれることがありますが、ある意味で死を美しいものとして飾ろうとする心の動きがあるのでしょう。しかしそれはそれだけ死の持つ惨たらしく痛ましく、決して美しいとは言えない現実を知っているからこそ、なんとかそれに抗い、それらを隠そうとする心の表れと言えるかも知れません。しかしいくら死の現実を覆い隠して、死を美しく装ってみても、死が死であることに変わりはない。それが他のものに変わるということはあり得ません。むしろ本当に私たちにとって必要なことは、死を死としてきちんと位置づけながら、なおもそれによって変わることのない希望、死を貫いてなお私たちを永遠のいのちに生かしてあまりある全き希望を、現実のものとして受け取ることにほかなりません。
 それで預言者は言うのです。25節。「しかし、主のことばは、とこしえに変わることがない」。この世のあらゆるものが揺さぶられ、打ち倒され、押し流され、全てものは過ぎ去り、消え去っていく、そうして死の闇の中にすべてが吸い込まれていく。その圧倒的な現実を前にして人は最初は恐れ、惑い、しかしある時から覚悟を決めて闘いを挑み、けれども最期はもはや抵抗できないと負けを認めて諦めていく。宗教はその最期の諦めの境地においてほんのちょっとの慰めを与えるものにしか過ぎない。そのように多くの人々が考える中にあって、しかし聖書は今日、このように宣言するのです。「主のことばは、とこしえに変わることがない」。そしてペテロはこの預言者の言葉を指さして「あなたがたに宣べ伝えられた福音のことばがこれです」と言うのです。これは福音だ。これは良き知らせだと。
死がなくなるというのでなく、私のいのちがとこしえに変わらない、というのでもなく、主のことばが変わらない」というこの御言葉が福音なのです。
 主のことば、それはイエス・キリストご自身です。主イエス・キリストが昨日も今日もいつまでも変わることのないお方でいてくださる。そして十字架の上で犯罪に向かって「あなたは今日、わたしといっしょにパラダイスにいる」と宣言してくださった、その救いの言葉によって、私たちを地上のいのちを越えて、死を打ち破って、なお永遠の神とともにあるまことの慰め、まことの平安、まことの希望、まことの喜びの中に生かしてくださる。これこそが福音のもたらす慰めです。そして今日この私たちの手元にお名前に記されているお一人一人は、この福音の慰めのもとにあって天に召され、そして今はまったき平安の中にあって、やがてのよみがえりの時を待っているのです。
 私たちはこの朝、あらためて私たちの信仰、私たちの希望が何に向かい、何に結びつけられているのかをはっきりと確認したいと思います。私の願いの実現、私の人生の幸福、私の計画の成就、それももちろん大事なことですし、主は私たちにそのような人生の祝福を備えてくださるでしょう。けれどももっと大事なことがある。それは神がしてくださる何事かを信じるということ以上に、私たちの生きるも死ぬるも御手の中に統べ治めておられる生ける神ご自身を信じるということです。私たちの信仰と希望は、神の何々に結ぶついているのではなく、すべてのものを与えて私たちを生かし、そしてそれぞれの人生に持っておられる確かなお約束とご計画のもとにあって私たちを天へと召したもう生ける神ご自身にかかっているのです。そこに私たちの信仰の眼差しをしっかりと結びつけ、キリストのいのちに生き、そしてキリストのいのちによってさらなる生へと導かれていく私たちでありたいと願うのです。

 



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