主イエスに出会った人々 その14 2007/07/29
『マルタとマリヤ』

ルカ福音書10:38-42

 今晩は、主イエスをお迎えした二人の姉妹マルタとマリヤの姿を通して、主イエスとの出会いを喜ぶ信仰の姿を見つめて行きたいと思います。

(1)立ち働くマルタ
 38節。「さて、彼らが旅を続けているうち、イエスがある村にはいられると、マルタという女が喜んで家にお迎えした」。旅人をもてなす。それは当時の社会においては美徳の一つとして数えられる振る舞いでした。新約聖書の中でもしばしば「旅人をもてなすこと」の勧めが語られますし、特に伝道者をもてなすことは初代教会において重んじられた奉仕でした。主イエスを迎えたマルタも、そのように愛ともてなしの心をもって喜んでお迎えしたのです。しかしそのように喜びながら甲斐甲斐しく奉仕する彼女の心が次第に波立つ出来事が起こります。39節、40節。「彼女にマリヤという妹がいたが、主の足もとにすわって、みことばに聞き入っていた。ところが、マルタは、いろいろともてなしのために気が落ち着かず、みもとに来て言った。『主よ。妹が私だけにおもてなしをさせているのを、何ともお思いにならないのでしょうか。私の手伝いをするように、妹におっしゃってください』」。マルタの心を波立てるもの、それは妹マリヤの振る舞いでした。自分が忙しくもてなしに走り回っているというのに、妹のマリヤはじっと座って主イエスの話に耳を傾けている。どうして自分だけがこんなに駆け回らなければならないのか。妹の存在が彼女の中に苛立ちを引き起こしていったのです。しかしそれだけではありません。妹の振る舞いをそのままになさる主イエスにまで彼女の心は波立てられているのでした。「主よ」と訴えかけるマルタの言葉には、主イエスに対する不満の心も透けて見えてくるようです。
主イエスを喜んで家に迎えたはずのマルタが、今では主イエスにさえ不満の心を抱くようになる。いったい何が彼女の心をそのように様変わりさせてしまったのでしょうか。このことを考えるためには、マリヤの姿にも目を留める必要があります。

(2)御言葉を聞くマリヤ
 マルタの目には何もせずにただ座っているだけのように見えるマリヤですが、実際には彼女も大切なことをしていました。それが「主の足もとにすわって、みことばに聞き入る」ということだったのです。しばしば今日の出来事は奉仕か御言葉か、という比較のように捉えられがちです。しかしマルタの振る舞いが決して軽んじられると言うことではありません。確かにマルタの振る舞いも必要なことでした。しかしここで大切なのは御言葉を聞くマリヤの姿がマルタにとっては不満となり、さらには主イエスのお姿までもがマルタの不満となってしまっていたということです。御言葉に聞くことがないがしろにされかねない危うさがマルタの心を揺り動かしていたのでした。
 一方のマリヤも、決してマルタにやっかいごとを押しつけて、自分だけのほほんと座っていたということばかりではなかったでしょう。むしろ主イエスをお迎えするにあたって、いったい何が一番になすべきことであるかを彼女は考え、その一番のことに身も心も用いたということなのです。ですから主はマルタに言われます。41節、42節。「主は答えて言われた。『マルタ、マルタ。あなたは、いろいろなことを心配して、気を使っています。しかし、どうしても必要なことはわずかです。いや、一つだけです。マリヤはその良いほうを選んだのです。彼女からそれを取り上げてはいけません』」。
 私たちもしばしば「いろいろなことを心配して」心が広がり、散らばってしまうということがあります。その結果、「どうしても必要な一つのこと」を見失ってしまうと言うことがあり得るのです。いろいろなことの心配は決してないがしろにされてはならない大切なことですが、しかしどうしても必要な一つのことを見失ってしまっては本末転倒です。主イエスとの出会いは、どうしても必要な一つのこと、すなわち主イエスの御言葉を聞くことから始まっていくのです。

(3)主イエスを喜ばせる心か、主イエスを喜ぶ心か、
最後に、もう一つのことを考えておきたいと思います。それはマルタとマリヤの主イエスに対する心の有り様ということです。マルタの心、それは主イエスをお喜ばせしたいという心といってよいでしょう。それに対してマリヤの心は、主イエスを喜ぶ心でありました。これもまたどちらかが正しくて、どちらかが間違っているということではありません。しかし大切なのは、どちらの心がどちらの心を支えているか、ということです。つまり主イエスを喜ぶ心があってはじめて主イエスをお喜ばせする心が健やかなかたちで生み出されてくるのであって、その心が下支えになっているかぎり、私たち本当に主との出会いを喜びながら、主をお喜ばせする歩みをすることができるのです。主イエスご自身を喜ぶ心、それは私が主イエスのために何かをする、何かができるに先だって、主イエスが私のために何をしてくださったかを深く心にとめ、感謝する時に生まれてくる心です。その心を大切にすることなしに、私たちが主をお喜ばせすることに心を用いようとする時、その心にはしばしば疲れが生じ、またそこにはさばく心が起こってきたりしてしまいます。
 主イエスを喜ぶ心は主イエスが私のために何をしてくださったのかを深く思い巡らす中で生み出され、育まれていくものです。そしてその心は主イエスの御言葉に聞く心の中でますます養われ、ますます喜びに満たされていくことができるのです。私たちも御言葉の語りかけを通して主イエスとの出会いを果たし、いつも主イエスを喜ぶ思いの中で、ますます主を喜び、主を愛し、それをもって主をお喜ばせする、そのような信仰の歩みを導かれてまいりたいと思います。

 



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