東日本大震災から8年を覚えての夕拝説教   2019/03/10
『主よ、思い出してください』

詩篇137:1-9

 明日の3月11日で、東日本大震災から8年になろうとしています。警察庁が発表した3月8日現在の死者は1万5897人、行方不明者は2533人。昨年より行方不明者の数が少し減って、死者の数が増えました。今でも遺骨のかけらが見つかり、DNA鑑定によって新しく身元が分かった方がおられることを意味しています。それで初めて葬儀を出し、遺族が悲しみを新たにし、けれどもようやく心に区切りを付けることができる。震災が過去でないことを出来事を思い知らされます。こんな数字の小さな増減にも、想像力を働かせることを怠らずにおきたいとも思わされるのです。
 また避難者数は2月7日現在で5万1778人、そのうち約5000人の方々が今も応急仮設住宅での生活を続けています。本来「仮設」ですから2年を目処に恒久的な住まいに移ることが念頭に置かれているのですが、すでに8年も仮設住まいが続いている。故郷に帰りたいけれども帰る場所がない。帰るすべがない。帰ることが許されていない。こういう現状があることも私たちは今晩、心に留めたいと思うのです。

(1)この8年を振り返って
 それにしても、8年という歳月は決して短くありません。昨年末に軽井沢で行われた「ふくしまHOPEプロジェクト」のキャンプに一日だけ参加しました。その日の夕食時に6年生の女の子たちと同じテーブルになり、思い切って震災当時のことを聞いてみることにしました。彼女たちから返って来たのは、あまり覚えていないというものや、あっても実に断片的な記憶の数々でした。保育園にお母さんが迎えに来て、早く車に乗りなさいと急かされて、そのままどこかに行った。おばあちゃんの家にしばらく預けられた、4歳頃の記憶ですからただ単に忘れてしまったということであるでしょうし、もしかすると幼いなりに自分の心を守るため、無意識の中でも敢えて記憶の奥底に仕舞い込んでいるということかもしれません。いずれにしても、小学生たちと話しながら、この間に流れた時間の重みと意味合いとを考えさせられたのでした。
 私自身にとっては今年の3.11は、二つの点で震災との関わりの区切りを意識させられる時となっています。いずれもすでに度々触れてきたことですが、一つには同盟教団の震災復興支援本部の活動記録が2月に出版されたことです。震災の三日後の2011年3月14日に教団地震対策本部として立ち上げられてから、2015年3月末で活動を終えるまで派遣担当、後に事務局長として教団の震災支援活動に従事して来ました。その最後の務めが活動記録をまとめることでしたが、それを果たせないままに働きを引き継ぎ、昨年から今年にかけて教団総主事と事務主事の先生方が編集作業を担ってくださり、ようやく刊行に漕ぎ着けたのです。そこで震災直後からの教団の支援活動について書くようにと原稿を求められ、当時のことを振り返る作業をしました。すでに2014年にいのちのことば社から出した『〈あの日〉以後を生きる』の執筆時に一度この様な作業をしているのですが、それでも今回あらためて当時の理事会でやりとりしたメールや手許に残っている当時のファイルやメモを読み返し、自分の中ですでに記憶がぼやけ始めていること、にもかかわらずいざ原稿を書こうとすると何とも心が苦しくなって先に進まないと言う経験をしました。しかしどうにか原稿を書き終えて、自分なりの一つの区切りが付けられたような思いになったのです。
 いま一つは、この3月末をもって「ふくしまHOPEプロジェクト」が活動を終えるということです。2012年の夏のスタートからずっと関わりを続けて、昨年秋にこの3月での活動終了を決めるまで、そしてその後もずっと心に重いものを感じてきました。その理由ははっきりしています。活動の目的が達せられての終了ではないからです。むしろまだまだこの働きの必要はある。しかし今のままでは継続していくことができない。そんな中での文字通り苦渋の決断でした。今でも私自身の中には「本当にこれでいいのだろうか」という思いが拭えません。福島の人々に対する申し訳なさのような感情もあります。最後まで一緒に歩むべきなのではないかという思いもあるのです。しかし、そんな中で神さまがこの働きに区切りを付けるように導かれた。終わったわけではない福島の震災と原発事故の影響に対して、では今後、どのような関わりを持つべきなのか、新たな問いを差し向けられているようにさえ思います。

(2)バビロンの川のほとり
 今晩与えられている御言葉は、詩篇137篇です。毎年、この礼拝で語るべき御言葉を決めるのに祈り悩みます。昨年は詩篇126篇を読みました。捕囚の民の帰還の喜びを歌う詩篇です。しかし今年は、時間的にはそこから逆戻りして、捕囚の地で故郷を思って涙する民の心を歌う詩篇を味わいたいと思いました。1節から4節。「バビロンの川のほとり そこに私たちは座り、シオンを思い出して泣いた。街中の柳の木々に 私たちは竪琴を掛けた。それは 私たちを捕らえて来た者たちが そこで私たちに歌を求め 私たちを苦しめる者たちが 余興に 『シオンの歌を一つ歌え』と言ったからだ。どうして私たちが異国の地で 主の歌を歌えるだろうか」。
 この詩人の心を私たちはどのように受け取ることができるでしょうか。三千年近い歴史の彼方の、遠いバビロニアの地で歌われた詩です。同じことを経験することはできません。ではこの詩を読む意味はないのか。そうは思いません。岩波書店から毎年この時期に出る『3.11を心に刻んで』という小さな本があります。岩波のサイトで震災以来続いている連載で、毎月11日に、3名の人が震災の出来事を思いつつ古今東西の言葉を紹介するというエッセイが一年ごとにまとめられて出版されます。今年で8冊目になりました。その中で作家の古川日出男さんがアルゼンチンの作家ボルヘスのこんな言葉を紹介していました。「私は多くの詩を暗記しています。ただ、作者の名前が分からないのです。ですが、それはどうでもいいことです。九世紀の詩を読み返して、その詩を作った誰か分からない人と同じ気持ちになれば、それでいいのです」。
 その人が誰か、どんな境遇か、どんな経験か。それらをつぶさに知らず、追体験できずとも、その気持ちと同じ気持ちになれば、それでいい。詩の味わいというものの一つの核心でしょう。今日の詩を、私たちも自分自身の経験と重ねて味わう。個人の経験、共同体の経験、様々な経験に重ね合わせて味わう。そこに自分の心を近づけていく、近寄せていく。そういう想像力を駆り立てる力、共感を生み出す力、そうして結果的に私たちが個人の経験を超えて行く力。そういうものをもたらすところに、詩の持つ力があるように思うのです。
 私は詩を読みながら、今も仮設で暮らす人々のことを思います。3月のこの時期になるとメディアはこぞって被災地に入り、感動のストーリーを求めてカメラをまわします。私たちもそういう番組を思い出したように眺めては「かわいそうに」と涙します。でもその時に思うのです。カメラの向こうに生きていている人々の心には、そのカメラとテレビの前にいる視線は「シオンの歌を一つ歌え」という言葉になっていないだろうかと。あるいは福島の原発事故の影響で今も立ち入りが制限されている場所のことを思います。昨年12月に、郡山の木田先生に連れられ、空間線量を測定するホットスポットファインダーを車に積んで、郡山から川内村、富岡町、大熊町、双葉町、浪江町、川俣村を一日かけて回りました。私も浜通りに足を運んだのは数年ぶりのこと。特に富岡、大熊、双葉、浪江は制限区域内に立ち入りや通過が許されるようになってから初めての訪問でした。線量計が跳ね上がるのを見ながら赤信号点滅の6号国道を走りながら、今も立ち入りができない大熊、双葉といった地域の、震災後からそのままに朽ちていく建物や町の雰囲気を見て、なんとも言えない気持ちになったことを思い出します。もうここには戻れない。そういう場所が私たちの国土に、しかも東京から車で数時間のところにあるという現実を突きつけられたのです。
 2020年に東京オリンピックが開催されます。それまでに震災のすべてを終わらせようという力が強まっています。仮設住宅をなくす。避難者をなくす。被災者をなくす。実際にどうかは別として、行政上そういうものはない、というところに持って行くための施策が次々と打ち出されています。自主避難者への公的支援打ち切りはその最たるものの一つです。私は東京オリンピック開催には否定的な考えを持っています。福島から250キロ以上離れているから大丈夫、といって誘致したオリンピックだからです。あるとき「百万人の福音」が福島の特集を組みたいので、といって私たちの活動を取り上げて記事にしたことがありました。その次の号で東京オリンピックのことが取り上げられ、宣教のチャンスという感じで特集が組まれました。その紙面を読んで、私は知り合いの編集者にメールを送りました。前の号で福島のことを取り上げながら、その翌月号のオリンピックの特集の中に全く福島の視点が欠けているのはどういうことか、と問うたのです。そういうことが繋がらない意識、結びつかない意識ということを痛感させられたのでした。

(3)主よ、思い出してください
 詩人は歌います。5節、6節。「エルサレムよ もしも わたしがあなたを忘れてしまうなら この右手もその巧みさを忘れるがよい。もしも 私があなたを思い出さず エルサレムを至上の喜びとしないなら 私の舌は上あごについてしまえばよい。主よ 思い出してください。エルサレムの日に 『破壊せよ 破壊せよ。その基までも』と言ったエドムの子らを」。この詩篇は自分たちを捕囚として自分たちを捕らえていったバビロニアの人々に対する復讐、自分たちを見捨てて助けの手を延べることのなかったエドムに対する復讐を願う詩篇です。彼らの場合は敵がハッキリしている。しかし震災の場合はそうはいきません。もちろん地震、津波だけでない、原発事故をはじめとする様々な人的要素によって被害を受け、いのちを落とし、今なお苦しみの中にある方々がある。しかし多くの人は震災という自然災害を前にして、持って行き場のない怒りや嘆きを抱えて生き続けてきたのです。
 そんな中で詩人が願ったことは何であったか。それは主を思うということでした。こんな憂き目に遭い、こんな境遇に置かれ、こんな痛みや悲しみをいやというほど経験した後に、それでも詩人は「私はあなたを忘れない」と告白するのです。それほどに遠い異国地、捕らわれの地にあって、彼らは都エルサレムを思い続けた。それは単なるふるさとという心情的な結びつき、住み慣れた家や暮らし慣れた生活の場所という地理的な結びを越えて、何と言ってもそこで主を礼拝するという、主ご自身との結びつきでした。彼らが願ったのはエルサレムへの帰還以上に、主なる神とともにあり続けることだったのです。それゆえにまた詩人は願います。「主よ、思い出してください」と。主を、この悲惨な私たちの姿を思い出してください。主よ、自分たちを傷つけた者たちを思い出してください。主よ、思い出してください。
 私たちも今晩、この言葉を心に留めたいと思います。主よ、思い出してください。覚え続けてください。忘れないでください。そのままにしないでください。立ち上がって手を差し伸べてください。あなたの助けを待ち望んでいます。そういう叫びを私たちは今晩、主に向かって心から叫び、祈り求める者でありたいと願います。皆が忘れ去っても、私たちは覚え続けたい。そして思い出してくださいと言い続けたい。この夕拝をいつまで続けるか分かりません。しかし、本当の復興、本当の回復の時が来るまで、私たちの小さな祈りを捧げ続けていきたいと願います。



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