「東日本大震災から5年を憶えての夕拝」説教 2016/03/13
『ともに苦しみ、ともに喜ぶ』

Iコリント12:26
 
(1)あの日のこと 
 今晩の夕拝は、東日本大震災から5年を憶えての特別の礼拝としてささげています。
5年前の3月11日、14時46分に大きな地震が起こりました。私は千葉で地震に遭遇し、8時間かけて夜中の2時前に家に着き、家内や子どもたちは無事だったものの、満は修学旅行先の沖縄で足止めになり、まだ全員が揃うには至っていませんでした。その日はそのまま明け方までニュースにかじりつき、朝になって教会員の特に高齢者やお一人暮らしの方のところに電話を掛け、自転車で様子を見に行って、夜になって落ち着かないまま礼拝の準備をしました。
 そして二日後の3月13日、日曜日を迎えました。早朝礼拝、教会学校に続き、朝の礼拝では詩篇121篇が開かれ、被災者のためのとりなしの礼拝としました。礼拝後、午後のすべてのプログラムを中止して、皆さん自宅に戻られました。夕拝も休止となりました。皆さんが帰ったあとの午後、しばらく二階の部屋で当時実習神学生であった高木創兄とひとしきり話したことを憶えています。何を話したかは記憶にありませんが、今になって思えば、私自身も誰かと話さないと不安だったのかもしれません。
またすぐそこのガソリンスタンドからの渋滞が教会の前の道まで繋がる中で、小松孝典兄が今後のためにと、二時間以上も並んで我が家の車にガソリンを入れてくださいました。
 日曜の晩から月曜日の朝にかけて、家内に被災地に行くことになるかも知れないと話し、月曜の朝に家内と満が車で買い出しに出てくれました。同時に当時、高麗聖書教会におられた吉持日輪生先生に電話して、被災地域への同行を打診し、そちらでも買い出しをしてくれるように頼み、その後、自転車で教団事務所に向かいました。予定されていた理事会と教団総会の中止が決まり、そのための対応を話し合う目的でしたが、事務所に集まることができたのは当時の理事長の安藤先生、総主事であった廣瀬先生と私の三名でした。ラジオを聴きながら当面の対応を話し合う中、福島第一原発3号機の水素爆発のニュースが入ってきました。日本は終わりかも、という思いが脳裏をよぎりました。そしてその日の夕方に被災地行きが教団派遣というかたちで決定し、夕方5時までにここに物資を届けてほしいと近隣教会に呼びかけて、集められた水や物資を詰めるだけ車に積み込みました。近所の方がその様子を見ていて「実家が福島なので」といって物資を届けに来られたことを憶えています。それから祈りの中に送り出されて被災地に向かいました。その後のことは『〈あの日〉以後を生きる』に記したとおりです。

(2)あの日から五年を経て
 あれから五年が経ちました。警察庁の発表では、3月10日現在の死者は15,894名、行方不明者は2,561名。この数字はこのところほとんど動きません。次に、2015年9月30日現在の震災関連死者数が3,407名。この数字は注意しておきたいものです。特によく見なければならないのが、このうちの1,979名が福島県であるという事実です。この中には、かなりの数のいわゆる「自死者」がおられます。地震と津波を生き抜いたものの、その後の苦しみ、悲しみに押し潰されるようにして自らいのちを絶つ方々がおられる。阪神淡路の地震のときに仮設での「孤独死」の問題が露わになり、その反省を踏まえて、いまでも仮設の自治会やボランティア、行政でも力を入れて戸別訪問を繰り返していますが、それでもこういう悲しい結末を迎えてしまうことがある。特に今年はちょうど五年前と同じ日付けですから、いつも以上に気を付けていないと家族を亡くされた方々、ひとりぼっちになってしまった方々が、亡くなった家族と会いたい一心で、死に引き寄せられていく心を抱きやすい。特に男性たちが、震災後からがんばってがんばって、もうこれ以上がんばれない、というところにまで来て、プツンと何かが切れてしまうということがあるのです。
 さらに、2016年2月26日復興庁発表の避難者数174,471名に上ります。この中には仮設住宅で引っ越しを繰り返している方、みなし仮設と呼ばれる住居にお住まいの方、借り上げのアパートや親類宅などに身を寄せている方々もありますが、とにかくコミュニティは分断されたままです。仮設住宅をお訪ねになった方もおられると思いますが、本当に狭い、質素なプレハブを何とか工夫しながら生活しているというのが現状です。壁も薄く、部屋も小さいところに震災からしばらくは何人もの家族が生活していました。今では自力で生活再建ができる人々で、仮設を出て自分たちの家を構え始めている例もありますが、かえってそういう力のない方々、経済的な問題や高齢者といった方々がどんどん取り残されている現状があります。また復興住宅が建ち始めていますが、まだまだ数が足らないために抽選で入居者が決まる。そうすると決まった人と決まらなかった人が出てくる。そうするとそれまで和気藹々やっていた関係がぎくしゃくしはじめて、互いに口もきけないような間柄になってしまう。空き家が増えた仮設は「集約」されて、また引っ越しを繰り返し、そこでまた見ず知らずの人と壁一枚を隔てた生活がはじまる。都市生活者には分からない感覚ですが、先祖伝来の土地に何百年も結びついて生きて来た方々にとって、その自分の土地を離れることがどんなにつらいことか。でもそういうことも五年も経てばあきらめさせられていく。「復興」という言葉は、言い換えれば「あきらめをつけさせる」ものだなと思ったりもするのです。
 福島は三重の被害を受けたところといわれます。地震、津波、そして原発の事故です。浜通り、中通り、さらに福島第一原発を挟んで南北が寸断されて、時間が経つにつれて問題も複雑化が進んでいます。県の県民健康調査は二巡目が終わりましたが、震災当時0歳から18歳までの子どもたちの甲状腺異常、甲状腺癌の発症率は明らかに「多発」の現状でありつつ、しかしそれが原発事故由来のものかどうかがはっきりしない。こういう中で、次々に避難指示は介助され、自主避難者たちへの支援は打ち切られるという方針が出されて、親たちは不安を抱えたまま、疲れ果てて、あきらめかけているという現実があるのです。

(3)「ともに苦しみ、ともに喜ぶ」ことの困難さ 
 今晩、Iコリント書12章26節の御言葉が開かれています。「もし一つの部分が苦しめば、すべての部分がともに苦しみ、もし一つの部分が尊ばれれば、すべての部分がともに喜ぶのです」。親しみのある御言葉であり、そらんじている方も多いことでしょう。震災が起こってからも、様々な場面で耳にし、また私自身も読み、紹介してきた御言葉です。けれども五年という年月を経て、そして今なお目の前にあるこのような現実を前にして、途方に暮れるような思いがします。一応、私も様々な場で「震災で支援活動をしている者のひとり」と紹介されて、話をしたり、文章を書いたりしているのですが、しかし実際には自分のしていることはいったい何だろうかと考えることが幾度もありました。いまもその問いの中にあります。いつもどこかで後ろめたさや負い目のような感覚を覚えるのです。
 「当事者とはだれか」、「当事者性とはなにか」。これは私がこの五年間、ずっと考え続けている大きな問いです。「ともに苦しむ」ということが、私たちにできるのかという問いです。震災で受けた傷、痛み、悲しみを同じ思いで共有できるかといえば、私たちは他者の心に近づくことはできても、それを自分のものとすることはできません。同じ経験をしていても、その受け取り方は様々です。その意味で誰も自分の経験した以外のことについて「当事者」になることはできない。けれどもそこで起こった出来事について、自分もそれを背負う責任があり、それを自分の問題として引き受けるという点では、私たちは誰もが「当事者」であり、また「当事者」となっていくのでしょう。それは単なる「同情」や「共に生きる」という言葉以上のものです。そこでは「痛み」が共有され、時には「怒り」や「憤り」さえも共有される必要がある。でもそれが難しい。問い始めると、また新たな問いがぐるぐると巡ります。「ともに喜ぶこと」も「ともに苦しむ」ことも、人間のなせることではないのだと痛感するのです。

(3)御霊のとりなしの中で
 けれどもパウロは、それがキリストのからだである教会において可能となることを教えています。それはキリストが教会のかしらであることと深く結びついています。からだのどこかの痛みを最初に感じるのは頭です。頭で痛みを認識したものが、全身に伝わっていく。果たしてパウロがどこまで人体の精巧さを知って、この「からだ」の類比を用いたのかは分かりませんが、しかし私たちには知り得ない、共有しえない、限界のある他者の痛みや苦しみ、悩みを、かしらなるキリストが一番に知り、共有し、その痛みをともに痛んでいてくださるので、その痛みの一端を、私たちもまたどうにか担わせていただいている、ということなのではないでしょうか。
 ローマ書8章26節でパウロは次のように言います。「御霊も同じように、弱い私たちを助けてくださいます。私たちは、どのように祈ったらよいかわからないのですが、御霊ご自身が、言いようもない深いうめきによって、私たちのためにとりなしてくださいます」。この御霊のうめきととりなしの中で、私たちは「ともに苦しむ」ことを身につけていくのでしょう。二週間前に、朝の礼拝で主イエスが私たちを「かわいそうに」思われたという、「スプランクニゾマイ」という言葉について学びました。深い同情、憐れみ、憤りや怒りさえ含むような、「はらわたがちぎれる」ほどの感情を表す言葉でした。

 いま、この私たちの時代、私たちの社会を見て、主イエスは「かわいそうに」思われているに違いない、「はらわたがちぎれるほど」の激しい感情を抱かれるに違いない。このままで良いはずがない。これだけの出来事が起こって、五年も経って、まだ17万人も避難生活をしていてよいはずがない。今も原発事故の何の手当もできないままに、他の原発を再稼働などしてよいはずがない。生きる希望を失っている人々がいる中で、オリンピックだなんだかんだと浮かれ、億、兆といったお金をつぎ込んていてよいはずがない。人のいのちと経済を天秤にかけて、いのちを犠牲にしてお金を取るような社会であってよいはずがない。いのちの尊厳が損なわれているのに、そして損なわれている人々が「しょうがない」とあきらめさせられているのを目の前にして、見て見ぬふりをして道の反対側を通って行ってよいはずがない。「だれが隣人になったのか」と問われる主イエスに、「私の隣人って誰ですか」などととぼけた質問を返している場合ではない。
 主イエスの抱かれた「はらわたちぎれるほど」の思いを、私たちもまた担わせていただきたい。そしてそこから、キリストによるまことの癒やしと回復へと進ませていただきたいと願うのです。まだ問いは続き、悩みも続き、葛藤も続きますが、しかしそれでもなお、復活のイエス・キリストが勝利者でいてくださるという福音の事実によって、生きることが許されている。この事実を共有させていただきたいのです。
 一昨年のことです。以前から教会で何かとお世話になっているH工房のA兄が、雨漏りのひどい屋根の様子を見るために久しぶりに訪ねてくださいました。一通りの作業が終わった後、近況を伺う中で、震災前後に大きな怪我をされ、しばらく落ち込んで仕事が手に着かなくなってしまったことを知りました。「怪我以来、怖くてしばらく電動工具を手にすることができなくなってしまったんです。トラウマになっちゃったんですね」と言いながら怪我の痕を見せてくださったのです。その後ある時に出かけた先で事故以来、はじめて電動丸鋸を握ることができ、その様子を見ていた方が被災地支援をしているクリスチャンで、ぜひ現地に来て助けてほしいと言われて以来、気仙沼や石巻で被災家屋の修繕に従事してこられたそうです。「神様がもう一度工具を握れるようにしてくださったんです。」と語るお顔を見ながら、傷から回復させる主の御力を覚えました。
 よみがえられた主イエスのお体にも、傷がありました。釘で打たれた傷跡、槍で刺された傷跡。復活のからだ、栄光の身体は、苦難を潜り抜けた身体です。そのことの意味を憶えたい。東北の地が真の意味で復興することは、一人一人の存在の尊さが取り戻されることをおいてほかにありません。そしてそのためにはどうしても希望が必要です。真の希望が人を回復させるのです。そしてそのためには、真の希望が必要です。私はこの希望がイエス・キリストにあると信じています。そしてこのキリストが私たちとともにいてくださるので、私たちはともに苦しむことができ、また苦しむばかりでない。ともに喜ぶことができる。この喜びの日を待ち望みつつ、悲しみの中にある人とともに、痛みの中にある人とともに、そしてそれになんとか一緒に経とうとしている皆さんとともに歩ませていただきましょう。



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