ローマ人の手紙講解その58   2020/05/24
『神に栄光とこしえにあれ』

ローマ11:33-36

 5月第四の主日を迎えました。今週も御言葉によって養われて進み出してまいりたいと思います。愛する皆さんに祝福がありますように。

(1)神の知恵と知識の富、神のさばき、神の道
 この朝に与えられている御言葉はローマ書11章の締め括り、そして前半部分、教理篇の締め括りです。ここまで来るとようやく眺望が開けてくる。そんな感慨を覚えるところでもあるのです。まだ16章まで続きますから、気を緩めることはできません。上りよりも下り、往路よりも復路のほうが転びやすいということもありますから、次回12章からまた新たな心持ちで御言葉に聴きたいと思いますが、それでもともかく今日、この御言葉をともに読むことのできる幸いを感謝したいと思います。
 今日の33節から36節はパウロによる賛美、頌栄です。有名なのは36節の「すべてのものが神から発し、神によって成り、神に至るのです。この神に、栄光がとこしえにありますように。アーメン」でしょう。大作曲家バッハが自分の書き下ろした楽譜の最後に署名代わりに「S,D,G」と書き込んだというのは有名なエピソードです。「ソリ・デオ・グローリア」、「神にのみ栄光がありますように」。究極の賛美、頌栄といってもよいこの言葉が今日の御言葉です。それとともに33節も心に響く賛美の言葉です。「ああ、神の知恵と知識の富は、なんと深いことでしょう。神のさばきはなんと知り尽くしがたく、神の道はなんと極めがたいことでしょう」。「ああ!」とパウロの感嘆の声が聞こえてくるようです。実際、ギリシャ語本文でも「おお!」という言葉が使われています。日本語訳も「おお!」でよかったのではないかと思いますが、とにかく感嘆、感動の叫び声が挙げられています。  
 これまでローマ書を学ぶ中で、時折起こるパウロの脱線ということに触れました。手紙を口述筆記で記しているパウロ。話ながらついスイッチが入り議論が脱線する。いきなり祈りになったり、賛美になったりする。そういうところにパウロの生身の信仰の姿が垣間見えてかえって心に響くのです。では11章の締め括りの賛美はどういうものか。どうもこれはパウロが勢いに乗って歌ったというより、むしろよく考えて言葉を選び、表現を整えた賛美であると言えます。神の知恵と知識の富は深い、神のさばきは知り尽くしがたい、神の道は極めがたい。こうした表現は思いつきのもの、ということでなく、考え抜かれて選ばれた表現と考えられるのです。英国の著名な聖書学者クランフィールドは、パウロがこの賛美を作るのに旧約聖書、黙示文書、ヘレニズムユダヤ教文書、ストア哲学、キリスト教礼拝で用いられた賛美などの用語、概念を自由に駆使していると分析しています。
 神の知恵と知識、神のさばき、神の道。それらは9章から11章で語られて来たイスラエルに対する神の救いのご計画の全体、ひいては1章から11章までで語られて来たイスラエルと異邦人を含む全人類、全被造物に対する神の救いのご計画の全体、そのアイデアとしての神の知恵と知識、その実行のための神の行動、そしてそれが実際に為されて来た救いの歴史。そういうものを山の頂に立って振り返り、神の民が辿って来た神の救いのご計画の壮大さと緻密さ、あわれみ深さと愛の大きさ、そういうものを見つめながら「おお!」と感嘆の叫びが挙げられているのです。

(2)誰が主の心を知っているか
 そしてパウロはここでも旧約聖書を引きつつ言います。34節、35節。「だれが主の心を知っているのですか。だれが主の助言者になったのですか。だれがまず主に与え、主から報いを受けるのですか」。これはイザヤ書40章13節の「だれが主の霊を推し量り、主の助言者として主に教えたのか」、またヨブ記41章11節の「だれが、まずわたしに与えたというのか。わたしの前に立つことができるだろうか」との二つの御言葉をあわせて引用したもので、要するに主の御心のすべて人が知り尽くすことができないというのです。
 このあたりは、私たちの信仰の営みを続けて行く上で大切な勘所ですので、あらためてよくとらえておきたいと思います。9章からの議論における一つのトピックはイスラエルに対する神の選びということでした。そしてその時に繰り返し確認してきたのは、聖書が語る神の計画、神の約束というものは決して何かしらの因果律、何かしらの法則、何かしらの秩序、何かしらの人の行い、何かしらの機械的な決定論のようなものではないということでした。小さな存在にすぎない私たち人間の知恵では分からないことは分からないとし、まして「主の助言者」になるなどという大それたことなどできるはずもない。そのわきまえを忘れないことは、信仰における誠実さです。しかしその一方で神を知るということもまた信仰における大切な姿勢です。分からないなら知る必要もない、と言ってしまわない。すべてが分からないわけでなく、分かることもあり、分かるようにと神さまが示してくださっていることもある。この見極めが大切です。
 5月からお茶の水聖書学院で組織神学序論という講義を担当しています。オンライン講義なりましたが、十数名の方々が熱心に学んでくださっています。その最初のところで「神を知るとはどういうことか」、「神学するとはどういうことか」ということをかなり時間をかけて考えました。そこで学んだことの一つは、繰り返しますようにあらゆる点で神さまを知り尽くすというのは人間にはできない。神さまは私たちがすべて知り尽くすことのできるような小さな神ではないということです。ということはどういうことか。それは私たちが神さまについて、また神さまの御心について答えを急がない、早合点しないということであり、知ったかぶりをしないということであり、自分勝手に判断し、勝手に結論づけないということです。今回の新型コロナのような出来事においては特にそうです。「これが神の御心です」などと軽々に口にすることは慎まなければなりません。
 けれどもそれでは神のことなど考えても分からないのだから、知っても無駄だと言ってしまって良いかというと、そういうことでもない。秘められたことと明らかにされたことをよく見極める知恵と洞察も大切です。前回「奥義」ということを学びました。神の奥義は秘められたままのものでない、明らかにされている。その明らかにされた奥義を受け取ること。そのために神さまが私たちに私たちが知るべきことがらをすべて明らかにしてくださっている、この聖書によく聴くことが何より大切なことです。そしてさらに個別と全体との関係をよく見極めることも大切です。一つ一つの個別の出来事の意味や意図をつぶさに知ることができなくても、全体として示されている神さまの御心、大きな矢印、大きな御心ははっきりしている。10章12節。「ユダヤ人とギリシア人の区別はありません。同じ主がすべての人の主であり、ご自分を呼び求めるすべての人に豊かに恵みをお与えになるからです」。11章26節。「こうしてイスラエルはみな救われるのです」。29節。「神の賜物と召命は、取り消されることがないからです」。32節。「神は、すべての人を不従順のうちに閉じ込めましたが、それはすべての人をあわれむためだったのです」と言われるとおりです。この神さまの明らかにされた御心は間違いなく確実に受け取っておきたい。大きな矢印、大きな御心の中で、個別具体の事柄も委ねて祈っていきたいと思うのです。

(3)神に栄光とこしえにあれ
 最後に36節。「すべてのものが神から発し、神によって成り、神に至るのです。この神に、栄光がとこしえにありますように。アーメン」。ここはもともとのギリシャ語本文を読むと「発し、成り、至る」という言葉はなく、ただ「すべてのものは神から、神によって、神に向かって」と、前置詞を重ねて表現されています。とにかくすべては神なしにはありえない。人の救いも世界の救いも、私のいのちもあなたのいのちも、生きる目的も価値も、この神を外したらそれらは無になってしまう。それほどのことが神にかかっている。だからその知り得ない神の救いのご計画の一端を垣間見たパウロは「ああ!」と感嘆せざるを得ない、そしてこの神の救いの明らかにされた奥義を知って「神に、栄光がとこしえにありますように。アーメン」と歌わざるを得ない、祈らざるを得ないのです。そしてこれに続いて12章の「ですから」という礼拝篇、実践編、生き方の問題に繋がっていくのです。
 今日、この礼拝から皆さんが明日からの日々に遣わされて行くのもまったく同じことです。神の愛を知り、救いを得て、神の御心の奥義を教えられ、「ああ!なんと深いことか、知り尽くしがたいことか、極めがたいことか!」と感嘆し、「すべては神から」と賛美し、「神に、栄光がとこしえにありますように。アーメン!」と頌栄をささげ、そしてここから遣わされて行く。そこに礼拝的な日常、礼拝的な労働、礼拝的な学び、礼拝的な奉仕の生活が始まっていくのです。4月から5月にかけて二人の神学生と先に召された渡辺信夫先生の『教会論入門』という書物を一緒に読みました。そしてその最後の言葉にみなチャレンジを受けました。「私たちの教会論のすわって論じておれる部分はここで終わります」。「すわって論じておれる部分はここまで」。次は立ち上がって続きを紡いでいかなくてはらならない。生き方をもって、生活をもって。食べる、飲む、学ぶ、働く、生きることそのものをもって。そして福音の証しを携えて遣わされて行くことをもって。皆さんひとりひとりの存在がこの混沌とした時代の中にあって、「神に栄光をとこしえにあれ」という矢印となっていくように、徳丸町キリスト教会がこの暗闇の多く世界にあって、「神に栄光とこしえにあれ」という矢印となっていくように。それが今日、主がこの御言葉をもって私たちに願っておられる御心なのです。全四巻、2000頁からなるローマ書の注解を日本語で書き下ろされたドイツ人のカトリック司祭カール・ワルケンホースト先生が、9章から11章を扱った『万民とイスラエル』の後書きでこの著作に取り組む目的をこう記しておられます。「目的はただ一つだけである。すなわち『みことばは無効にならない』というパウロのメッセージをきょうもあしたも日本人に宣教したいのである」。私たちもこの心意気をもって神の栄光を指し示しつつ証しに生きる者として遣わされてまいりましょう。

 

 



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