夕拝説教       2020/03/29
『私の神、私の父』

ローマ8:14〜16

 特別な過ごした方をした礼拝の一日の終わりに、もう一度、主の御前に集まって礼拝をささげ、御言葉に聴くことのできる幸いを感謝します。今晩は、私たちが天地万物の創造者なる偉大な神さまを「私の父よ」とお呼びすることのできる信仰の幸いを教えられてまいりましょう。

(1)父なる神を信じる
 この一ヶ月あまり、一連の新型コロナウィルスの広がりの中で日々を過ごし、ついに先週、今日の礼拝を共に集まってささげることを断念する決断に至るまでの間、繰り返し心に浮かんできたのは、ハイデルベルク信仰問答の第26問から第28問でした。第26問をお読みします。「第26問:『我は天地の造り主、全能の父なる神を信ず』と唱える時、あなたは何を信じているのですか。答:天と地とその中にあるすべてのものを無から創造され、それらを永遠の熟慮と摂理とによって今も保ち支配しておられる、わたしたちの主イエス・キリストの永遠の御父が、御子キリストのゆえに、わたしの神またわたしの父であられる、ということです。わたしはこの方により頼んでいますので、この方が体と魂に必要なものすべてをわたしに備えてくださること、また、たとえこの涙の谷間へいかなる災いを下されたとしても、それらをわたしのために益としてくださることを、信じて疑わないのです。なぜなら、この方は、全能の神としてそのことがおできになるばかりか、真実な父としてそれを望んでもおられるからです」。
 これまで何度も読み、説き明かして来た問答ですが、それでも今回あらためて心に響いて来たのは「たとえこの涙の谷間へいかなる災いを下されたとしても、それらをわたしのために益としてくださることを、信じて疑わないのです」という一節でした。これまでこの言葉のリアリティを自分は分かっていなかったな、と思ったのです。そして今あらためてこの言葉から深い慰めを受け取っているのです。この第26問と続く第27問、第28問は、全能の神の創造と摂理の御業を教えるところです。そこでは天地万物を創造と摂理によって統べ治められる偉大な神さまと、この神さまによって造られた私たち人間との間の「遠さ」と「近さ」が絶妙に表現されています。「天と地とその中にあるすべてのものを無から創造され、それらを永遠の熟慮と摂理とによって今も 保ち支配しておられる、わたしたちの主イエス・キリストの永遠の御父」なる神、それは私たちを超えた絶対的な存在であり、私たちとの間にあらゆる点で大きな隔たりを持つ超越的なお方です。ところがその神が、「御子キリストのゆえに、わたしの神またわたしの父であられる」と言われて、私たちに「近い」お方であると告白されているのです。

(2)御子イエス・キリストに結ばれて
 全知全能の創造者なるお方を、被造物に過ぎない私たちが「私の父」と呼び得るのはなぜでしょうか。本来「父なる神」という呼び名は御子イエス・キリストだけが呼びうる名です。ところが、私たちが主イエス・キリストの贖いによって救われた時、私たちもまたこの御子にあってイエス・キリストの父なる神を「わたしの神、わたしの父」と呼ぶことのできる関係が新しく与えられたのです。このことを使徒パウロは今晩開かれているローマ書8章14節から16節で次のように語りました。「神の御霊に導かれる人はみな、神の子どもです。あなたがたは、人を再び恐怖に陥れる、奴隷の霊を受けたのではなく、子とする御霊を受けたのです。この御霊によって、私たちは『アバ、父』と叫びます。御霊ご自身が、私たちの霊とともに、私たちが神の子どもであることを証ししてくださいます。子どもであるなら、相続人でもあります。私たちはキリストと、栄光をともに受けるために苦難をともにしているのですから、神の相続人であり、キリストとともに共同相続人なのです」。
 こうして御子イエス・キリストの救いに与る時に私たちのうちに聖霊が与えられ、この聖霊のお働きによって私たちは主イエス・キリストと一つに結び合わされ、それによって神の子としての身分を与えられ、主イエス・キリストの父なる神を「私の父」と呼ぶことができるようにされたのであって、「御子キリストのゆえに」という一句がどれほど思い意味を持つかを十分に思い巡らすことが大切です。私たちが「父なる神よ」と祈る時、そこには主イエス・キリストによって贖われ、聖霊によってキリストのものとされ、キリストとともにすべての祝福の共同相続人とされている。この救いの確かさと祝福の大きさ、豊かさを今晩心に留めたいと思います。

(3)創造と摂理
 父なる神の御業は主として創造と摂理の御業として教えられていますが、ここではとりわけ摂理の信仰について多くの言葉が費やされています。摂理の信仰はともすると「運命論」や「宿命論」のように受けとめられ、神の一方的で時に暴力的な力のように感じられるものですし、確かに私たちの人生に突然に降りかかる出来事、とりわけ大きな自然災害や今回のような病気の蔓延など、これらを私たちはどのように受けとめたらよいのだろうかと困惑し、揺さぶられます。
 しかし私たちは摂理の信仰を運命論や宿命論のようには受け取りません。なぜなら私たちの信じる神は、運命を支配する法則や機械仕掛けの神でなく、「主イエス・キリストの父」であり、「わたしの神またわたしの父」であるからです。「なぜならこの方は、全能の神としてそのことがおできになるばかりか、真実な父としてそれを望んでもおられるからです」。つまり「全能の神」とはただそれだけを取り出していては私たちと遠く離れたお方としてしか受け取れ得ないのですが、これがひとたび御子イエス・キリストのゆえに私たちの父となってくださったならば、この父なる神の全能の御業は私たちに対しての「愛」の御業となり、必ずや私たちに対して「益」となる御業となるに違いないと信じることができるでしょう。「わたしはこの方により頼んでいる」ので、父なる神の創造と摂理の御業を信じることができるのです。



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