主イエスに出会った人々 その15 2007/08/05
『あなたはキリスト』

マルコ福音書8:27-30

今日の箇所は、この夕拝で学び続けている「主イエスと出会った人々」というテーマの一つの集大成のような場面です。これまで幾人もの人々の主イエス・キリストとの出会いの出来事を見てきましたが、それらを通して見えてきたものは、主イエスとの出会いの仕方やその経過は様々であっても、主イエスとの出会いがもたらすものはただ一つの結果であったということです。それは主イエス・キリストを自らの救い主と信じて心に受け入れ、主イエスにある新しい歩みへと変えられていったということでした。では、そこで起こっていることは一体何なのか。主イエスと出会うというのはいかなることなのか。この最も大切な事柄について、今晩の御言葉に耳を傾けておきたいと思います。

(1)人々はわたしを誰だと(v.27-28)
 27節、28節。「それから、イエスは弟子たちとピリポ・カイザリヤの村々へ出かけられた。その途中、イエスは弟子たちに尋ねて言われた。『人々はわたしをだれだと言っていますか。』彼らは答えて言った。『バプテスマのヨハネだと言っています。エリヤだと言う人も、また預言者のひとりだと言う人もいます』」。ピリポ・カイザリヤという町に向かう道の途上で、主イエスはご自分に付き従っている弟子たちに向かっておもむろにお尋ねになります。彼ら弟子たちはそれぞれの人生の途上で主イエスに出会い、主イエスによって新しい歩み、主に従う新しい歩みを始めた人々ですが、そんな彼らにあらためて主はこうお尋ねになられたのです。
 まず主は弟子たちに「人々はわたしをだれだと言っていますか」と問われます。著しい御業を行って、いわば「時の人」となっている主イエスを巷の人々は誰だと言っているのかとの問いかけです。それに対して弟子たちは「バプテスマのヨハネ」、旧約の偉大な神の人「エリヤ」、また「預言者の一人」と答えます。旧約最後の預言者として、荒野からきら星のごとくにあらわれ、危機の時代に人々の目覚めを呼び覚ます裁きのメッセージを語り、そしてついには非業の死を遂げたあの洗礼者ヨハネの再来だという人々、あるいはかつてイスラエルが偶像礼拝に耽り、霊的にもっとも堕落した時代に、王をも恐れずに立ち、著しい奇蹟の御業を立て続けに行って祖国の霊的な改革に奔走した偉大な預言者エリヤだという人々、そしてまた、それに続いて主なる神から遣わされ、祖国イスラエルの悔い改めと神への立ち返りを語ってやまなかった旧約の預言者たちの一人だという人々がいたというのです。そこには当時の人々が求めていた時代の救世主への憧れが映し出されていると言えるのではないでしょうか。ローマ帝国の圧政のもとに置かれていたユダヤにとって、旧約聖書が約束していた救い主メシヤのイメージは、自分たちをこの苦しみから解放してくれる強くて偉大なリーダー、社会を根底から覆し、ローマの圧政を押しのけ、時の果敢に打ち砕いていく改革者、希望を失った人々にもう一度、神の訪れを実感させてくれる預言者のような存在。それが当時の人々が待ち焦がれていた救い主の姿だったのです。しかしいわばそれらは人間たちが欲する救い主、人間が描き出す理想のリーダーの姿に過ぎないということを私たちは忘れてはなりません。人間が自らの理想を描き、それが満たされることを願って欲する政治的リーダー、時代の改革者、夢を託せる理想の存在。人々はそのようなイメージを主イエスに託そうとしていたのでした。

(2)あなたはわたしを誰だと(v.29-30)
しかしあらためて弟子たちに尋ねられます。29節、30節。「するとイエスは、彼らに尋ねられた。『では、あなたがたは、わたしをだれだと言いますか。』ペテロが答えてイエスに言った。『あなたはキリストです。』するとイエスは、自分のことをだれにも言わないようにと、彼らを戒められた」。巷の評判、周囲のイエス像はよく分かった。しかしそれで終始していては単なる人気調査、世論調査で終わるでしょう。社会が期待するリーダーになろうと欲すれば、人々の期待に添う振る舞いをすればいいわけです。しかし主イエスは弟子たちに「あなたがたがは、わたしをだれだと言うか」と問いかけられます。この問いこそが私たちが本当に主イエス・キリストとの出会いを果たしていく上で絶対に避けて通ることのできない、極めて重要で本質的な問いなのです。人々はいろいろなことを言う。けれども「あなたはわたしをだれだというのか」と主は私たち一人一人に真正面から問いかけてこられるのです。この問いを前にしては三人称の答えは許されません。あの人はこう言っている、この人はこう言っている。世間はこう、まわりはこう。そういう世間一般の評価や評判ではない。あなたはわたしを誰だというのか。この一対一の関わりにおいて、主イエスは私たちに問いかけられる。ここに主イエスと私との真の出会いが起こってくるのです。弟子たちの先頭を切ってペテロが口を開きます。彼は言います。「あなたはキリストです」。福音書の中で最も重要な言葉の一つです。前回、ベツサイダの盲人の癒しの箇所でも見たように、このペテロの主への告白はマルコ福音書の一つの頂点をなす箇所でもありました。また同じ出来事を記すマタイ福音書16章16節では「あなたは、生ける神の御子キリストです」となっています。どちらにしても一番大切なことは「あなたはキリスト」、政治的解放者、社会の改革者、理想の人間像、そういった人間の側の描き出す救い主ではない。まさに神の独り子として私たちのもとに来られ、私たちを罪と滅びの中から救い出し、神の子どもとし、永遠の御国の約束に招き入れるために十字架によって私たちの身代わりとなり、死んでよみがえってくださったただお一人の救い主、このようにこのお方を信じて、この方こそキリストと告白するところに、私たちの主イエスとの出会いが成し遂げられていくのです。「あなたはキリスト」このたった一言の言葉が、この後の時代に大きな大きな意味を持つことになりました。教会はこのペテロの信仰告白を礎として建てられて行き、またキリスト者たちはこの信仰の告白のゆえに多くの戦いと苦難、迫害の時代を経験していくことになりました。
 福音書を記したマルコはこの出来事の舞台が「ピリポ・カイザリヤ」であったと記します。「ピリポ」とはヘロデ大王の息子の名、「カイザリヤ」はローマ皇帝カイザルの称号です。ピリポがこの地を分割統治した際に自分の名を付け、同時にローマ皇帝への敬意を表してその称号をも付けたのがこの町の名の由来でした。時の権力者たち、ユダヤの王の名と、神格化され神のように崇めて奉られていたローマ皇帝の名、この二つの名が冠せられたこの町で「あなたこそキリスト」と告白されたことの意味深さを覚えたいのです。私たちもこのお方を「あなたこそキリスト」と告白することをもって、まことの救い主イエス・キリストとの出会いを果たしていきたいと願います。

 



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