主イエスに出会った人々 その7 2007/06/10
『ナインの母と息子』

ルカ福音書7:11-17

 今晩は、ナインという町で起こった一つの出来事を通して、死からいのちへと人を移しかえてくださるいのちの主なるイエス・キリストのお姿を見つめていきたいと思います。

(1)死の行進と行き交う主イエス(v.11-12)
 11節、12節。「それからまもなく、イエスはナインという町に行かれた。弟子たちと大ぜいの人の群れがいっしょに行った。イエスが町の門に近づかれると、やもめとなった母親のひとり息子が、死んでかつぎ出されたところであった。町の人たちが大ぜいその母親につき添っていた」。ここに登場する一人の女性は、人間の味わう深い悲しみを一身に背負った人ということができるでしょう。彼女は愛する夫に先立たれ、大変な苦労をして子どもを育て、生活を支えてきました。ところが今度はたった独りの愛する息子にまで先立たれてしまったのです。夫を失い、子どもを失う経験。人間の力ではどうすることもできない、そして時に理不尽なまでに迫り来る死の力を前にして、彼女は言いようのない悲しみに打ちひしがれながら葬りの行列の中を歩んでいるのでした。
 しかしそこに主イエス・キリストが弟子たちと群衆とともにお出でになります。ここで起こっていることはいったいどういうことでしょうか。この後の出来事を読み進めていけば明らかになるように、まさにここでは死の行進といのちの行進とが行き交い、そして出会うという決定的な出来事が起こっているのです。

(2)死の行進に立ちはだかる主イエス(v.13-14)
 13節。「主はその母親を見て、かわいそうに思い、『泣かなくてもよい。』と言われた」。主はここで死と葬りの行進を見過ごしにはなさいません。そこで愛する者との死別の悲しみに支配され、途方に暮れるこの母親を見て「かわいそうに思い、『泣かなくてもよい』と言」ってくださいました。この「かわいそうに思う」という言葉は、しばしば説明されるように「はらわたが引きちぎられるような思い」という深い心の感情の動きを示す言葉であり、いわゆる「断腸の思い」と言われるような心を表す言葉です。私たちの主は私たちの悲しみ、痛みに心を寄せ、その悲しみをともに悲しみ、痛み、憤ってくださるお方なのだというのです。主は私たちの悲しみを通り一遍の慰めの言葉でやり過ごすことはなさいません。死は誰にでも訪れるものだと一人の人の死を簡単に一般化することもなさいません。ただ運命と思って受け入れよと安易な諦めに引き込むこともなさいません。主は死の現実に対して断固とした態度をお取りになる。人に死の力が及ぶことに対してはらわたの引きちぎられるような思いを抱かれるのです。
 しかもそればかりではありません。14節。「そして近寄って棺に手をかけられると、かついでいた人たちが立ち止まったので、『青年よ。あなたに言う。起きなさい。』と言われた」。主はこの死の行進の傍らをそのまま通り過ぎることをされない。ただ言葉だけの慰めでやり過ごすことをなさらない。主はこの行進の前に立ちはだかり、その棺に手をかけて、その行進を止められるのです。ここに死に打ち勝つただ一人のいのちの主イエス・キリストのお姿が鮮やかに立ち現れるのです。そして主は棺の中に横たわっている死せる若者に語りかけられます。「青年よ。あなたに言う。起きなさい」。すでに死んでいる者に向かってこのように語りかける。常識では考えられない荒唐無稽なことを主はなさいます。しかしこの人間では決してなしえないことを成し遂げられる唯一の方が、いのちの主なるイエス・キリストなのだと言うことが、今日の聖書の御言葉が私たちに一番強く語りかけていることなのだということを覚えたいと思います。

(3)死から起き上がらせる主イエス(v.15-16)
 そしていのちの主なるイエス・キリストの語りかけの言葉を聞いた時、その言葉は現実となったのでした。15節から17節。「すると、その死人が起き上がって、ものを言い始めたので、イエスは彼を母親に返された。人々は恐れを抱き、『大預言者が私たちのうちに現れた。』とか『神がその民を顧みてくださった。』などと言って、神をあがめた。イエスについてこの話がユダヤ全土と回りの地方一帯に広まった」。主イエス・キリストとの出会い。それはまさに私たち死せる人間とそのような私たちをまことのいのちに生かしてくださるいのちの主イエス・キリストとの出会いです。今日の御言葉で「起きる」と言われる言葉は、この後、大変重要な場面で用いられる言葉です。それはすなわち主イエス・キリストの復活とそれに続くやがての時の死人のよみがえりについての言葉です。つまりルカ福音書は、この青年のよみがえりの出来事を、やがて起こる主イエス・キリストの復活と主イエス・キリストを信じる者に約束されている死からの復活の先取りとしてここに記しているのだということなのです。
 私たちだれもが必ず直面しなければならない人生最大にして最後の問題である「死」の問題に対して、私たちはどういう解決を持っているでしょうか。死の行進と行き会う時に、ただ目を伏せてやり過ごすのか、怯えたまま立ちすくむのか、見て見ぬふりをして行くのか。今晩、この聖書の御言葉は、私たちにを死に対して決定的な勝利をもって打ち勝ってくださるいのちの主なるお方との出会いへと招いておられます。死に打ち勝ちたもう主イエス・キリストを信じるとき、私たちにも死に対する勝利がもたらされるのです。「死は勝利に飲まれた」。この言葉の確かさを受け取って、いのちの主なるイエス・キリストとの出会いを果たしていきたいと願います。

 



日本同盟基督教団 徳丸町キリスト教会
〒175−0083
東京都板橋区徳丸6−24−10
TEL 03−3935−3405
FAX 03−3935−3445

メールでのお問い合わせ
管理人


Copyritht ©The Evangelical Alliance Mission Tokumarucho Christ Church All Rights Reserved.