主イエスに出会った人々 その2 2007/04/22
『ガリラヤの漁師たち』

マルコ福音書1:16-20

今晩は、主イエス・キリストと出会い、それまでの人生を置いて主の弟子となっていった人々の姿から、新しい使命に生かされる出会いの姿を見つめていきたいと思います。

(1)わたしについて来なさい
 ドイツ語で職業のことを「ベルーフ」と言いますが、この言葉には本来、「呼び出される、招かれる」あるいは「召し出される、任命される」という意味があります。そこから日本語で言う「召命」という言葉も出てくるのですが、ここには職業というものが自分で選び取るというよりも上から与えられる、すなわち神から与えられるものという考え方が表れています。「これが私の天職だ」などという言い方もこれに通じることでしょう。特にキリスト教会では職業への召しということを重んじるのですが、とりわけいわゆる聖職者、教職者の働きに着くにあたって重視されるのがこの「召命」ということです。本当に神によってこの働きに召されているか。自分のやりたい、やりたくないということでなく、神があなたを必要としているか、そのように呼び出されているかが吟味されるのであり、ひとたび、神がお呼びになっているとなれば、自分自身をささげてお従いしていく。これが献身ということです。
 今晩私たちが見ようとしている出会いの物語も、そのような主の弟子としての召命と献身のストーリーでありました。ここに登場してまいりますのは二組の兄弟たちです。彼らはいずれもガリラヤ湖という湖で漁を営む漁師たちでした。16節。「ガリラヤ湖のほとりを通られると、シモンとシモンの兄弟アンデレが湖で網を打っているのをご覧になった。彼らは漁師であった」。19節。「また少し行かれると、ゼベダイの子ヤコブとその兄弟ヨハネをご覧になった。彼らも舟の中で網を繕っていた」。彼らは漁の季節になると毎日夜明け前から舟を出し、一日中体を酷使して働き、陸に上がれば網の繕い、舟の手入れに明け暮れる。そんな日々を毎日毎日繰り返しながら日々を生きる平凡な人々でありました。恐らく顔も腕も真っ黒に日焼けし、手は分厚く、ひげ顔の出で立ちで、気の荒い漁師気質の人々であったかもしれません。そんな彼らに主イエスは自ら声をかけられるのです。17節。「イエスは彼らに言われた。『わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしてあげよう』」。「わたしについて来なさい」。この一言の言葉によって彼らは主イエスとの出会いを果たしていきました。これが主イエス・キリストからの彼らへの召命の言葉、新しい人生への呼びかけの言葉であったのです。人間をとる漁師、すなわち神の救いのもとに人々を導くという新しい人生へとまず彼ら自らが捕らえられ、そして今度は彼らが人々を招く者となる。これが彼らにかけられた主イエスからの招きの声、召命の声でした。

(2)網も舟も家族も
思いもかけない主イエスとの出会いと招きの声を聞いて、いったい彼らはどのように応じたのでしょうか。福音書は彼らの行動を実に簡潔に書き留めます。シモンとアンデレんついては18節。「すると、すぐに彼らは網を捨て置いて従った」。ヤコブとヨハネについては20節。「すぐに、イエスがお呼びになった。すると彼らは父ゼベダイを雇い人たちといっしょに舟に残して、イエスについて行った」。20節には17節のような言葉そのものは記されませんが「イエスがお呼びになった」という言葉にその意味が込められています。ともかくシモンもアンデレも、ヤコブもヨハネも、彼らは主からの呼び出しを受けたとき、手にして網も舟も、そして家族もすべてそこにおいてすぐさま立ち上がり、従っていった、主についていったのです。ある人は彼らの行動を見て「何と単純なことか」と驚くでしょう。「主の弟子になる覚悟も知識もないままに物珍しさだけで行ったのではないか」、「田舎での漁師暮らしに嫌気がさして、新しい生活を求めて行っただけではないか」などといろいろな声が聞こえてきます。しかしここで確かなことは、彼らは主イエスの呼びかけの言葉、招きに言葉を聞いたときに、すべてを置いてすぐに従っていったという一つの事実なのです。

(3)主イエスに呼ばれて
 ルカ福音書9章59節以下を見ますと、そこでは同じように主イエスから「わたしについて来なさい」と声をかけられたにも関わらず、自分の都合を優先させたり、「その前に」と主を後回しにしたりする人々の姿が描き出されます。それで主イエスはこう言われるのです。「だれでも、手を鋤につけてから、うしろを見る者は、神の国にふさわしくありません」。主イエスとの出会い、それはこちらから探し出して、選び取ってということでなく、むしろ主から目を留められ、主から声をかけられての出会いです。主に従っていったらどんないいことがあるか、どんなメリットがあるか。そういった損得勘定でついて行く道ではないのです。私たちはしばしばそのような自分にとっても好条件、安定した生活、確かな先行きへの見通しなどが保証されるのを見てから、あるいはそれらと引き替えのようにして、それなら進む、それなら止める、という人生の選択をするものです。もちろんそれらがすべて否定されるべきではありませんし、時には慎重に、冷静に、客観的にあらゆる事柄を想定した上で得た結論に基づいて決断し、行動するということもあるでしょう。しかし今晩私たちがまず心に留めておきたいのは、主イエスと出会い、主イエスに声をかけられ、主イエスについて来なさいと言われたならば、その道を進むほかないのだという単純きわまりない事実です。主イエスがわたしを呼んでおられる。その一つの事実を拠り所としてただひたすら従って行く。それが主に呼び出され、召し出された者の歩み、献身の歩みなのです。その主の呼びかけに答えて生きるとき、それはどんな場所での、どんな働きであったとしても、それが私にとっての主からの召命であり、果たすべき使命であり、誇るべき天職になるのです。主イエスに呼ばれ、招かれ、任じられる。そのような主イエスとの出会いを果たしていきたいと思います。

 



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