ルツ記講解その1    2018/01/07
『悲しみの人』

ルツ1:1-5

 今晩から、夕拝ではご一緒に旧約聖書の「ルツ記」を読み進めたいと願っています。旧約39巻のうち、この書物はエステル記と並んで女性が主人公という聖書の中では珍しいものです。わずか4章という短い書ですが、その内容は実に豊かで、物語性に富み、さらに聖書における重要な思想が取り扱われ、そして何と言っても、救い主イエス・キリストに繋がる大事な契機となる本書を、ともにじっくりと読み味わってまいりましょう。

(1)ルツ記という書物
 これまで夕拝で取り上げた旧約の書物は創世記、出エジプト記、エステル記などですがその際、いずれもこれを物語として読み味わうということを大切にして来ました。誤解のないように確認しておくと、これは旧約聖書が人間の作った物語だというのではありません。そうではなく、これは聖書の読み方に関することです。ある聖書学者の先生が、アメリカの黒人教会の説教の特徴についてこんなことを述べておられます。「多くの黒人教会では説教者に、立派な神学的説教よりも、むしろ聖書の物語をいきいきと語れる力を期待するのだそうです。エジプトで奴隷だったイスラエルを神はどんなに奇跡的に救い出してくださったか。馬小屋に生まれた主イエスが、どんなに貧しい者、苦しむ者とともに生きてくださったか。そういう聖書の物語を説教者が単純に、しかしいきいきと語る時、黒人教会の会衆はすぐ、それが自分たちの物語であることを悟ってしまうのです」。
 まさに旧約を物語として読むというのは、ここで言われているようなことです。ですからこの夕拝では、あまり細かな意味の解説、教理的な説明に言葉を用いるよりも、聖書そのものが物語る神さまの御手の導きの不思議さ、絶妙さ、人の愛や親切、いたわり、配慮などに心を留めながら、このルツ記という書物を読み進めていきたいと願っているのです。
 ルツ記という書物は、旧約聖書の中にあっても新約聖書との繋がりを強く意識させられる書物です。マタイ福音書1章にあるイエス・キリストの系図にはタマル、ラハブ、ルツ、ウリヤの妻といった女性たちが登場して来ますが、その中でも特に「ボアズにルツによってオベデが生まれ、オベデにエッサイが生まれ、エッサイにダビデ王が生まれた。ダビデにウリヤの妻によってソロモンが生まれ・・・」とあるように、本書の主人公ルツが重要な役割を果たしていることが分かります。また、本書の冒頭の1章1節には「ユダの地ベツレヘムの人」という表現が出てきて、私たちに主イエスのお生まれになった地名を思い起こさせますし、さらに2節の「彼らはユダのベツレヘムの出のエフラテ人であった」という言い方は、一サムエル17章12節の「ダビデはユダのベツレヘムのエフラテ人でエッサイという名の人の息子であった」に繋がり、先の系図と相まって、ダビデの子孫としてお生まれになった神の御子イエス・キリストへとやがて辿り着いていくことになります。
 このように、ルツ記という書物は、ルツという一人の女性の生き方と信仰の姿を物語るのみならず、この女性を用いて神が紡いで行かれる大いなる救いの御業を物語っているという点で、大変スケールの大きな書物でもあるのです。
(2)悲しみの人ナオミ、悲しみの人ルツ
 さて、今日は第一回目ですので、少し入り口のことに時間を割きますが、まずルツ記がどのような時代背景のもとで物語られているのかを考えましょう。そこで重要なのが1節の書き出しの次の言葉です。1節。「さばきつかさが治めていたころ、この地にききんがあった」。ここに「さばきつかさが治めていたころ」とあります。さばきつかさ、それはルツ記の前の書物である士師記の時代を指す言葉です。出エジプトを果たしたイスラエルの民は、40年に及ぶ荒野の旅の果てに、ようやく約束の地に入り、そこで土地が十二部族に分割されて定住の生活に入ります。しかし士師記2章を読むと、やがて世代が変わっていく中で「主を知らず、また主がイスラエルのためにされたわざも知らないほかの世代が起こ」り、彼らは「主の目の前に悪を行い、バアルに仕え」、またアシュタロテといった異教の神々に仕えるようになってしまいました。そこで主の裁きがくだる中、主がお立てになったリーダーが「さばきつきあさ」と呼ばれる人々だったのです。
 ルツ記の直前、士師記21章25節には「そのころ、イスラエルには王がなく、めいめいが自分の目に正しいと見えることを行っていた」とあり、そしてルツ記1章1節が「さばきつかさが治めていたころ」とありますので、ルツ記の時代背景がまさに士師によって治められつつも、神の前にめいめいが自分の正しいと見えることを行う、神不在の社会、時代であったことが分かるのです。
 そのような中で登場するのが、ルツと並んで本書の準主役と言ってもよい、ルツのしゅうとめのナオミという女性です。ルツ記1章1節から5節は実に簡潔に手際よく、このナオミとルツの置かれた状況、本書の舞台設定を据えていきます。「さばきつかさが治めていたころ、この地にききんがあった。それで、ユダのベツレヘムの人が妻とふたりの息子を連れてモアブの野へ行き、そこに滞在することにした。その人の名はエリメレク。妻の名はナオミ、ふたりの息子の名はマフロンとキルヨン。彼らはユダのベツレヘムの出のエフラテ人であった。彼らがモアブの野へ行き、そこにとどまっているとき、ナオミの夫エリメレクは死に、彼女と二人の息子が後に残された。二人の息子はモアブの女を妻に迎えた。ひとりの名はオルパで、もうひとりの名はルツであった。こうして、彼らは約十年の間、そこに住んでいた。しかし、マフロンとキルヨンのふたりもまた死んだ。こうしてナオミ二人の子どもと夫に先立たれてしまった」。
 ここには実に簡潔に、ナオミという女性の置かれた境遇、そしてその息子の嫁として登場するルツの姿が描かれます。詳しくは次回あらためて考えるとして、今晩ここではっきりとしていることは、ナオミは夫エリメレクと二人の息子に先立たれるという悲しみを背負った女性として、またルツも夫と義弟を失うという悲しみを背負った女性としてここに登場しているという事実です。この後、物語を読み進めていくと、ナオミもルツも、時に大胆に行動し、時に慎重に思い巡らし、時に鮮やかに機転を効かせ、時に潔く決断する姿を見せます。しかし私たちは彼女たちのこのような振る舞いを見る度に、その始まりが愛する者との別れの悲しみを背負っていたという事実を忘れずにおきたいと思います。この悲しみからすべて始まっていき、それがやがて神の子イエス・キリストへと繋がっていく。この歴史を見る目、神の物語を動かしている人間の悲しみの現実を見届ける目を、しっかりと保ち続けたいと思います。

 

 



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