ルツ記講解その4  2018/02/25
『全能者とともに』

ルツ1:15-22

 今晩でルツ記1章を読み終えます。生まれ故郷ベツレヘムへと帰っていくナオミ、そのナオミにどこまでもついて行くルツ。彼女たちの人生の全体を導かれる全能者なる神さまのお姿を見つめてまいりましょう。

(1)ルツの決心
 モアブの地から故郷ベツレヘムに帰っていこうとするナオミ。二人の嫁に「それぞれ自分の母の家に帰りなさい」と語りかけ、それぞれの新しい人生を踏み出すようにと促すナオミ。そんな彼女との別れを惜しんで声を挙げて泣くオルパとルツ。決してポーズではない、互いを心から思い合う真実な涙のやりとりの後、オルパはナオミと別れの口づけをして去って行き、ルツはなおその場に留まっています。そんなルツにナオミが語りかけます。15節。「ナオミは言った。『ご覧なさい。あなたの弟嫁は、自分の民とその神のところへ帰って行きました。あなたも弟嫁にならって帰りなさい』」。
 もうこれ以上私に付き合うことはない。オルパも帰って行ったのだから、あなたも無理をしないで帰りなさい。ナオミからすれば、これまでの涙で十分すぎるほどのルツの気持ちは受け取ったということなのでしょう。これ以上の我慢は無用という心遣いのようです。ところがそれに対するルツの答えは、単なる我慢や無理というようなものを越えていました。16節、17節。「ルツは言った。『あなたを捨て、あなたから別れて帰るように、私に仕向けないでください。あなたの行かれる所へ私も行き、あなたの住まれる所に私も住みます。あなたの民は私の民、あなたの神は私の神です。あなたの死なれる所で私は死に、そこに葬られたいのです。もし死によっても私があなたから離れるようなことがあったら、主が幾重にも私を罰してくださるように』」。
 ここでルツの発した言葉に心引き寄せられます。ここにはこの書物の主人公となるルツという一人の人の姿が、鮮やかに映し出されていると言えるでしょう。ルツは決して人間的な情愛だけでナオミにすがりついているのではない。ナオミを思う余りに自分の感情を押し殺して無理をしているのでもない。彼女を動かしているものは、もっと大きく、もっと深く、もっと確かなものです。「あなたの行かれる所へ私も行き、あなたの住まれる所に私も住みます。あなたの民は私の民、あなたの神は私の神です。あなたの死なれる所で私は死に、そこに葬られたいのです」とルツが言うとき、そこでは彼女は自分の人生のこれまでの拠り所を越え出ようとしています。夫に先立たれ、子を持たないままの寡婦の存在ほど、寄る辺のない不安定な身分はありません。そんな彼女を支えてくれるのは、夫の残した財産、土地、家、家畜、培ってきた人間関係。しかもモアブはルツにとってのホームグラウンドであるということがせめてもの支えです。ところが彼女はそれらすべてを捨ててルツと一緒にベツレヘムに行くという。これまで自分を支えていたすべてのものを置いて、何もない世界へと越境していこうとするのです。
 しかし、そこで彼女を動かしているものの核にあるもの。それが「あなたの神は私の神です」の一言です。夫と息子たちに先立たれたヨブのようなナオミ。自分もまたそこで夫を喪うという経験をしながら、しかしルツは目の前にいるナオミの「主があなたがたに恵みを賜り」、「主がしてくださいますように」と語る姿に、彼女の信じる神を自分もまた信頼して生きていこうという決心を下したのではないでしょうか。それは無謀な挑戦ではなく、信頼に基づく決断です。

(2)全能者とともに
 ルツのこの決断をナオミは受けとめました。18節。「ナオミは、ルツが自分といっしょに行こうと堅く決心しているのを見ると、もうそれ以上は何も言わなかった」。こうしてナオミとルツは旅立ち、やがてエルサレムへと辿り着きます。19節から22節。「それから、ふたりは旅をして、ベツレヘムに着いた。彼女たちがベツレヘムに着くと、町中がふたりのことで騒ぎ出し、女たちは、『まあ、ナオミではありませんか』と言った。
 十年を超える月日の果てに帰郷したナオミを、人々は驚きを持って迎えます。もうこの地に戻ってくることはないと思っていたのかも知れません。まさか夫に先立たれ、二人の息子にまで先立たれ、哀れな身の上で故郷に戻ってくることになろうとは誰も想像していなかったのでしょう。ナオミの言葉が人々の心の思いをも代弁しているようです。「私をナオミと呼ばないで、マラと呼んでください」。「快いと言わず、苦しむ」と言って欲しい。ナオミの偽らざる心境です。しかもその中で、恨み節とも聞こえるような言葉を口にするのです。「全能者が私をひどい苦しみに会わせたのですから。私は満ち足りて出て行きましたが、主は私を素手で帰らせました。なぜ私をナオミと呼ぶのですか。主は私を卑しくし、全能者が私をつらいめに会わせられましたのに」。
 「全能者」、「シャッダイ」とは、旧約聖書の中に登場する神さまに対する呼び名の中でも特徴的なものの一つです。まず思い当たるのは創世記17章1節の「わたしは全能の神である。あなたはわたしの前を歩み、全き者であれ」との言葉ですが、その他の旧約聖書での使い方はほぼヨブ記に集中しています。こんなところにもルツ記とヨブ記のある種の共通性を見ることができると思いますが、ここでの「全能」とは、神さまの人の人生に対して及ぼされる力と言ってよいでしょう。ナオミの言葉は一見、神さまに対する恨み言のようでありつつ、しかし、その深いところでは一貫して自分の人生には神が介入しておられる。神の力が及んでいることを認めているということでしょう。神から離れて人生には何事も起こらない。それが喜びであろうと悲しみであろうと、願うことであろうと願わしくないことであろうと。自分の人生に主導権を取っておられるのは他ならぬ全能者、主なる神であるという信仰がここには言い表されているのです。ルツの信仰は、このようなナオミの信仰のもとに育まれていったでしょう。このナオミの信仰、ナオミを通してみる神さまの姿によって、ルツの信仰、ルツの神さまとの関係も整えられていったのだと思います。そのような経験を踏まえての、2章以降の出来事です。22節。「こうして、ナオミは、嫁のモアブの女ルツといっしょに、モアブの野から帰って来て、大麦の刈り入れの始まったころ、ベツレヘムに着いた」。このことばを深く心に捉えてルツ記を読むのとそうでないのとでは、大きな違いが生まれてくるでしょう。全能者とともに進むナオミ、そしてルツ。その姿を私たちも追いかけてまいりたいと思います。

 

 



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