2012オープンチャーチ父の日歓迎礼拝 2010/06/17
『本当の絆』

ホセア11:1-4

 今朝は、徳丸町キリスト教会のオープンチャーチ歓迎礼拝にようこそお越しくださいました。この朝はじめて教会に足を運ばれた方も、また久しぶりにお集いくださった方も、心から歓迎申し上げます。私たちの教会では毎年この時期にこの地域におられる一人でも多くの方々を教会にお迎えし、イエス・キリストの愛と祝福をお届けしたいと願ってこのようなオープンチャーチ、歓迎礼拝を開いています。特に昨年来ささやかながら震災への支援の働きを続けていますが、午後のいわきで働いておられる横山大輔さんをお迎えしてのチャリティーコンサートもそのような支援の趣旨で行うことになっています。ぜひその歌声とともに、そこで歌われる言葉とその言葉に表れてくる信仰に触れていただきたいと願っています。
 また今日は「父の日」でもあります。日々、家族のために励んでおられるお父さんたちに心からの感謝とエールを送りたいと思います。ここに集われたお一人一人に、愛に満ちた主イエス・キリストからの恵みと祝福、そして励ましと力とが豊かにありますように心からお祈りいたします。

(1)絆の持つ力
 今回のオープンチャーチのテーマを「本当の絆」としました。昨年の年末に発表された2011年の漢字が「絆」、第二位が「災」、そして第三位は「震」であったことは記憶に新しいことですが、この「絆」という言葉は昨年以来、様々なところで合言葉のように語られています。人は互いに結びあって、繋がりあってこそ生きていける。今はインターネットの時代で、今回の集いの案内を教会のホームページでご覧になった方もおられるかと思います。ネット社会のすべてを手放しで肯定することはできませんが、昨年の震災以来すでにいくつもの指摘があるように、そこで情報を発信し、相互を繋げる絆の役割を果たしたのが様々なネットのツールであったこともまた事実です。電話も通じない、テレビも見られない、情報が全く入らないという中でツイッターやフェイスブックという道具がずいぶんと力を発揮したと言います。私も震災直後の昨年3月14日の夜にここを出発して茨城から福島に向かいましたが、途中、ずいぶん多くの方々がいろいろな情報を伝えてくれました。あそこの道は通れたとか、高速道路でも身分証明と事情を話せば先に行かせてくれたとか、どこそこのガソリンスタンドは給油できるとか、また実際に被災地にいる先生となかなか電話で連絡が付かず、安否確認ができなかったのが、そのような手段で始めてやりとりができたということもあったのです。
 また今、各地で「ネットワーク」という呼び名で様々な働きが繰り広げられています。上から下へという縦構造の組織ではなく、互いが緩やかに繋がって、それぞれが自分の出来ることを担い、出来ないことには助けを求め、出来ることから手を差し伸べ、互いに賜物を持ち寄って、知らない人同士が結び合い、そこからさらに新しい繋がりが広がって、というように支援の働きが続けられています。誰から頼まれたわけでもない。自分に何か得になることがあるわけでもない。でもそういう一文の得にもならないことのために喜んで犠牲を払う人々が少なからず生まれ始めているところに、私たちは希望の光を見ることができるように思います。
 
(2)本当の絆
 その上で、しかし私たちは人間の絆の限界をも知らされるものです。どれほど固い絆で結ばれていても、それは完全ではありません。いつしかその結びつきが緩んでしまったり、解けてしまったり、あるいは断ち切られるということが起こる。昨年来、「絆」という言葉がこれほど人々の間で語られたのは、それだけたくさんの絆の断ち切られてしまった事実を物語ってもいるのではないでしょうか。数多くの愛する人々を結ぶ絆が断ち切られてしまった。妻と夫の、親と子の、友と友の、いつも当たり前のように接していた多くのともに生きていた人々の間が引き裂かれていったのです。そればかりではありません。今なお絆が解けてしまっている現実が私たちの回りに立ちはだかっています。他者の苦しみへの想像力を失ってしまって、独りよがりな生き方に立ち戻ってしまっている現実がある。どれだけ言葉では「絆」と言っても、実際の生き方が苦しみの中にある人とともに生きることから切り離されて、その痛みや苦しみや悲しみ、怒りと程遠いところで生きてしまっている現実があるのではないでしょうか。
 この朝、旧約聖書の預言者ホセアを通して語られた神の御言葉が開かれています。ホセアは紀元前700年代に、北イスラエル王国で活動した預言者です。その頃の北イスラエル王国はヤロブアム二世という王の治世であり、国は経済的な繁栄を謳歌する一方で、人々の生活は目先の欲に動かされ貧富の差は増大していました。見た目には栄えていても、その精神的状況、霊的状況は堕落と退廃に転がり落ちていくようなあり様だったのです。こうして次第に国は内側から傾いて行き、ヤロブアムの死後は一気に国は混乱に陥り、周辺諸国からの脅威にもさらされて、ついには当時新興勢力として瞬く間に領土を拡大していた大国アッシリヤによって攻められ、紀元前722年に都サマリヤが陥落して、ついに滅亡に至るのでした。そのような困難な時代に神によって召されて立ったのが預言者ホセアです。神はホセアを通して民に向けてメッセージを発します。なぜ祖国が滅びることになったのか。その一番の原因はどこにあるのか。聖書における預言者というのは、多くの人がイメージするような未来に起こる出来事を言い当てる人のことではありません。むしろその時代に向かって、神からのメッセージを代弁する人です。そして多くの場合、そのメッセージは警告を含み、悔い改めを促す言葉であって、人々が耳を傾けたくない言葉を語ることになる。人々は耳障りのよい言葉、安心させてくれる言葉だけを聞こうとして、預言者を疎んじ、虐げる。それでもなお語るべき言葉をたった一人でも語り続けなければならない。それが神から召された預言者です。
 ともあれ、神が預言者ホセアを通してイスラエルの民に語られた、彼らがなぜ滅亡に至ってしまったのか、その一番の理由は彼らが神との絆、神との繋がりを自ら断ち切ってしまったからだというのです。1節から3節。「イスラエルが幼いころ、わたしは彼を愛し、わたしの子をエジプトから呼び出した。それなのに、彼らは呼べば呼ぶほど、彼らはいよいよ遠ざかり、バアルたちにいけにえをささげ、刻んだ像に香をたいた。それでも、わたしはエフライムに歩くことを教え、彼らを腕に抱いた。しかし、彼らはわたしがいやしたのを知らなかった」。人間にとって一番なくてならない絆、それは生ける神と繋がっている絆です。ここで神はイスラエルに対するご自身の愛を、父親の子どもに対する姿になぞらえて語っているのですが、この神の愛に背いて、愛の絆を自ら断ち切り、神から遠ざかっていく人間の姿が描き出されています。けれども神は人を見捨てることをしない。見限ることをしない。愛を諦めることをしないのです。人がどれほど神に背を向け、神の愛の絆を断ち切り、神から遠ざかっていっても、なお神は私たちを愛することを止めないのです。4節。「わたしは、人間の綱、愛のきずなで彼らを引いた。わたしは彼らにとっては、そのあごのくつこをはずす者のようになり、優しくこれに食べさせてきた」。本当の絆。それはこの神の姿に現れた決して断ち切られることのない愛です。そしてこれこそが私たちにとって何よりも必要なものなのです。私たちは様々な人との繋がりの中で生きて生きますが、しかし人と人との絆は決して完全なものではない。裏切られることもあれば、傷つけられることもある。絶対に断ち切らないと思っていても、自分でどうにもならない力によってその絆が途切れてしまうことがある。しかしそんな私たちに神は、完全な愛の絆をもたらしてくださるのです。

(3)愛の絆で結ばれて
 新約聖書コロサイ人への手紙3章14節にこういう言葉があります。「愛は結びの帯として完全なものです」。この御言葉は他の翻訳聖書では「愛はすべてを完成させる絆です」となっています。ここで「帯」、「絆」と訳される言葉は「一緒に」と「縛る」という言葉が組み合わさってできている言葉です。もともと二つであったものが一つに結び合わされる姿です。私たちは人と人との絆を考えます。でも聖書は人と人との絆が結ばれるためには、まず私が神と結び合わなければならないと教えます。聖書が「愛」というとき、それはほとんど神ご自身を言っていると言ってもよい。愛の神こそが完全な絆であって、私たちはこの神と結びついてこそ、本当の絆によって生きることができるのです。
 さらに旧約聖書の伝道者の書4章12節にこういう言葉があります。「もしひとりなら、打ち負かされても、ふたりなら立ち向かえる。三つ撚りの糸は簡単には切れない」。ここで注意したいのは「ふたり」のことを言いながら「三つ撚り」と言われることです。つまり私とあなた、という絆にもう一つの糸が撚り込まれ、編み込まれる必要がある。この三本目の絆、これこそが神が私たちに与えてくださった愛そのものなるお方、神の御子イエス・キリストです。イエス・キリストは神の愛の現れです。私たちを愛し、私たちのためにご自分の命を十字架に付けるほどに、その愛を身をもって示してくださったお方です。この十字架の主イエス・キリストにおいてこそ、私たちは本当の絆によって神と結び合わされ、そして他者と結び合わされることができるのです。
 この主イエス・キリストにおいて現された愛の絆で結ばれるとき、私たちは私たち自らがまた絆の役割を果たす存在とされていくことができるのです。昨年の震災以来、ずいぶん多くの人との出会いを経験しました。こんなことが起こらなければ決して出会わなかったようなかけがえのない出会いがたくさんあります。特に各地のネットワークで働く方々との出会いは貴重でした。そこではまさにこの「絆の役割」を果たす人々がいました。あそこにあんなすごい人がいるよ、あそこにこんな人がいるよといってそれぞれを必要とする人々を繋いであげる人。それが絆の役割を果たす人でしょう。絆の役割は二つのものを結び合わせることです。互いががっちりと結び合うためにひたすら汗を流すことです。そこでは自分の存在がどうであるかは二の次です。自分を主張したい人は絆の役割は果たせない。私たちはとかく自分に繋ぎ止めたいという誘惑を抱きます。自分を中心に事柄を進めたいと思いやすいのです。でも本当の愛の絆に生かされるなら、自分が生きることでなく、他者が生かされることが喜びとなる。私はキリスト者のこの地上での役割は、まさにこの自らが神の愛という本当の絆によって生かされ、それによって自分が絆の役割を担い、人々を生かす存在になっていくことだと思うのです。キリストはまさにそのように私たちをまことの命に生かすために自らが捨て石となって、私たちを神と繋いでくださいました。そして神と繋がることによって私たちを隣人と繋いでくださいました。主イエス・キリストの十字架の縦の棒と横の棒。それはまさにキリストが本当の絆であることの証しなのです。ぜひこの朝、ここに集われたすべての方々が、この神の愛の絆に結び合わされ、神の愛に生かされる人生をスタートしていただきたいと切に願います。それによって私たち自身が神の愛の絆によって人と人とを結び合わせ、人と人とを生かす大切な役割を果たすことができるのです。そのような神に生かされ、人を生かす人生が、イエス・キリストが私たちに与えてくださる人生です。その一歩を今日、ここから始めていただきたいと心からお勧めいたします。

 



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