ローマ人の手紙講解その59      2020/06/21
『ですから、あなたがたに勧めます』

ローマ12:1

 6月第三の主日を迎えました。いよいよ本日から共に集まっての礼拝が再開されました。こうして皆で集まって礼拝できることがどれほど大きな喜びか、主の民の原点、礼拝の原点を確認するための約3ヶ月であったことと思います。ま困難な日々は続きますが、主にある大きな喜びの中でつつ、主の御言葉の励ましを受け取ってまいりましょう。愛する皆さんに主の祝福を祈ります。

(1)ですから
 この朝からローマ書12章に入ります。「満を持して」という思いがあります。期待があります。この場所に集っての礼拝をローマ書12章1節の御言葉で再開するということの意味を繰り返し考えさせられてきたからです。今回の新型コロナ禍のもとでの教会の姿をある人はノアの箱舟になぞらえ、ある人はバビロン捕囚になぞらえました。何が相応しいかは分かりませんが、この数ヶ月を通して教会が困難の中を通され、立ち止まり、うずくまるような経験をさせられたことは事実です。そして今そこから少しずつゆっくりと、弱った手と衰えた膝をまっすぐに伸ばし、しばらくの苦しみの後で立ち上がり、再び歩み始めようとしている。その歩みをどこから始めるか。その始まりがローマ書12章1節にあるということを、この朝、互いに確認したいと思います。
 1節。「ですから、兄弟たち、私は神のあわれみによって、あなたがたに勧めます。あなたがたのからだを、神に喜ばれる、聖なる生きたささげ物として献げなさい。それこそ、あなたがたにふさわしい礼拝です」。1節は短い御言葉ですが、しかしとても濃度の高い、大切なことがたくさん詰まった御言葉です。ですから今日だけで扱うことをせず、次週も続けて読みたいと思っています。それで今朝取り上げるのは前半の言葉です。「ですから、兄弟たち、私は神のあわれみによって、あなたがたに勧めます」。「ですから」と始まる12章からローマ書は新しい展開を始めます。これまでも繰り返し学んで来たように、ローマ書は1章から11章と12章から16章に大きく二つに分けられる。前半が教理編、後半が実践編あるいは倫理編と言っておきたいと思います。救いの教えが語られ、そして救われた者の生き方が語られる。私たちが親しんでいるハイデルベルク信仰問答が、このローマ書の構造に従って書かれていますが、救いの教えを前半部で語り、後半の十戒の解説が語られるパートを「感謝の生活」と名付けています。信じた者の生き方。それは「感謝の生活」だと言った。ローマ書の核心を捉えたものと言えるでしょう。

(2)教理は倫理へ
 私たちも福音の教え、教理を学んで終わりではない。11章までで終わってはならない。そこからこの福音に生きる生活が始まる。その繋がりをローマ書12章1節は「ですから」と語り始めます。その意味では「ですから」は私からするとちょっとあっさりし過ぎ、確かに翻訳としてはそうなのですが、気持ちとしては新改訳第三版の「そういうわけですから」、新共同訳や聖書協会共同訳の「こういうわけで」と言っておきたいところです。
 では「そういうわけで、こういうわけで」とは、どういうわけなのか。こういう言葉は当然その前で語られたことを受け取っているわけですが、その場合にいくつかの可能性があります。一つ目は直前の11章30節から32節を受け取っているというものです。特に11章32節の「神は、すべての人を不従順のうちに閉じ込めましたが、それはすべて人をあわれむためだったのです」を受けて12章1節、「ですから、兄弟たち、私は神のあわれみによって」と続く。これは一つの大事な理解です。二つ目は8章38節、39節の「私はこう確信しています。死も、いのちも、御使いたちも、支配者たちも、今あるものも、後に来るものも、力あるものも、高いところにあるものも、深いところにあるものも、そのほかのどんな被造物も、私たちの主キリスト・イエスにある神の愛から、私たちを引き離すことはできません」を受けて「ですから、兄弟たち、あなたがたに勧めます」と続く。これもまたとても大事な理解です。そして三つ目、これがもっとも相応しい理解と思いますが、1章1節から11章の終わりまで壮大な神の救いのご計画とその実現を語って来て、「すべてのものが神から発し、神によって成り、神に至るのです。この神に、栄光がとこしえにありますように。アーメン」と頌栄を歌って、「ですから、兄弟たち」と続く。礼拝で終わって、また礼拝から始まる。私たちの生活のすべてが神の恵みに生かされたものであり、礼拝から始まり、礼拝に至り、またそこから礼拝が始まっていく。まさに今、ここで私たちがささげ、遣わされ、礼拝的な生活を送り、そしてまたここに戻ってくる。礼拝が生活であり、生活が礼拝である。そうして神の国の完成を目指して進んで行く歩みが、この12章1節の「ですから」、「そういうわけですから」で繋がっていくものなのです。

(3)神のあわれみによってあなたがたに勧めます
 今朝は1節の内容にこれ以上入ることはせず、次週を待ちたいと思いますが、最後に心に留めたいのが「私は神のあわれみによって、あなたがたに勧めます」というパウロの言葉です。日本語聖書では「ですから」、「そういうわけで」と始まりますが、もとのテキストの順序では「勧めます」という言葉から始まっています。「勧める」とは「慰める」、「励ます」とも訳される言葉で、ペンテコステでも学んだ聖霊の神が「慰め主、助け主」と呼ばれる時に用いられる言葉でもあります。パウロは12章からの倫理編、実践編、生活編を語り始めるにあたり「勧めます」と言う。それはいわばパウロの語り方の中心を現していますし、パウロのみならず福音の説教の中心を現していると言ってもよい。これから私たちが聴き始める言葉。それを私たちはどのような言葉として聴くのか。倫理編、実践編、生活編と聞くと少し身構える自分がいます。命令型で語られることに緊張を覚える自分がいます。つい力が入り、「がんばらなくては」と思う自分がいます。しかしローマ書は私たちに向かって「あなたを慰めます、あなたを励まします」と語り始めるのです。
 1節の御言葉を黙想する中で思い浮かんだのは、バルメン宣言第二項の次の言葉でした。「イエス・キリストは、我々のすべての罪の赦しについての神の慰めであるのと同様に、またそれと同じ厳粛さをもって、彼は我々の全生活に対する神の力ある要求でもある」。ここでの「神の慰め」と「神の力ある求め」ということ。これが今日からの12章以下を読み進めていく上での大事なポイント、勘所だと思うのです。すなわちここから語り始められる言葉は、まず何と言っても私たちへの「慰め」の言葉、「励まし」の言葉だという事実です。そこがずれてしまうと分からなくなる、苦しくなる。「慰め」とは気休めではありません。向かい合うべき相手から目線を逸らすことや目をつむることではありません。向かい合うべき相手と向き合いながら、しかしそのあなたを支える。あなたの傍らにいる。あなたと共に行く。それがここでの「慰め」です。ですから一緒にあそこまで行こう、私も一緒に行くから諦めないで進もうという「求め」にもなってくる。神の要求、神の命令は、神の約束が伴っていること、バルメン宣言の言葉で言えば、イエス・キリスト御自身が神の慰めそのものであり、また神の力ある求めそのものでもあって、後はあなた一人で頑張りなさいという話ではない。私が一緒にいるから。私が一緒に行くから。そう主イエスが私たちに語っていてくださることなのです。それがペンテコステにおいて実現した聖霊の降臨の意味です。ですから今朝、皆さんにもこれまでもそうであったように、これからも特に、12章以下の御言葉を聞いていくにあたり、これを主からのパウロを通しての「慰め」、「励まし」として聴いていくのだということを心に留めていただきたいと思います。
 最後に1節の「私は神のあわれみによって、あなたがたに勧めます」の「神のあわれみ」ということを心に刻みたいと思います。多くの注解者はここでの「あわれみ」は11章30節から32節で語られた「あわれみ」と同じ意味だと言います。原文では違う言葉が使われているのですが、しかし意味するところは同じだと。つまり神のすべての民に対する救いの御心としての「神のあわれみ」という意味だとするのです。しかし同じではないと言う考えもある。加藤常昭先生がこの箇所について、ここでのあわれみの意味を捉えるには第二コリント1章3節から5節を読むとよいと言われます。先日、WTPに加藤先生がゲスト出演なさって、そこで先生が長年牧会された鎌倉雪の下教会に赴任した最初、第二コリントの講解説教に取り組まれたと言われて少し驚きました。第二コリントから最初の説教をするというのは牧師の経験からするとちょっと珍しい。なぜそうしたかというと教会がその直前に大きな分裂を経験して痛みの中にあったこと、また先生御自身も大学紛争の中で当時教授会メンバーであった東京神学大学も大きく揺れて、その中で心病んでおられたこと、そのような中で精神科の先生に「説教だけは続けさせて欲しい」とまで言って取り組まれたのが第二コリントの説教だったというのです。二コリント1章3節から5節。「私たちの主イエス・キリストの父である神、あわれみ深い父、あらゆる慰めに満ちた神がほめたたえられますように。神は、どのような苦しみのときにも、私たちを慰めてくださいます。それで私たちも、自分たちが神から受ける慰めによって、あらゆる苦しみの中にある人たちを慰めることができます。私たちにキリストの苦難があふれているように、キリストによって私たちの慰めもあふれているからです」。
 これからキリストにある礼拝的な生き方のこと、生活のことを語るに際して、そこに困難がある、戦いがあることは分かっている。それゆえに傷つくことがあり、疲れ果てることがある。信仰の危機を経験することがあり、いのちの危機さえ経験するかもしれない。だから最初にパウロは神のあわれみを語る。いや語らずにおれなかったのでしょう。そして今朝、主はこの御言葉をもって私たちにも語っておられるのです。「ですから、神のあわれみによって、あなたがたに勧めます」。この勧め、慰め、励ましを受け取って遣わされてまいりましょう。

 

 



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