主日朝拝説教    2020/06/07
『弱った手と衰えた膝を』

ヘブル12:12-13

 6月第一の主日を迎えました。先週私たちはペンテコステ、聖霊降臨節の礼拝をささげ、私たちのもとに来られ、今日も私たちとともに、私たちのうちにいてくださる聖霊の励まし、慰め、とりなしに支えられながら、御言葉に養われ、力を得て新し一週間に遣わされてまいりましょう。今朝も皆さんお一人一人に主の祝福を祈ります。

(1)今、この時の御言葉
 私たちの教会では、毎週の主日礼拝での説教において一つの書物を順々に読み進めていくという「連続講解説教」というスタイルを大切にしています。「聖書のみ」と「聖書の全体」というプロテスタント教会のあり方に相応しい形であるとの確信によるものであり、またその時々いろいろなことがあっても、とにかく淡々と御言葉に聴き続けていくという、ある意味でストイックな、そして御言葉に自分自身の歩みを従わせて行くという教会の信仰、教会の霊性の現れであると言ってもよいでしょう。
 それとともに教会も生きたキリストの身体ですので、その時々の体調があると思います。「今、この時の御言葉」というものを主が与えてくださるということを大切にしたいと思う。そしてその時の身体の状態に合わせて必要な御言葉の糧が備えられるということを待ち望みたいと思うのです。出エジプトのイスラエルの民が荒野で朝毎に天から降ってくるマナによって生かされ、支えられていったように、特に今のような教会がかつてあまり経験しなかったような危機の時を過ごしている時に、神さまが私たちをどのように養い、支えてくださるか、御言葉の奉仕に仕える者としての特に心を用いるようにさせられています。
 そのようなわけで、5月まででローマ書11章の終わりまで来たところで、先週のペンテコステ礼拝ではローマ書8章から御言葉を聴き、今朝はヘブル書12章の御言葉に聴こうとしています。現在、教会では集まっての礼拝再開に向けて準備を進めており、先週お送りした文書や今日の週報にもありますように、再来週の6月21日の主日からこの場に集まっての礼拝を段階的に再開することになりました。今日7日と14日の二回、このような形での礼拝となりますが、21日からの礼拝に期待して祈り備えていただきたいと思います。そしてその時にローマ書12章の御言葉を聴いてスタートしたいと願っています。そのためにも今日と来週、どのように御言葉に聴くべきかを祈りつつ思い巡らす中で、この朝はヘブル書12章の御言葉が、そして次主日にはペテロの手紙一の御言葉が備えられています。そこでまず今朝のヘブル書12章12節、13節の御言葉をお読みします。「ですから、弱った手と衰えた膝をまっすぐにしなさい。また、あなたがたは自分の足のために、まっすぐな道を作りなさい。足の不自由な人が踏み外すことなく、むしろ癒やされるためです」。3月以来、特にご高齢の教会員の方々のことを案じて、折々のお電話で声を聴くようにしています。信仰の面では皆さんしっかりと立っていてくださるので安心し、感謝していますが、やはり健康面ではそれぞれ課題があるようで、幾人かの方は毎回、足腰の衰え、膝の痛みを訴えられます。電話口で癒やしのために祈るのですが、やはり毎日のこと、身体の衰えや痛みはつらいことだと思います。年齢に限らず皆さん方の中にもそのような心の疲れ、身体の疲れ、弱さを覚える方々があることを覚えています。

(2)忍耐の主に目を留めて
 キリストの身体の状態ということを考えます。この二ヶ月余り、教会もまた立ち止まり、うずくまるような時を過ごして来ました。この間も礼拝はささげられ、祈りの手は挙げられ、様々な働きは続けられていますが、それでもやはり多くのことから手を離し、足を止めなければならない日々を送ってきました。そして今、再び立ち上がり、歩み始めようとするときに、いきなり走り出すということはできない。まずは弱った手と衰えた膝をよくマッサージし、ストレッチし、関節を動かし、筋肉を伸ばし、ゆっくり、そろりと歩み出すことが必要なのだと思います。急ぎすぎない、慌てないということが大切だと思うのです。すでに「ポストコロナ時代」というような言葉が聞こえて来ますが、まだまだ私たちはその渦中にいる。「ポスト」を語るには早すぎる。むしろこの時にじっと目を留め、祈りつつ思い巡らすことがあるように思います。
 この間、私自身も礼拝の再開を待ち望みながら、そこに向けて日々祈り、備えつつ教会の働きを続けて来ました。しかしこの数週、いよいよ礼拝再開の時が少しずつ見えてきたということころで、何とも言えぬ疲労感と不安感に襲われるということがありました。その時を待って備えてきているはずなのに、いざその時が近づいて来たというところで「本当に大丈夫だろうか」、「あれはどうなっているか、これはどうなっているか」、「準備は万端整っているだろうか」などと様々なことが心配になってしまうということがありました。あらためて自らの弱さと向き合わせられています。そんな中で御言葉を読むとき、これまでそこにあるのは分かっていてもあまり気に留めることの少なかった御言葉が響いてくるという経験をさせられています。
 ヘブル書というのは新約聖書27巻の中でも独特な趣を持つ不思議な書物です。「ヘブル人への手紙」となっていますが手紙なのかも分からない。今日ではむしろ説教集としてヘブル書を理解するということが多いようです。また誰が書いたのかも分からない。古くからパウロ、アポロ、ペテロなど様々な説が唱えられてきましたが、今日では著者は不明というところに落ち着いています。しかし今日の12章などを読むと「パウロが書いたのではないか」という説が唱えられるのもよく分かるような響きがあります。例えば1節。「こういうわけで、このように多くの証人たちが、雲のように私たちを取り巻いているのですから、私たちも、一切の重荷とまつわりつく罪を捨てて、自分の前に置かれている競争を、忍耐をもって走り続けようではありませんか」。パウロがしばしばスポーツ競技を信仰の歩みに譬えて語るように、ここでもヘブル書は信仰の歩みを「自分の前に置かれている競争を、忍耐をもって走り続けよう」と呼びかける。そして私が12章を読む中で今回心に深く留まったのは3節です。「あなたがたは、罪人たちの、ご自分に対するこのような反抗を耐え忍ばれた方のことを考えなさい。あなたがたの心が元気を失い、疲れ果ててしまわないようにするためです」。
元気を失い、疲れ果ててしまいそうになるとき、主イエスのことを考えようと語られる。しかもそれは「耐え忍ばれた」主イエスのお姿だというのです。これまではどちらかというと12章2節の「信仰の創始者であり完成者イエスから、目を離さないでいなさい」という御言葉だけに眼を留めていたのですが、その主イエスは私たちの罪ゆえの反抗を耐え忍ばれた主イエスだと気づかされたのです。この主の忍耐を見つめることで、私たちが元気を失い、疲れ果ててしまわないようにと御言葉は招くのです。

(3)走り出し、走り続け、走り抜くため
 その上で、主が私たちの弱った手を強め、衰えた膝をまっすぐに伸ばし、立ち上がらせてくださるのは何のためか、その目的を見失わないように、ヘブル書12章の全体が語りかけているメッセージをよく受け取っておきたいと思います。ヘブル書が私たちを呼びかけ招くのは、救いの完成に向けて、神の国の実現に向けての、困難の多い、険しい道も続く、決して容易ならざる信仰の馳場を、それでもともかく走り出し、走り続け、走り抜くためだということです。そのための「ですから、弱った手と衰えた膝をまっすぐにしなさい」なのです。確かに礼拝が再開されたからといって、すぐにすべてが元に戻るわけではありません。様々な活動がすぐに再開できるわけでもありません。2020年に主にあって行おうと考え準備してきたことの見直しが必要です。しかしだからといってずっと座り込んだまま、へたり込んだままということではない。キリストの身体なる教会が起き上がって動き出すために、主が私たちを十分に取り扱ってくださり、疲れを癒やしてくださり、栄養を補給してくださり、こわばった関節を一つずつ伸ばし、よく可動域を広げ、こり固まった全身を十分にほぐしてくださることに身を委ね、そして主が私たちの手を取って立ち上がらせてくださり、ゆっくりと歩き出させてくださる、リハビリに付き添ってくださる理学療法士さんのように、主の手に委ねて歩み始めたいと思います。
 またさらにその上で互いに確かめ合いたいのは、私たちがそのようにして歩み始めるのは、その道を辿ってくる方々のためだということです。13節。「また、あなたがたは自分の足のために、まっすぐな道を作りなさい。足の不自由な人が踏み外すことなく、むしろ癒やされるためです」。要するに伝道のため、と言ってよいでしょう。このような時だからこそ、私たちがゆっくりゆっくり、そろりそろりとであっても歩む道が少しずつ踏み固められ、そうしてまっすぐな道となっていく。その身を後に続いて歩む人々が躓かないように、倒れないように、転ばないように、特に足の不自由な人が踏み外すことなく、癒やされるために最大限の愛をもって自らも歩みつつ道を作っていく。広げていく。伝えていく。伝道への思いを再び決心したいと思うのです。ポストコロナの時代がどうなるか分かりませんが、しかし分かっていることはある。世界は福音を求めているという事実です。愛が求められています。平和が求められています。和解が求められています。自由が求められています。喜びが求められています。慰めが求められています。希望が求められています。この道を私たちは歩み、歩むことで道を作り、広げていく。困難はありますが、主の手によって立ち上がらせていただき、主に手を取っていただき、歩み出す私たちでありたいと願います。
 ヘブル書の著者がこの御言葉を記すにあたって念頭に置いたであろう、旧約聖書イザヤ書35章1節から10節を読んで祈ります。



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