ルツ記講解その3     2018/02/04
『主がしてくださいますように』

ルツ1:6-14

 今晩もルツ記1章を読み進めます。夫と二人の息子を立て続けに失ったナオミ、そして夫たちを失った若き女性ルツとオルパのやりとりを通して、彼女たちの交わりの中にあらわれる神さまの御手の業と、それに寄り頼んで生きる姿を見つめてまいりましょう。

(1)帰りなさい
 ルツ記1章を少しずつ読み進めていますが、今日の場面を読む中で繰り返されるのが「帰る」という言葉です。6節。「そこで、彼女は嫁たちと連れ立って、モアブの野から帰ろうとした」。ここでの「連れ立って」は、「一緒に」と「立つ」という二つの言葉ですが、「立つ」は実際にうつ伏せになっていたところから立ち上がる動作を表すと言われます。夫と息子たちを失ったナオミ、夫に先立たれてしまったオルパとルツ。深い悲しみと痛み、寂しさの中で、うつ伏せになってひとしきり涙していた姿を想像します。しかしやがてその涙の中から立ち上がると、新しい行動を始める。それが、ナオミがモアブの野から自分の生まれ故郷であるユダの地ベツレヘムに「帰る」ことでした。
 その一方で、8節で「帰りなさい」、11節で「帰りなさい」、12節で「帰りなさい」、15節で「帰りなさい」と繰り返されるのも印象的です。これはナオミが二人の嫁であるナオミとオルパに再三にわたって語りかけている言葉です。9節。「あなたがたは、それぞれ自分の家へ帰りなさい」。すなわち、あなたがたはいつまでも夫を亡くした悲しみの中に留まり続ける必要はない。それぞれにいつまでも寡婦として生きる必要はない。あなたたちはまだ若く、あなたたちの前には新しい人生がある。だからいつまでも私と一緒に居ることをせずに、新しい人生を生きなさい。さあそれぞれのところに帰って行きなさい。そのような促しなのです。
 この場面、読んでお気づきのようにナオミと二人の嫁ルツとオルパの会話のかたちが続きます。文章としてはナオミが「帰りなさい」と命じ、それに対して嫁たちは「いいえ、私たちは、あなたの民のところへあなたといっしょに帰ります」と、ナオミの言うことを聞き入れない。それでまたナオミが、「いや、そう言わずに帰りなさい」と重ねるという押し問答が繰り返される場面なのですが、声に出して読んでみると、そのやりとりの中に込められたお互いに対する深い思いやりと配慮が伝わって来ます。ナオミは二人の若い嫁たちの将来を案じ、彼女たちが年老いた自分を置いていくことに後ろめたさや気兼ねをかんじることのないように、敢えて気丈に振る舞っているようにも見えます。一方のルツやオルパも、単なる嫁としゅうとめの関係を超えて、心から自分の母のようにナオミのことを思いやっているのが伝わってくるのです。こういう真実で思いやり溢れた交わりがここにあるという事実を心に留めたいと思います。
 
(2)主がしてくださいますように
 そんなお互いの真実な姿が表れるのが、8節、9節のナオミの言葉です。「あなたがたは、それぞれ自分の母の家へ帰りなさい。あなたがたが、なくなった者たちと私にしてくれたように、主があなたがたに恵みを賜り、あなたがたが、それぞれ夫の家で平和な暮らしができるように主がしてくださいますように」。
 ナオミが二人の将来を主に託すにあたり、「あなたがたが、なくなった者たちと私にしてくれたように、主があなたがたに恵みを賜り、あなたがたが、それぞれ夫の家で平和な暮らしができるように主がしてくださいますように」と願っている。そこにはルツとオルパのナオミに対する、そしてそればかりでなく生前のエリメレク、またマフロンとキルヨンに対する誠実な姿勢があったことが見えてきます。「主があなたがたに恵みを賜る」とは「へセド」という言葉で「誠実、真実」を意味します。二人がナオミとその家族に示した誠実のように、主もあなたがたに誠実でいてくださるように。そしてそれぞれが新しい夫を持ち、新しい家庭を築き、新しい人生を生きられるようにと主がしてくださいますように。そんな祈りが込められているのです。

(3)主の御手が私に
 そんなナオミのことばを聞いてもなお離れようとしない二人に、ナオミはなおも言います。11節から13節。「帰りなさい。娘たち。なぜ私といっしょに行こうとするのですか。あなたがたの夫になるような息子たちが、まだ、私の母のお腹にいるとでもいうのですか。帰りなさい。娘たち。さあ行きなさい。私は年をとって、もう夫は持てません。たとい私が、自分には望みがあると思って、今晩でも夫を持ち、息子たちを産んだとしても、それだから、あなたがたは息子たちの成人するまで待とうというのですか。だから、あなたがたは夫を持たないままでいるというのですか。娘たち。それはいけません。私をひどく苦しませるだけです。主の御手が私に下ったのですから」。ここでのナオミの強い口調は、それだけ二人の自分に対する熱く強い思いを知っているからこその、その思いを断ち切り、自分自身に対しても決心を付けるための言葉のように思えます。嫁たちの心遣いが心底うれしく、それに頼ってしまいたくなる自分がいることに気づいているからこそ、その思いで彼女たちを束縛してはいけないと固く自分に言い聞かせているかのようです。
 しかしそれだけではない。ナオミはこの一連の経験を「主の御手が私に下った」と受けとめている。主がご自分の民を顧みを信じ、主が二人の嫁に恵みを賜ることを期待し、自分の身に起こったことは主の御手が下ったと受けとめる。このようなナオミの信仰の度量の大きさが心に留まります。主の御手の中で自分の人生を引き受け、主の誠実と恵みを相手の上に「主がしてくださいますように」と祈り求めて生きる。そのようなナオミの姿に教えられつつ進みたいと願います。

 

 



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