東日本大震災から6年を覚えての夕拝説教  2017/03/12
『いつも祈りのたびごとに』

ローマ1:9-10


 今晩の夕拝は、東日本大震災から6年を覚えての特別の礼拝としておささげしています。震災から一区切りという空気が強まる中、むしろ被災地が置き去りにされていくような現実に抗って、主の憐れみと恵みを祈り求め、とりなしの手を挙げ続けるために、ともに御言葉に耳を傾けてまいりたいと願います。

(1)いつも祈りのたびごとに
 今晩、開かれている御言葉は、ローマ1章9節、10節ですが、特に心に留めたいのが、次の一節です。「私はあなたがたのことを思わぬ時はなく、いつも祈りのたびごとに、・・・あなたがたのところに行けるようにと願っています」。本来、聖書の御言葉というのは、前後の文脈に沿って読むことが大切で、その中のある一部分だけを切り取るような読み方はいけないのですが、今晩は敢えてその禁を破り、この箇所の文脈を脇に置いて、パウロの祈りの姿勢に目と心を向けたいと思うのです。
 パウロは、海を越え、山を越えてのいのちがけで福音を伝える「宣教の人」、時に精緻な議論を積み重ね、時に大胆率直に敵を論破し、時に並み居る権力者を向こうに回して福音の真理を証しする「神学の人」、「論述の人」という印象が強いのですが、書簡を繰り返し読んでみて気づくのは、彼が「祈りの人」であるという事実です。パウロは実に良く祈る人です。旅の途上にあっても、獄中にあっても、いつも祈る人です。しかもその祈りの大半はとりなしの祈りです。自分のための祈りでなく、誰かのための祈りなのです。そしてパウロのとりなしの祈りは、実に忠実で息の長い祈りです。祈り続ける祈り、覚え続ける祈り、まさに「あなたがたのことを思わぬ時はなく、いつも祈りのたびごとに」という祈りの姿なのです。
 この数日、ニュースでは被災地からのレポートが増えます。新聞もテレビも特集を組みます。貴重なドキュメンタリーも放映されます。大事なことです。けれども一方で思う。震災から6年。この時期以外にいったいどれほど被災地のことが意識に上るだろうかと。「3.11を忘れない」と言われます。大事な合い言葉です。でも「忘れない」という否定形よりも、「覚える」ということを大切にしたいと思います。「あなたのこと忘れない」というよりも、「あなたのことを覚えている」と言いたい。もっと言えば「覚えている」というだけでない。「覚え続けている」と言いたい。しかし、現実には、どれほど私たちは忘れやすいものだろうかと思うのです。

(2)覚え続けること
 覚え続けるためにはエネルギーが必要です。漫然としていてはすぐに忘れてしまう。それが私たちの現実です。覚え続けるためには、それが絶えず自分の心の中にあり続けるように、努力や工夫をしなければならない。それも一度、二度ということでなく、絶えずそうし続けなければならない。覚え続けるためには自覚的でなければならない。その事柄に心を向け、考える続け、意識し続けることが必要です。どれもこれも大変なことです。よく申し上げることですが、私は毎年1月17日が近づくと決まって読む本があります。阪神淡路大震災の時に亡くなった方々の名前と住所と年齢をひたすら綴っている『五千人の鎮魂歌』という本です。私は自分が忘れやすく、何事も長続きさせることが苦手な者なので、あの出来事を覚え続けるために敢えて自分にこの読書を課しているのです。
 ここに六冊の本を持ってきました。岩波書店から出ている『3.11を心に刻んで』という本です。2011年5月から始まって、毎月11日に三人ずつの書き手が過去の様々な言葉を引いて、その言葉に思いを重ねながら3.11の出来事を記憶し続けるというエッセイ集です。一巻目は2011年5月から2012年2月まで、二巻目が2012年3月から2013年2月まで、三巻目が2013年3月から2014年2月、四巻目が2014年3月から2015年2月、五巻目が2015年3月から2016年2月、そして六巻目が2016年3月から2017年2月まで、岩波書店のホームページに連載されたものが書籍化されています。ちなみに2014年1月11日には松永美穂姉が登場しています。私はできるだけこの連載を読み、一年分が本になると買い求めて来たのですが、こういう営みは、地味であっても大切なことだと思います。忘れないというだけでなく、覚えるための手立て、覚え続けるための手立てを提供してくれているのです。
 
(3)祈りの中で覚え続けること
 昨日、お茶の水で「ふくしまHOPEプロジェクト」の記念集会が開かれました。そこでこれまで5年にわたって続けて来た福島の子どもたちのための保養キャンプを振り返り、スタッフたちが証しをしてくださいました。私は事務局長という立場で、もっぱらプロジェクト運営の段取り仕事、人とお金に関わる仕事をして来たので、実際に保養キャンプに帯同したのは始めの頃の二回ほどで、子どもたちとの関わりは本当に薄いのですが、この5年間、ずっと子どもたちと関わり続けてくださったスタッフたちの話を聞きながら、震災後の過酷な日々を生きぬいて来た子どもたちを見守り続け、彼らの成長、変化を励まし続け、そのご家族に寄り添い続けてくださったその働きは、まさに祈りそのものだと思ったのでした。
 覚え続けるというのは身体的なことです。祈りが造り上げ、動かす身体があるのだと思います。また実際に身体を動かすことで祈り続けることが可能になるということがあるのではないでしょうか。パウロが「あなたがたのことを思わぬ時はなく、いつも祈りのたびごとに」と祈った中身は、「何とかして、今度はついに道が開かれて、あなたがたのところに行けるようにと願っています」というものでした。そしてこの祈りを祈り続けていく中で、実際にパウロはローマを目指すのです。祈りがパウロの身体を動かし、身体が動き出すことで祈りは切なるものとなっていったのです。
 震災から六年が経ち、なかなか意識していなければこの現実を日常の中で知ることも乏しくなり、身体で覚えることも少なくなっています。だからこそ、今晩私たちは主の御前に願い求めたいと思います。私たちのうちに住んでいてくださる聖霊の神によって、私たちの限界を超えて、とりなし祈る者へと具体的に造り替えていただきたいと願うのです。
(4)福島に通い続けて
 私は2011年3月14日に教団震災復興支援本部が立ち上がってから、教団の震災関連の実務責任者として奉仕して来ました。ふくしまHOPEプロジェクトとの関わりも、もとを正せば教団からの派遣ということで始まったものです。けれどもその後、2015年3月で教団震災復興支援本部が活動を終え、東北宣教プロジェクトに引き継がれた後も、福島との関わりは続いてきました。昨年からは2ヶ月に一度となりましたが、それまでは毎月一回、郡山に出掛けていってプロジェクトの事務局会議を続けています。朝、大宮から新幹線に乗って郡山に向かう時と、帰りの大宮までの新幹線の時とで、いつも私の心は大きく揺れます。自分がしていることの意味を問われるのです。
 けれども、ふくしまHOPEが2012年に始まってからの五年間、毎月毎月福島に通い続けてくるとができたのはなぜかと考える。そこで行き着くのは、この郡山往復の道のり、そこでの時間が、私にとっての「私はあなたがたのことを思わぬ時はなく、いつも祈りのたびごとに」という祈りそのものであるという事実なのです。そうでもなければ祈り続けられない、覚え続けられない、そんな私に神さまが与えてくださった祈りの手段、それが毎月、福島に通い続けるという身体的な動きなのでした。
 福島市の教会復興ネットワークに初めて顔を出したのは、震災から半年後の2011年9月のことです。それから幾度かの話し合いを重ねる中で保養プロジェクトが動き出して今日に至っています。昨日の集まりの後で、「自分はこれから福島とどう関わっていくのか?」と自問しました。これまでに何度も問うてきた問いです。そのたびに自分の中で確認するのが、2013年の宣教フォーラム・福島でお話ししたことです。2015年の秋に天に戻られた鈴木真先生の代打で頼まれた講演でしたが、これがその後の福島との関わりの、自分なりの覚悟が決まった時でもありました。フォーラム講演集『フクシマを共に生きる』(いのちのことば社、2014年)に収められた講演の結びの部分をお読みします。
 「福島の地に建てられた教会は、痛み、傷つき、うめくこの地とそこに生きる人々と「ともに歩む教会となるために」遣わされていく。日本の各地に建てられた教会は、痛み、傷つき、うめく人々とともに歩もうと自らも痛み、傷つき、うめききつつも、それでも懸命に歩んでいる、いや歩んでいるなどという簡単な言葉ではない、むしろ這うようにしてでも、匍匐前進のようにしてでも、半歩でも一歩でも福音のために進もうとしている福島の教会と「ともに歩む教会となるために」、やはりここから遣わされていくのです。
 福島に限らず、東北の被災地の教会は震災前からどこも苦闘の連続だったでしょう。東北に限らず、日本のそこかしこでも、福音のための苦闘はずっと続いて来ました。都会も田舎もどこも地方伝道の現場です。しかし中でも震災によって東北の教会は痛めつけられました。東北ヘルプの代表の吉田隆先生が書かれたある文章に、これまで苦労続きだった東北の教会を主はなぜこうまで痛めつけるのか、という必死な叫びがありました。実際に震災後、信徒が減り、教会の力が衰え、牧師も疲れ果て、しかも先の見えない不安の中で、後ろからは「がんばれ、がんばれ」と言われたり、「いつまで支援ですか」と言われたり、「目立っていいですね」などと心ない言葉を掛けられることさえある。いったい希望はあるのか。希望を語る教会が一番、その希望が揺らいでしまっている時かも知れません。
 しかし、主によって愛され、主によって派遣される教会は、見えるところではじっとそこに佇むほかないような姿に見えても、実は神の国の完成に向かって今日も動いているのです。その意味で私たちの教会論は極めてダイナミックな、動的な教会論です。しかもそれは私たちの力で自らを奮い立たせ、力を振り絞って前に押し出していくというよりも、終末を待ち望む希望の力によって押し出され、神の国の完成の方から引き寄せられていく終末論的な動きの中にあるのです。十字架から復活へと進み、苦難から栄光へと進まれたキリストはすでに世に打ち勝った圧倒的な勝利者であり、小羊イエスの支配される神の国は必ず来る。そして完成する。その日を目指して私たちは遣わされていくのです。復活のキリストの栄光の御体には十字架の傷が残っていた。その意味は重要です。傷ついた福島、傷ついた東北の傷もまた、完成する神の国においては主の義と聖と贖いの大事な印となるはずなのです。
 この講演を準備するにあたって、マルコ福音書6章7節の主イエスによる弟子の派遣の御言葉が与えられました。「また、十二弟子を呼び、ふたりずつ遣わし始め、彼らに汚れた霊を追い出す権威をお与えになった」。ここで今晩私たちは、主イエスが言われた「ふたりずつ」ということを心に刻みたいと願います。この主イエスの御言葉を「あなたも福島の教会と一緒に行け」との語りかけとして受け取りたいのです。
 教会は「旅人・寄留者」としてのこの地に遣わされています。その旅路は一人で行くものではありません。私たちには旅人として「この地」に対して果たすべき責任がある。しかしその責任は実に重大で、とても一人では担いきれない重荷です。福島の重荷は、福島に生きる教会だけが担う重荷ではない。東北の重荷は、東北に生きる教会だけが担う重荷ではない。主イエスは私たちを弟子仲間として、しもべ仲間として、「一緒に行け」と言ってお遣わしになるのです。一緒に行ったからといって何の役に立てるのかも分からない。足手まといになるだけかも知れない。よそ者が来て何かが出来ると言えるほど簡単な旅ではない。まして自己満足に食べ散らかし、野次馬のようにやってきて、旅の恥は掻き捨てで後始末をしてもらうような迷惑千万な旅人にすらなりかねない。そうやって躊躇する自分がいることにも気づきます。それでも主イエスは私たちに、「あなたも一緒に行け」と言って遣わされる。一緒に行くことで何かが変わるかもしれない。ただ一緒にいるだけで恐れが和らぐかもしれない。不安が軽くなるかも知れない。話し相手になれるかもしれない。疲れたら代わりに重荷を負うことができるかもしれない。とにかく一緒に歩くこと。それが愛なのではないでしょうか。毎月毎月、福島と東京を行き来しながら、自分にできることは通い続けることだと言い聞かせています。そうやって自分も福島の教会とともに歩む教会の一部とならせていただきたいのです。
 ふたりの弟子が行く道には、必ず主イエスが伴ってくださいます。「わたしはあなたとともにいる」と言われる主は、「わたしはあなたとともに行く」と言ってくださる主であられ、聖霊においてキリストと私たちは分かちがたく結び合わされ、またキリストにあって私たちもまた互いに堅く結び合わされている。そしてその結びつきは苦難の道においてこそ一層緊密にされていくのです」。



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