主日朝拝説教    2020/06/14
『しばらくの苦しみの後で』

Iペテロ5:10-11

 6月第二の主日を迎えました。この朝も主が皆さんお一人一人を祝福し、いのちの養いを与えようと、この礼拝に招いてくださいました。なお多くの苦しみ、痛み、悲しみや憤りを覚えるような出来事に満ちた世界に、主にある愛といつくしみ、喜びと希望の知らせを携えて遣わされて行くために、主を見上げて礼拝し、御言葉の祝福にあずかってまいりましょう。皆さんに主の恵みと平安がありますように。

(1)キリストの苦難を模範として
 すでにお知らせしているように、来週の主日、6月21日から教会に集まっての主日礼拝が再開されようとしています。3月29日からこのような形での礼拝に切り替えて12回の主日を過ごし、約三ヶ月ぶりに皆さんが教会に集まって来られることを本当にうれしく、感謝しています。今日の朝拝には役員の皆さんが出席し、この後、礼拝再開に向けて様々な準備と確認をすることになっていますが、何よりも、教会を再び開くにあたって祈りをもって備えたいと願ってのことです。この間、教会の様々な集まりを中断、休止、延期して来ました。しかし不思議なもので、こういう時にも進んで行くこともある。主のあわれみの尽きないことを覚えさせられています。今日の週報にも記しましたように、新会堂建築工事がいよいよスタートすることになり、28日の礼拝後、起工式を執り行うことになりました。長い間、多くの祈りと犠牲が重ねられ、忍耐と知恵を尽くして取り組んで来たプロジェクトがいよいよ始動するということで、主の大いなる御業をあがめます。皆さんでともに集い、来年6月までの約一年に渡る工事に、特別の主の守りがあるよう祈りを合わせたいと願っています。
 21日からの教会に集まっての礼拝再開に向けて備える中で、今朝私たちに与えられているのがペテロの手紙一5章の御言葉です。これも先週触れたことですが、説教の務めに与る者として、特に連続講解説教をし続ける者としては「次はどの書物を説くか」ということが絶えず頭にあります。まだローマ書がしばらく続くのですが、その次の候補として祈りつつあるのがこのペテロへの手紙です。実際にどうなるかはまだ分かりませんが、ペテロの手紙を候補に考える大きな理由の一つは、この手紙の主題が苦難の時代を生きるキリスト者の姿にあるからです。かつて水曜の祈祷会で「聖書の概説」ということで旧新約66巻を一緒ずつ学んだ折、それぞれの書物の主題を一言にまとめるということをしました。そこでペテロの手紙一に付けたのが「キリストの苦難を模範として」でした。私たちが生きていくこれからの時代、ますます「キリストの苦難を模範として」生きることが求められていくと思うのです。
 ペテロの手紙一が「苦難」を主題にしていることは、この5章からなる短い手紙の中で「苦難」、「苦しみ」という言葉が18回も繰り返されていることからも明らかです。しかもその苦難とは、もっぱら当時のローマ帝国による熾烈なキリスト教迫害に拠るものでした。そのような困難な状況の中にある信徒たちを励ますために書かれたのがこの手紙です。ローマ帝国によるキリスト教迫害の時期はネロ帝の時代、ドミティアヌス帝の時代、トラヤヌス帝の時代の大きく三つに分けられますが、この手紙の背景となるのはローマ帝政きっての暴君であったネロの治世下であったと考えられています。熾烈な迫害の下で信仰に生き、死んでいく人々に向けて、希望を指し示しつつ御言葉に固く立ち続けるよう励ますペテロの言葉がこの手紙なのです。
 
(2)やがて栄光にあずかる者として
 この朝与えられている10節を読みます。「あらゆる恵みに満ちた神、すなわち、あなたがたをキリストにあって永遠の栄光の中に招き入れてくださった神ご自身が、あなたがたをしばらくの苦しみの後で回復させ、堅く立たせ、強くし、不動の者としてくださいます」。5章はこの手紙全体の締め括りであり、10節は5章1節からの一連の勧めの締め括りの言葉です。ですから10節の御言葉を受け取るためには、そこに至る文脈を押さえておくことが大切です。
 そこで1節にはこう語られます。「私は、あなたがたのうちの長老たちに、同じ長老の一人として、キリストの苦難の証人、やがて現れる栄光にあずかる者として勧めます」。苦難の中を生きる小アジアの教会にペテロが語るのは、まさに「キリストの苦難の証人、やがて現れる栄光にあずかる者」としての言葉です。そしてここから最後の勧めが矢継ぎ早に放たれています。羅列的になりますが挙げておきましょう。2節。「神の羊の群れを牧しなさい」。3節。「群れの模範となりなさい」。5節。「若い人たちよ、長老たちに従いなさい。みな互いに謙遜を身に着けなさい」。6節。「神の力強い御手の下にへりくだりなさい」。7節。「思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい」。8節。「身を慎み、目を覚ましていなさい」。9節。「堅く信仰に立って、この悪魔に抵抗しなさい」。本来はこの一つ一つの勧めを丁寧に学びたいところですが、それはいずれの機会として、今朝はともかく10節の勧めが、このような地上の教会の日常の事柄から、終わりの時代の悪しき力との戦いという究極の事柄までを視野に収めたところで語られている点をよく踏まえておきたいと思います。その上でペテロは言うのです。「あらゆる恵みに満ちた神、すなわち、あなたがたをキリストにあって永遠の栄光の中に招き入れてくださった神ご自身が、あなたがたをしばらくの苦しみの後で回復させ、堅く立たせ、強くし、不動の者としてくださいます」。
 ここに言われる「苦しみ」とは、すでに申し上げたように直接にはローマ帝国による迫害の現実を指しています。しかし10節においてはこの苦しみはその切迫した状況、影響の甚大さ、一人一人の信仰者と生と死、教会の存亡に関わる大問題であるにもかかわらず「しばらくの苦しみ」と言われる。直訳すれば「少しの苦しみ」と言ってもよい。とても「しばらく」や「少し」なとどは言えないようなものなのに、なぜペテロはそのように記すのか。確かに苦しみの及ぼす影響は地上にあってはいつまで続くか分からないようなものかもしれないが、「キリストにあって永遠の栄光の中に招き入れてくださった神ご自身」の御前では「しばらく」に過ぎず、苦しみがもたらす結果は死に通じるようなものかもしれないが、「キリストにあって永遠の栄光の中に招き入れてくださった神ご自身」が「しばらくの苦しみの後で回復させ、堅く立たせ、強くし、不動の者としてくださる」。要するに私たちがローマ書8章18節で学んだことで言えば「今の時の苦難は、やがて私たちに啓示される栄光に比べれば、取るに足りないと私は考えます」というように究極的に相対化されるのです。この姿勢はこの手紙の中で一貫しています。1章6節、7節。「そういうわけで、あなたがたは大いに喜んでいます。今しばらくの間、様々な試練の中で悲しまなければならないのですが、試練で試されたあなたがたの信仰は、火で精錬されてもなお朽ちていく金よりも高価であり、イエス・キリストが現れるとき、賞賛と栄光と誉れをもたらします」。4章12節、13節。「愛する者たち。あなたがたを試みるためにあなたがたの間で燃えさかる試練を、何か思いがけないことが起こったかのように、不審に思ってはいけません。むしろキリストの苦難にあずかればあずかるほど、いっそう喜びなさい。キリストの栄光が現れるときにも、歓喜にあふれて喜ぶためです」。私たちも「しばらくの苦しみ」と言えるのは、キリストにある希望が地上の苦難を相対化し、「回復させ、堅く立たせ、強くし、不動の者としてくださる」という究極の約束があるからにほかなりません。
 
(3)しばらくの苦しみの後で
 この2ヶ月あまりの試練の時を過ごして、いよいよ来週から共に集まっての礼拝が再開されます。これもある意味で「しばらくの苦しみの後」のことです。しかし他方でまだまだ「しばらくの苦しみ」は続きます。「その後」はまだ見通せないというのが私たちの現実です。今後、日常生活でのマスク着用率はいっそう上がるでしょう。今まで以上に病気予防のために礼拝出席を控えるということが増えるかもしれません。「病気をうつす・うつされる」といった心理的ストレスが教会の交わりに様々に影響を与えるということもあるでしょう。大きな声で歌ったり、一緒に食事をしたり、心置きなく交わりをしたり、子どもたちのイベントでこの場所に80名近い子どもたちを集めることができるだろうかとも思います。広く日本の教会全体で言えば、教会の様々な活動のオンライン化も進むでしょうし、礼拝のネット配信は教会の標準装備のように考えられていくことでしょう。その一方でオンライン化に対応できるかできないかによって教会間の様々な格差が広がるでしょうし、あらためて教会にとってのオンラインツール活用についての実践神学的な検討も必要になってくるでしょう。また今後もこのような種々の「禍」の政治的な利用や操作は繰り返されるだろうとも思います。これら一つ一つを考えるだけでも、どれもこれもが大きく重いテーマで、途方に暮れるような思いになることもあります。
 しかし大切なことはそれであってもなおこれらはすべて「しばらくの苦しみ」だということです。「少しの苦しみ」だということです。それゆえに「しばらくの苦しみの後」が必ず到来する。この「究極のこと」と「究極以前のこと」とをよく見極めて生きる私たちでありたいと願うのです。そして「しばらくの苦しみの後で回復させ、堅く立たせ、強くし、不動の者としてくださる」主なる神にしっかりと結びつき、希望を告白する者でありたいと願うのです。私がいつも思い起こすのは、カール・バルトが死の直前に盟友トゥルンアイゼンに電話で話したエピソードです。ひとしきり暗い世界情勢について語り合った後、バルトはこう言ったと伝えられています。「しかし意気消沈しちゃだめだ。決して。主が支配しておられるのだからね」。私たちもこの信仰と希望に立って告白したいと願います。11節。「どうか、神のご支配が世々限りなくありますように。アーメン」。



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