主イエスに出会った人々 その28 2007/12/23
『新しく召されるペテロ』

ヨハネ福音書21:15-19

 2007年のクリスマスを祝福のうちに過ごし、今年最後の夕の礼拝を迎えました。春からご一緒に聴き続けてきた「主イエスに出会った人々」のシリーズもいよいよ今晩で締めくくりとなります。これまで福音書に出てきた様々な人々の主イエスとの出会いを見てきましたが、その最後に取り上げるのは、このシリーズの中で最も登場回数の多い人物であるペテロです。今晩はヨハネ福音書の最後の場面を通し、新しく人を召し、御自身に従う道に立たせてくださる主の恵み深いお取り扱いについて教えられていきたいと思います。

(1)ヨハネの子シモン
 ガリラヤの漁師であった彼が主イエスと出会い、主の弟子として召され、主の御生涯をともに歩む中で一番弟子としてのいささかの自負を抱くようにもなっていたペテロ。しかし主の十字架の近づきとともに「たとえ主のためなら牢も死さえも覚悟はできている」という言葉も虚しく、彼は主イエスを三度も否んでしまう。そんな取り返しのつかないような決定的な失敗と、主に顔向けできないような挫折感の中にあるペテロ。しかしそんな彼にもう一度主は出会ってくださるのです。15節。「彼らが食事を済ませたとき、イエスはシモン・ペテロに言われた。『ヨハネの子シモン。あなたは、この人たち以上に、わたしを愛しますか。』ペテロはイエスに言った。『はい。主よ。私があなたを愛することは、あなたがご存じです。』イエスは彼に言われた。『わたしの小羊を飼いなさい』」。
 ここで主イエスはペテロに「ヨハネの子シモン」と彼に生まれ持っての名前で呼びかけられます。主から名前を呼ばれるという経験。それは人から肩書きや立場、それにまとわりつく様々なプライドやメンツ、そのようなものをいっさい取り払って、裸の一人の人として、あるがままの姿で主の御前に呼び出されることを意味します。今まさにペテロはそのようなありのままの一人の人として主の御前に呼び出されているのであり、そうして主イエスご自身もまっさらなペテロその人と新しく出会おうとしていてくださるのです。その彼に主イエスが語られた言葉は大変印象的です。15節では「あなたは、この人たち以上に、わたしを愛しますか」、16節では「イエスは再び彼に言われた。『ヨハネの子シモン。あなたはわたしを愛しますか。』ペテロはイエスに言った。『はい。私があなたを愛することは、あなたがご存じです。』イエスは彼に言われた。『わたしの羊を牧しなさい』」。そして17節でも「イエスは三度ペテロに言われた。『ヨハネの子シモン。あなたはわたしを愛しますか』」。こうして主は三度もペテロに「わたしを愛するか」と問われるのです。

(2)「愛する」を巡って
 「あなたはわたしを愛するか」という問い。それは相手との間に深い人格的な関わりを造り上げる問いです。わたしに忠誠を誓うか、わたしの言うことを守るか。わたしのためにどんな犠牲を払い、どんなことをするのか。そういう問いかけでなく、主は「愛するか」と問われる。それはかつて、主イエスのために何をするかということで主への愛を示そうとしていたペテロにとって、全く新しい主イエスとの関わりを与える問いであったのです。この主イエスの問いかけに対して、ペテロは「私があなたを愛することはあなたがご存じです」との答えを繰り返します。そして主イエスが三度も同じ問いを繰り返されるに及んで、ペテロはこう言うのです。「ペテロは、イエスが三度、『あなたはわたしを愛しますか。』と言われたので、心を痛めてイエスに言った。『主よ。あなたはいっさいのことをご存じです。あなたは、私があなたを愛することを知っておいでになります』」。この場面では本当に心探られる深い言葉の交わし合いが起こっています。主イエスがくどいほどに三度も御自身への愛を問われるのはなぜか。それはかつて三度も主イエスを否んだペテロの中に、神の愛が呼び起こす神への愛を作り上げていこうとされているのです。
 かつてのペテロであったなら、「私はこの人たち以上にあなたを愛します」と言い切っていたのではないか。しかし今のペテロはそのようには答えません。むしろ彼が言えた精一杯の言葉が「主よ、私があなたを愛することはあなたがご存じです」との言葉だったのでしょう。「絶対に、とか、他の人以上に、などとは言えない、私がどれほど罪深い者であるかはあなたが一番ご存じです。あなたの一番弟子を自負しながら、肝心要のところであなたを三度も否んだ男です。そんな自分が今更何を言う言葉があるかと思います。しかしそれでも私があなたを愛することはあなたが知っていてくださる。あなたの知っての通りの不完全な愛ながらも、それでも私があなたを愛することはあなたが知っていてくださる。他の人がどう思うかはわからない。いつまで愛し続けられるかも自信はない。しかし今、私があなたを愛するこの愛の中に、ほんのひとかけらでもあなたが見出し、認め、受け取ってくださる愛があるならば、それを受け取ってください」。これがペテロの心なのではないでしょうか。

(3)新しい人としての出発
 このペテロの精一杯の告白の言葉に対して、主イエスは、15節で「わたしの小羊を飼いなさい」、16節で「わたしの羊を牧しなさい」、17節で「わたしの羊を飼いなさい」、そして19節後半で言われます。「こうお話しになってから、ペテロに言われた。『わたしに従いなさい』」。主イエスのお言葉はペテロをもう一度、主の御前に新しく立たせるために愛に満ちた語りかけでありました。今朝の礼拝で一人の姉妹が洗礼を受けられました。洗礼の際に五つの誓約をしていただくことになっていますが、その第三番目に次のような誓約があります。「あなたは、聖霊の恵みに信頼し、キリストのしもべとしてふさわしく生きることを願いますか」。私はいつも洗礼準備会の時に申し上げるのですが、もしこれが「キリストのしもべとしてふさわしく生きることができますか」という問いだったらどうでしょうか。「できます」と言い切ることが果たしてできるでしょうか。むしろこれから先もたくさんの過ちを犯すかも知れない、失敗をするかも知れない。あるいは過去の取り返しのつかない罪の痛みを今も負っているかもしれない。しかしそのような不確かで不真実な私の中に、主は御自身への愛を呼び起こしてくださる。だからこそ、私たちは聖霊の恵みに信頼して、キリストのしもべとして生きることを願う、と言うことができるのです。
 神の愛は、時に私たちに人間の愛の限界を知らしめるものであるのです。そして人が己れの愛の限界を知らされた時、愛は人を危機に立たしめるものでもあるのです。しかし同時にこの神の愛は、人をもう一度新たに作り替えて新しい歩みに生かす力です。この新しい人として生きるいのちを賜るために、主イエス・キリストは十字架にかかって私たちの罪の身代わりとなって下さり、そして三日目に死者の中からよみがえってくださいました。そして今も私たちに、この愛によって生きよとお迫りになるのです。この神の愛をもって愛されているお一人お一人が、この愛の神と出会い、このお方の愛に応答して、この愛によって生かされ、神への愛を現しながら生きていく。そのような新しい人生のスタートを切っていただきたいと切に願います。

 



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