ローマ人の手紙講解その61   2020/07/05
『心を新たに』

ローマ12:1-2

 7月第一の主日を迎えました。夏の季節を迎えていますが、新型コロナの影響もいまだ拭えず、九州では大雨の被害が広がっています。主の助けと顧みの御手が差し伸べられるよう祈りましょう。一方で、そのような中にも先週の礼拝後には新会堂建築起工式を執り行い、いよいよ工事が始まっています。そして今朝も主の御前に集うことのできる恵みを覚えています。「主のあわれみは朝ごとに新しい」と告白してこの礼拝から遣わされてまいりましょう。皆さんお一人一人に主の祝福がありますように。

@新しい生活様式
 今日は東京都知事選挙の日です。私たちの住む町、そしてこの国のあり方にも大きな影響を及ぼす首都の首長を選ぶ大切な選挙です。特に新型コロナウイルス感染の中にあって人々のいのちと生活をどのように支え、守るのか、ふさわしいリーダーが立てられるように祈りつつ、都民の方は選挙に臨んでいただきたいと思います。今回のコロナウイルス感染の広がりの中で、いくつもの新しい言葉や耳慣れない言葉を耳にするようになりました。「三密」、「ソーシャルディスタンス」、「オーバーシュート」、「クラスター」、「ロックダウン」、「PCR」などなど。特に感染拡大を防ぐためということで推奨される「新しい生活様式」という言葉が繰り返されています。飛沫感染や接触感染を防ぐために、三密を避けてソーシャルディスタンスを取る生活のことと説明されます。私たちもこの礼拝堂を30人に限定して、互いの距離を取りながら座っています。
 ある人は「ソーシャルディスタンス」と言わずに「フィジカルディスタンス」と言おうと勧めます。身体的な距離は置きつつも互いの間に隔たりを作らない。大事な言葉の感覚と思います。実際に世界の各地で様々な民族的な分断、政治的な対立、経済的な格差など様々な隔たりが生まれている今、コロナ禍はそれらを一層押し広げ、深刻にしているように思えます。本当はこのような事態を覆すような「新しい生活様式」が必要なはずです。そして聖書はそのような「新しい生活様式」を示し続けてきました。それがこの朝開かれているローマ書12章の特に2節の御言葉です。
 2節。「この世と調子を合わせてはいけません。むしろ、心を新たにすることで、自分を変えていただきなさい。そうすれば、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に喜ばれ、完全であるのかを見分けるようになります」。1節で「ですから、神のあわれみによって、あなたがたに勧めます」と言って語り始めたパウロは、まず「あなたがたのからだを神に献げよ」と言いました。続いて今日の2節では「心を新たに」と言われる。「からだ」と「心」。まさに私たちの存在の全体、私たちの生き方の全体を指す言葉です。

A「この世」の型枠でなく、「福音」の型枠へ
 「この世と調子を合わせるな」とはいったいどういうことなのか。「自分を変えていただく」とはどういうことなのか。確かに分かるようでなかなか分かりづらい。そんな御言葉です。2節はギリシャ語で読むとはっきりとした対比の言葉であることが分かります。日本語ではそのニュアンスを表現しづらいのですが、英訳聖書では「do not be conformed」、「but be transformed」と言われる。「この世と同じかたちをとるな。新しいかたちに変えられよ」というのです。
 私の最近の「新しい生活様式」の一つは朝に夕に会堂工事の現場に行って様子を見て、写真を撮ることです。工事現場は本当におもしろいし、勉強になります。教会のすぐ近くでしばらく前から老人施設の建設工事が進んでいます。牧師館のベランダからよく見えるので毎日様子を見るのですが、最近よく目にするのは型枠職人さんたちの仕事ぶりです。柱を立て枠板を張り巡らして型枠を作り、そこにコンクリートを流し込んで行くことで、やがて型枠を外すと壁や床が出来上がり、フロアがどんどん作られていく。先週、この御言葉を思い巡らしながら工事現場を眺めていて思ったことがありました。ここでの「この世と調子を合わせるな。自分を変えていただく」を例えて言うなら、「この世」という型枠に流し込まれて作られるのでなく、「福音」という型枠に新しく流し込まれて形造られるということだなと。私たちが罪赦され、神の子とされ、聖なる者とされ、神にささげた者として形作り直されるようにというのです。
 「この世」の型枠に取り込まれてしまう。思い起こすのは夕拝で学んだ第二テモテ4章10節の言葉です。「デマスは今の世を愛し、私を見捨ててテサロニケに行ってしまいました」。かつて一緒に主に仕えた同労者デマスが自分を捨てて去って行ってしまった。その理由として語られるのが「今の世を愛して」ということだった。それが実際にどのようなものであったかは定かではありません。流行の考え、価値観、思想。そういうものに比べて主イエスの十字架と復活の福音は、何かしら時代遅れの古びて色褪せたものに見えてしまったのかもしれません。せっかく与えられた救いの喜び以上のものを「今の世」に見てしまうという現実。大いに問われるところです。今の時代の価値観もまた私たちを揺さぶります。お金がすべてという価値観、力ある者が総取りしていく価値観、憎悪と差別を剥き出しにしていく価値観、弱いものをさらに蹴落としていく価値観、自分さえよければ他人はどうなろうと構わないという価値観、今の時の快楽がすべてだという価値観、そうした流行廃りの波の中で、私たちも教会も、この時代に生きる者であるがゆえに、ある時には知らず知らずのうちに、またある時には自覚的に、その型枠の中に取り込まれてしまいやすい弱さを持っています。事実、教会は過去の歴史において多くの過ちを繰り返して来ましたし、今も繰り返しています。
 だからこそ、私たちは「この世」の価値観に自らを準拠させて生きるのでなく、福音によって生きる者とされたいと願うのです。そのためにも繰り返し福音の知らせ、喜びの知らせを聴き続け、その福音の喜びにこそ、この世のいかなるものをもってしても替えがたい真の喜びであることを受け取って生きる者となりたいと願います。十字架と復活の福音に固着し続ける。その大切さを覚えたいのです。

B心を新たに
 では私たちが新しい型枠によって形造られていくためには、どうすればよいのか。2節をもう一度読みます。「この世と調子を合わせてはいけません。むしろ、心を新たにすることで、自分を変えていただきなさい。そうすれば、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に喜ばれ、完全であるのかを見分けるようになります」。かつての第三版でも読んでおきます。「この世と調子を合わせてはいけません。いや、むしろ、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に受け入れられ、完全であるのかをわきまえ知るために、心の一新によって自分を変えなさい」。特に最後の最後の一文、「心の一新によって自分を変えなさい」が新改訳2017では「心を新たにすることで、自分を変えていただきなさい」となっている。「変えなさい」が「変えられなさい」と受動態として訳出されてずいぶん印象が変わりました。自分の努力や頑張りで変われ、というのでなく、変えられよ、です。しかも1節の「あなたがたのからだを神に献げよ」が一回的、決定的な勧めであったのに対し、「自分を変えていただきなさい」は反復的、継続的なこと、すなわち「変えられ続けよ」と言うことです。いくつかの御言葉を読みたいと思います。まずは第二コリント3章18節。「私たちはみな、覆いを取り除かれた顔に、鏡のように主の栄光を映しつつ、栄光から栄光へと、主と同じかたちに姿を変えられていきます」。またピリピ3章21節。「キリストは、万物をご自分に従わせることさえできる御力によって、私たちの卑しいからだを、ご自分の栄光に輝くからだと同じ姿に変えてくださいます」。さらにいつも聴いている第二コリント5章17節。「だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古い者は過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました」。要するに、私たちが変えられるのはキリストによってだ、ということなのです。それはこれまでローマ書で学んで来たことで言えば、キリストと接ぎ木され、キリストのいのちに生かされ、聖霊が私たちの内に住んでくださる聖化の御業と言ってもよい。聖霊が私たちのうちにあってキリストのいのちに生かし、私たちの心を新たにし、福音的な存在へと形造り直し続けて行ってくださるのです。
 その時に2節は言います。「そうすれば、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に喜ばれ、完全であるのかを見分けるようになります」。この御言葉が語る生き方、それは地上の民でありつつ神の国の民として生きる生き方です。次週以降学びますが、ローマ書12書以下はしばしばマタイ5章以下で主イエスが語られた「山上の説教」との共鳴する言葉が続くところです。私たちがこの世、この時代の型枠にはまって生きるのでなく、御国の型枠で形造られる。それが主イエスが願い、また与えてくださっている新しい生き方なのです。この新しい生き方の一つの端的な姿をパウロは21節で示します。「悪に負けてはいけません。むしろ、善をもって悪に打ち勝ちなさい」。ある聖書学者は「恵みの構築力」と言いました。悪の現実で形造られる世界に対して、善の力で新しい生を形造る。毒をもって毒を制する生き方でなく、愚直に善を行い、愛によって世界を作り変えていく。それではやられっぱなしではないか。むしろ目には目、歯には歯ではないか。聖書は綺麗事を言い過ぎる。建前を言い過ぎる。そう思う私の心がある。しかしそれはこの世の型枠の思考であって、福音によって形造られる者はそうではないのです。ちょうど今朝の聖書日課、一ペテロ3章9節もこう勧めるとおりです。「悪に対して悪を返さず、侮辱に対して侮辱を返さず、逆に祝福しなさい。あなたがたは祝福を受け継ぐために召されたのです」。これが私たちの新しい生活様式、新しい生き方だと心定めて生きてまいりましょう。

 

 



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