召天者記念礼拝    2007/11/04
『葬りを越えて』

創世記23:1-20

 私たちの教会では、昨年から11月第一主日の礼拝を「召天者記念礼拝」としてささげるようになりました。皆さまのお手元に、私たちの教会で先に天に召された愛する兄弟姉妹たちのお名前の一覧をお配りしています。この場にもご遺族の方々もおられますし、またここにお名前はなくても、愛するご家族を点に送った方々もおられることでしょう。お一人一人との地上でのお交わりのありなし、時間の長さ短さはありますが、讃美歌191番に「世に残る民、去りし民と、ともに交わり神を仰ぎ、永遠の安きを待ち望みて、君の来ますを切に祈る」とあるように、同じ主に結ばれた神の家族として、ご一緒に復活の主の御名をあがめ、残されたご遺族に新しい主の慰めを祈るとともに、私たち主にある者たちに約束されている、天の御国での再会の希望を新たにさせていただきたいと思います。
 そこで今朝は、愛する妻の亡骸を葬るために墓を求めるアブラハムの姿を通して、キリスト者にとっての葬りの意味、そして復活の信仰の継承について学びたいと願います。

(1)サラの死と葬り(v.1-4)
 私たちクリスチャンは真の神のみを神とし、この神のみを礼拝するというあの十戒の第一戒、第二戒を基本的な信仰態度としていますので、お盆やお彼岸といったいわゆる法事ごと、神社に参ったり、焼香をしたりという異教的な宗教行事を行わないという大切な原則を持っています。しかしそのためもあってか、キリスト教というのはお墓を大事にしない、先祖を大切にしないと言われることがあります。確かによみがえりの信仰と天の御国の希望に生きるキリスト者たちにとっては、地上の墓にそれほどのこだわりを持つことはしませんが、しかしだからといって決してお墓を軽んじたり、先に亡くなった家族、親族への哀悼の気持ちを持ち合わせていないということではありません。今日も午後から越生にある教会墓地に出かけて、その場所で墓前礼拝を行います。昨日、墓地のお掃除に行って来たのですが、教会がきちんとした納骨堂を備えて、折々に記念の時を持つことは意味深いことであることを実感しています。
 そのような意味でも、この朝に開かれている御言葉は、私たち主にある者にとって「葬り」ということがどのような意味を持っているかを示す貴重なエピソードと言えるでしょう。1節、2節。「サラの一生、サラの生きた年数は127年であった。サラはカナンの地のキルヤテ・アルバ、今日のヘブロンで死んだ。アブラハムは来てサラのために嘆き、泣いた」。アブラハムにとって100年以上に渡る人生の苦楽をともにしてきた最愛の妻サラとの別れの時がやって来ました。彼は妻の死に際して「嘆き、泣いた」とあります。息子イサクをささげよ、との命令を受けた時には淡々と主の命令に従っていったアブラハムも、この時には涙を流して嘆き悲しんだと、創世記はアブラハムの心の動きをそのまま伝えているのです。しかし彼はいつまでも嘆き続けていたわけではありませんでした。3節、4節。「それからアブラハムは、その死者のそばから立ち上がり、ヘテ人たちに告げて言った。『私はあなたがたの中に居留している異国人ですが、あなたがたのところで私有の墓地を私に譲っていただきたい。そうすれば私のところから移して、死んだ者を葬ることができるのです』」。ここでアブラハムは妻を葬る墓地のために土地を手に入れようとします。アブラハム一族は神の祝福の中を歩んでいましたが、驚くことに最愛の妻を葬るための土地すらこの時まで持っていなかったのです。初めて手に入れた土地が妻を葬る墓であったことは、旅人、寄留者としての人生に徹した彼の生き方の表れとも言えるものでした。

(2)地に住む人々への誠実(v.5-16)
 土地を求めるアブラハムの申し出を受けて、ヘテ人との間での交渉が始まります。ここでアブラハムの申し出に対するヘテ人たちの態度は一見して実に好意的、友好的に見えます。しかしよく読んで行きますと、このやりとりは案外複雑な駆け引きであることが分かってきます。彼らはアブラハムに好意的に土地の貸与を申し出ますが、それは裏返せば譲渡を拒否することを意味します。所詮旅人に過ぎない寄留者に大切な土地を与えることを彼らはよしとしなかったのでしょう。ところがアブラハムはその答えを受け流すかのようにして、さらに具体的に土地を特定して取得に乗り出すのです。アブラハムは目指す土地の所有者であるエフロンとの直接交渉に入りますが、「町の門」を交渉場所に選びます。町の門は当時の社会の集会場であり、議会でもありました。つまりアブラハムはどこまでも正攻法で、正直に交渉に臨もうとするのです。
 ここでまずエフロン側から洞穴だけでなく畑地丸ごと買い取ってほしいという条件が出されます。ここで「差し上げます」は決して無償を意味していません。なかなかしたたかな商売方法です。アブラハムは、その申し出を受け入れる意思表示を行います。さらにエフロンは売買価格を提示します。彼は「何ほどのこともないでしょう」と言う値段銀400シェケルは、当時としても法外で高額な値段でした。ところが、アブラハムはここでもそれを受け入れ、交渉を成立させます。これは決して彼がこの世の常識に疎かったということではないでしょう。それでもなお誠実に行動する姿に彼の信仰と霊的な洞察力、人格を見いだすことができるのです。善意に対してはもちろんのこと、悪意に対してでさえ誠実をもって報いる彼の姿に、旅人としての地上でのあるべき姿を教えられます。

(3)信仰者の遺産(v.17-20)
長い人生で初めて購入した墓地に最愛の妻を葬ることは、この地上に生きつつも、この世の流れに染まらず、この世の価値観に埋もれず、ひたすらに旅人として神様だけを頼りに歩んで来た彼らの生涯を象徴する出来事でした。また、そこにサラを葬ることは、やがて来るべき日に神ご自身が彼女をよみがえらせて下さるという確固とした復活の信仰に立った行為でもあったのです。いつまでも過去に縛られることをせず、葬りを越えて後は神に委ね、さらに旅を続けて行こうとする徹底した旅人の信仰なのでした。ですからここでのアブラハムの葬りは、亡き妻の前で悲しみに暮れてたたずむためのものでなく、後に続く子孫たちへ信仰のバトンを引き渡すためのわざでもありました。その遺産とは単なる土地や墓地といった不動産を指している訳ではありません。確かに族長としてのアブラハムは決しては貧しかった訳ではなく、むしろその財力は周囲の人々も一目置くほどのものでした。しかしそれにしてはこの墓地はあまりに貧しいものです。その時代の有力者たちは非常に立派な墓を建てることで自分たちの繁栄ぶりを示したのですから。ですからこの場合の遺産とは、そこに示されたアブラハムとサラの信仰そのものであると言えるのではないでしょうか。
 アブラハムとサラの信仰。それは神の声を聴いた時に行き先を知らずに旅立って以来、ただただひたすらに主なる神に従って、主が備えてくださる約束の地を目指して旅するまったき信頼の歩みでありました。その信仰を後に新約聖書のヘブル書11章8節以下でこう書き記しています。「信仰によって、アブラハムは、相続財産として受け取るべき地に出て行けとの召しを受けたとき、これに従い、どこに行くのかを知らないで、出て行きました。信仰によって、彼は約束された地に他国人のようにして住み、同じ約束をともに相続するイサクやヤコブとともに天幕生活をしました。彼は、堅い基礎の上に建てられた都を待ち望んでいたからです。その都を設計し建設されたのは神です。信仰によって、サラも、すでにその年を過ぎた身であるのに、子を宿す力を与えられました。彼女は約束してくださった方を真実な方と考えたからです。そこで、ひとりの、死んだも同様のアブラハムから、天の星のように、また海べの数えきれない砂のように数多い子孫が生まれたのです。これらの人々はみな、信仰の人々として死にました。約束のものを手に入れることはありませんでしたが、はるかにそれを見て喜び迎え、地上では旅人であり寄留者であることを告白していたのです」。
 地上では旅人、寄留者に過ぎない信仰者たちが、それでも地上に墓を残す意味。それは後に続く人々がこの墓の前に立つ時に、ここに主を待ち望んで生きた一人の信仰者がいたという証しのためであり、またその信仰者が待ち望み、仰ぎ見て、後に続く者たちに指し示した天の御国の希望を証しするためであります。先週の宗教改革記念礼拝の午後、教会セミナーで宗教改革者カルヴァンの信仰と生涯について学びましたが、このカルヴァンの墓地がジュネーヴ郊外にあるプランパレという共同墓地にあります。カルヴァンは自分の死が近づいた時に遺言の中で、自分の墓はもっとも質素なものにするようにと言い残したそうで、実際に、彼の死後260年たってあるオランダ人がそこに「J・C」とイニシャルだけを刻んだ小さな石を置くまでは墓石すらなかったそうです。今でこそ周囲を柵で囲んで記念のプレートが置いてあるそうですが、それでもそこにカルヴァンの墓があると知る人は多くないと言われます。来るべき永遠の生を待ち望み、ひたすら神の栄光を仰いで生きた信仰者らしいエピソードと言えるのではないでしょうか。
 そしてさらに信仰者がこの地上に墓を残す意味。それは後に続く霊の子孫たちに自分たちと同じ天の故郷を憧れる信仰に歩み、同じ復活の恵みにあづかってほしいという最後の願いの現れでもありました。そしてその願いどおり、この後の創世記を読み進めて参りますと25章で夫アブラハム、35章で息子イサク、49章でその妻リベカとレア、50章ではその息子ヤコブが同じマクペラの墓地に葬られているのです。私たちはすでに天に召された信仰の先達たちの生き様、死に様を見つめるときに、そこに何を見て、そこから何を受け取るのでしょうか。私たちはこの場に立ちつくすために墓を持つのではありません。葬りを越えて歩み出すため、土地でもなく財産でもなく、天の故郷に憧れる信仰を示して召されていった人々のその信仰をしっかりと受け取ること、地上を旅人として生きる信仰を継承すること、これこそが私たちがどうしても受け取り、受け継ぎ、そして受け渡していかなければならない大切な信仰の遺産、地上では何を持たなくとも、一番価値あるものとして残して行ける最も尊い遺産なのです。

 



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