主イエスに出会った人々 その27 2007/12/16
『主イエスを葬る人々』

ヨハネ福音書19:38-42

 待降節第三の主日を過ごしてまいりました。今晩は主イエスの葬りの場面を通して、そこにおいて主との出会いを果たしていった二人の人の姿から、主イエスを恥とせず、むしろ主を誇りとして生きる信仰の歩みについて教えられていきたいと思います。

(1)アリマタヤのヨセフ
 金曜日の朝から始まった主イエスの十字架刑執行は、正午から全地が暗くなり神殿の幕が二つに裂けるという驚くべき出来事とともに進み、ついに午後3時にそのクライマックスを迎えます。30節に「イエスは、酸いぶどう酒を受けられると『完了した。』と言われた。そして、頭をたれて、霊をお渡しになった」とあるとおりです。この日は安息日を控えていましたので、すぐに遺体は処置される必要がありました。そんな時に一人の人物が登場してまいります。38節。「そのあとで、イエスの弟子ではあったがユダヤ人を恐れてそのことを隠していたアリマタヤのヨセフが、イエスのからだを取りかたづけたいとピラトに願った。それで、ピラトは許可を与えた。そこで彼は来て、イエスのからだを取り降ろした」。彼の名はアリマタヤのヨセフ、ルカ福音書によると「さてここに、ヨセフという、議員のひとりで、りっぱな、正しい人がいた。この人は議員たちの計画や行動には同意しなかった。彼は、アリマタヤというユダヤ人の町の人で、神の国を待ち望んでいた」と紹介されます。彼はユダヤの最高議会サンヘドリンの議員であり、しかもマルコ福音書によると「有力な議員」であったとされます。さらにヨセフは「りっぱな正しい人」とも紹介されます。彼は主イエスを十字架につけるという「議員たちの計画や行動には同意しなかった」人でした。私たちはイエスを十字架につけるために圧倒的な力で突き進む大政翼賛的なユダヤ人議会の中に、このような一人の良心的行動があったことを覚えておきたいと思います。
 しかしその一方で今日のヨハネの御言葉はヨセフについての大事な言葉を記します。それは「イエスの弟子ではあったがユダヤ人を恐れてそのことを隠していたアリマタヤのヨセフ」という証言です。彼は何とかして主イエスの十字架刑を回避しようと議会の中で孤軍奮闘した人物ですが、しかし自分自身が主の弟子であることは公言できないままにいた、というのです。そのヨセフがピラトのもとを訪れて、主イエスの遺体の引き取りを願い出て、その後、主イエスの遺体を墓に葬る役を引き受けるのでした。このヨセフの行動は大変な決断を要するものであったと言えるでしょう。ある種の決断がなければすることのできない行動についに彼は出たのです。ユダヤ人がこぞって十字架につけたイエスを、そのユダヤ人の指導者層にあるヨセフが葬るという行動が、民衆の目にどのよに映ったか、そしてそのことが彼の今置かれている状況に対してどのような影響を与えることになるかを想像することは決して難しいことではないでしょう。しかしそれを越えて主イエスの十字架の死という動かしがたい現実が、このヨセフという一人の人間をその内側から突き動かしたのではないかと思うのです。

(2)ニコデモ
 さらにここにもう一人、主イエスを葬るために進み出る人物が登場します。39節。「前に、夜イエスのところに来たニコデモも、没薬とアロエを混ぜ合わせたものをおよそ三十キログラムばかり持って、やって来た」。彼の名はニコデモ。ヨハネ3章で、人目をはばかってひっそりと夜に主イエスのもとを訪れた夜の求道者、ユダヤ人指導者であったニコデモです。かつては人々の目を恐れてこっそりと主イエスのもとを訪ねたニコデモが、今や主イエスを葬るために人々の前にその姿を堂々と表すのです。
 こうして彼らは主イエスの傷ついた体を十字架から取り降ろすと、その亡骸を丁重に葬ります。40節から42節。「そこで、彼らはイエスのからだを取り、ユダヤ人の埋葬の習慣に従って、それを香料といっしょに亜麻布で巻いた。イエスが十字架につけられた場所に園があって、そこには、まだだれも葬られたことのない新しい墓があった。その日がユダヤ人の備え日であったため、墓が近かったので、彼らはイエスをそこに納めた」。ここに私たちは、父なる神に捨てられ、人々によって十字架の死にへと追いやられた神の御子、救い主イエス・キリストが、しかしその死において人を新たに生かし始めておられることのかすかな兆し、小さな希望の光を見ることができるでしょう。アリマタヤのヨセフもニコデモも、彼らは自分の置かれている立場、他人の目、評価、自分の身の保証を投げ打って、主イエスを葬るためにその遺体を取り降ろしました。その行動はユダヤ議員、律法学者の彼らにとっては無謀なことでありました。しかし彼らは主イエスの十字架を目の当たりにして、この十字架の主イエス・キリストとともに生きることを決断した、新しい人としての出発を遂げたと言えるのです。一人また一人と主イエスの元から去っていった人々が、しかし主イエスの十字架を境にして再び一人また一人と帰って来る。しかもただ帰ってくるだけではない。今度は主イエス・キリストの十字架を誇りとする人となって、主イエス・キリストの贖いの御業の証人となって帰って来る。この後にも続々と、そのような人々の姿が私たちの前に現れて来て、そしてやがて彼らは再び主イエスの十字架と復活の福音を身に背負い、聖霊の力をその身に帯びて遣わされていくのです。主イエスは確かに十字架に死なれました。しかし主イエスの物語はまだ終わってはいないのです。いやむしろ本当の物語はここから始まるといえるでしょう。主イエス・キリストとの出会いは、もっといえば十字架の主イエス・キリストの出会いです。この方と出会ったときに、私たちは人生における大きな決断の前に立たされる。その決断から逃げ出すことをせずにしっかりと向き合い、そして十字架の主イエス・キリストが促す主の弟子としての歩みの第一歩を歩み出してまいりたいと思います。

 



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