主イエスに出会った人々 その26 2007/12/09
『十字架上の罪人』

ルカ福音書23:33-43

 待降節第二の主の日を過ごしてまいりました。神の御子イエス・キリストの御降誕を待ち望むこの時期、夕拝ではその主イエスの受難の場面を読み続けています。今晩はまさにそのクライマックスとも言うべき十字架上での主イエスと罪人との出会いの姿を見つめていきたいと思います。

(1)主イエスをあざ笑う人(v.33-39)
 33節。「『どくろ』と呼ばれている所に来ると、そこで彼らは、イエスと犯罪人とを十字架につけた。犯罪人のひとりは右に、ひとりは左に」。ついに主イエス・キリストは十字架に架けられました。広げた両手は十字架の横木に釘打たれ、両足は重ね合わせて、その甲の部分から立木にやはり釘打たれ、やがて十字架が地面に掘られた穴に差し込まれるように立てられると、両手、両足の釘に全体重が掛けられて、気を失うほどの激痛が走るのでした。しかしこの時、主イエスの口をついて出たのは驚くべき言葉でした。34節。「そのとき、イエスはこう言われた。『父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです』」。この十字架上での主イエスの祈りの前にして人間は鋭く二つのグループに切り分けられていくことになります。ちょうどここに三本の十字架が立っていて、主イエスを中心に右、左と二人の犯罪人が立っていることが、この人間の姿を象徴しているかのようです。それは一方では主イエスをあざ笑い、背を向ける人間であり、もう一方は、主イエスの前に罪を悔い改め、主との出会いを果たしていく人間です。
 一方の人々の姿はこうです。34節後半。「彼らは、くじを引いて、イエスの着物を分けた。民衆はそばに立ってながめていた。指導者たちもあざ笑って言った。『あれは他人を救った。もし、神のキリストで、選ばれた者なら、自分を救ってみろ。』兵士たちもイエスをあざけり、そばに寄って来て、酸いぶどう酒を差し出し、『ユダヤ人の王なら、自分を救え。』と言った。『これはユダヤ人の王。』と書いた札もイエスの頭上に掲げてあった」。さらに主イエスと一緒に十字架に架けられた人、つまり主イエスのすぐ傍らにいた犯罪人も言います。39節。「十字架にかけられていた犯罪人のひとりはイエスに悪口を言い、『あなたはキリストではないか。自分と私たちを救え。』と言った」。このように主イエスの十字架が人間の罪のためであったにも関わらず、その肝心の人間たちは、そのことを知らずに主イエスに向かって、「十字架から下りて、自分を救え」と嘲るのです。

(2)主イエスの御前に悔い改める人(v.40-41)
 そこで聖書はここでもう一人の犯罪人に光を当てます。彼らは主イエスの十字架を挟んで、実に対照的な姿を示すことになるのです。40節。「ところが、もうひとりのほうが答えて、彼をたしなめて言った。『おまえは神をも恐れないのか。おまえも同じ刑罰を受けているではないか。われわれは、自分のしたことの報いを受けているのだからあたりまえだ。だがこの方は、悪いことは何もしなかったのだ』」。この犯罪人は主イエス様の十字架のお姿に神の愛、罪を赦す神の大いなる愛を見たのです。彼は人々が嘲りの声を上げているその時に、傍らにおられる主イエスのあの祈りを聞いていたのでしょう。「父よ、彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分で分からないのです」。彼はこの主イエスの祈りの言葉を聞き、そして罪の赦しを与えてくださる主イエスの十字架の真の姿を見たのです。それはまさに、私たちの罪を赦すために神の子としてのあらゆる特権をかなぐり捨て、神の御座から私たちのもとに飛び込んできてくださった主イエス・キリストのお姿、まさにクリスマスの物語が指し示す恵みの出来事を示すものでした。救い主メシヤによる罪の赦しの恵みが御自身の到来によって現実となり、そしてその恵みが今やこの十字架上でまさにクライマックスを迎えようとしているのです。そのような主イエス・キリストの御生涯、父なる神から遣わされた救い主メシヤの使命の成就として、主イエスは今ここで十字架に付きつつ、罪ある者の赦しを祈っていてくださるのです。

(3)主イエスと出会う人(v.42-43)
 そしてここからが彼の生涯の大逆転の始まりでした。犯罪人は言います。42節。「そして言った。『イエスさま。あなたの御国の位にお着きになるときには、私を思い出してください』」。これが彼にとっての精一杯の信仰の告白でありました。今更「赦してください」などとは虫が良すぎて言えない。何の善行も功績もない。罪の償いだって何一つできる状態ではない。ただできるのは主イエスの赦しの恵みにすがるだけです。いやそれすら言うのははばかられる。彼にとっては「思い出してください」が精一杯の言葉だったのではないでしょうか。けれどもこの言葉が重要です。ここから彼の主イエスとの出会いの人生がスタートするのです。彼はその人生最後の局面で、しかも十字架の上という極限的な状況の中で自分の人生を丸ごと主イエスに委ねたのでした。そしてこの時、彼もまた「父よ、彼らをお赦しください」という主イエスの祈りの中で、その罪を赦されていったのです。
 その証拠に、イエス様はすばらしい約束をくださいました。43節。「イエスは、彼に言われた。『まことに、あなたに告げます。あなたはきょう、わたしとともにパラダイスにいます』」。それは何にも代え難いすばらしい救いのメッセージでありました。主イエスを信じた時、彼は自分では償うことのできない罪の赦しをいただき、そして彼は神の子とされたのです。彼にとっては肉体の苦痛が続くその最中にあって、「きょう、パラダイスにいる」という救いの宣言を受け取ることができたのです。この犯罪人にとって地上で主イエスを信じて生きることのできる時間はほんの一瞬のこと、しかもそれは肉体の極限的な痛みの中で過ごす時です。しかしそのほんの一瞬と思えるような時間の中で、彼の命は確かに輝いたのです。輝いて生きたと言うにはあまりに短いその輝きは小さな、見逃してしまうほどの輝きを、しかし聖書は見逃すことをしません。なぜならその輝きは地上においては一瞬であったとしても、天の御国にあっては永遠の輝きへの先駆けを意味しているからです。この主イエスと出会う時、「あなたはきょう、わたしとともにパラダイスにいる」という人生が始まるのです。「パラダイスにいる」とはイエス・キリストの愛のもとに、赦しのもとに、その御力のもとに、その支配のもとに生きるということです。この主との出会いに、今晩私たちもまた新しく招かれているのです。この招きに答えて、主の御前に進み出てまいりましょう。

 



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