主イエスに出会った人々 その11 2007/07/08
『スロ・フェニキヤの女』

マルコ福音書7:24-30

 今晩は、娘の救いを願う異邦人の母親と主イエス・キリストとの出会いの姿を通して、救いを求める者に応えてくださる主の恵み深さに触れて行きたいと思います。

(1)母親の切なる願い(v.24-26)
 24節から26節。「イエスは、そこを出てツロの地方へ行かれた。家にはいられたとき、だれにも知られたくないと思われたが、隠れていることができなかった。汚れた霊につかれた小さい娘のいる女が、イエスのことを聞きつけてすぐにやって来て、その足もとにひれ伏した。この女はギリシャ人で、スロ・フェニキヤの生まれであった。そして、自分の娘から悪霊を追い出してくださるようにイエスに願い続けた」。舞台はガリラヤ地方からさらに北に進み、主イエスとその一行はフェニキヤ地方の港町ツロへを訪れます。しかし福音書の記者は、この町にもすでに主イエスの噂は拡がっており、身を隠すこともできないほどに主との出会いを求める人々が数多くいたことを証ししています。そんな中で今晩登場してまいりますのは一人の母親です。彼女はスロ・フェニキヤの生まれのギリシャ人、異邦人の女性でありました。彼女には小さい娘がいましたが、悪霊にとりつかれて酷い状態にあったようです。そこで彼女は主イエスの噂を聞きつけると、すぐに主イエスを捜し出し、「娘から悪霊を追い出してくださるように」と何度も熱心に願い続けたのでした。
 私たちはすでにこれまでにも、子どもの救いや癒しを熱心に求め続ける親たちの姿を見てきました。そしてそこにある共通した型があることにも気づかされます。すなわち病気の癒しや悪霊からの解放を求める人々とそれに応えられる主イエス、しかし主イエスが与えられるものは彼らが願う癒しや解放以上のもの、すなわち魂の救いであるということです。福音書はこれらの出来事を繰り返し記すことによって、私たちが主イエスに自分自身や自分の愛する人々が抱えている問題について率直に願い求めて良いということ、主はその求めに応えてくださるということ、そして主が与えてくださるものは私たちの願うものであるばかりでなく、実はそれ以上のもの、そして一番私たちにとって必要なものであることを明らかにしていてくださるのです。

(2)母親の信仰(v.27-28)
 しかし今日のストーリーはそんないつもの型通りとは言えない展開を見せ始めます。それは主イエスの発せられた意外な御言葉に端を発していました。27節。「するとイエスは言われた。『まず子どもたちを満腹させなければなりません。子どもたちのパンを取り上げて、小犬に投げてやるのはよくないことです』」。何とも意外な一言です。これまでであれば快く願いを聞き入れてすぐさま出かけて行かれる主イエスが、ここでは彼女の願いに冷や水を浴びせるような言葉を投げかけられるのです。ここで「子どもたち」というのは神の民イスラエルのこと、そして「小犬」とは異邦人のことを指している言葉です。先ほど見たように彼女はギリシャ人、つまり異邦人ですから、ここではイスラエル人は子ども、異邦人は犬、そしてまずは子どもたちを優先するから、異邦人は後回し、と言わんばかりの言葉です。彼女にしてみれば大変な侮辱であり差別的な発言とも受け取られかねない問題発言と言うことになるのではないでしょうか。いったい主イエスはどうしてこんなことを仰られたのか。福音によってユダヤ人も異邦人も、奴隷も自由人もない、というのが聖書の教えなのではないか。私たちも率直に言って戸惑いを感じる言葉です。
しかし彼女はそんな主イエスの言葉にもひるみません。むしろその言葉を受け取りながらこう語るのです。28節。「しかし、女は答えて言った。『主よ。そのとおりです。でも、食卓の下の小犬でも、子どもたちのパンくずをいただきます』」。この言葉、実に見事な切り返しというほかありません。彼女は自分の立場をわきまえつつも、しかし大胆、率直に主の御前に自らの切なる思いを願い出ているのです。しかもその際に彼女は相手の愛に訴えかけるのであって、決して卑屈な思いでこの言葉を語っているのではないのです。それは次の主イエスの御言葉によって明らかになるでしょう。

(3)その言葉のゆえに(v.29-30)
 29節、30節。「そこでイエスは言われた。『そうまでいうのですか。それなら家にお帰りなさい。悪霊はあなたの娘から出て行きました。』女が家に帰ってみると、その子は床の上に伏せっており、悪霊はもう出ていた」。ここで主イエスは彼女の大胆さやその答えの絶妙さに「一本とられた」というような思いで、ではしかたがないといって娘を悪霊から解き放ったのかと言えば、そうではないでしょう。「そうまでいうのですか」とは、彼女の発言が実に図々しいが、そうまでいうならしょうがない、というニュアンスではなく、むしろ直訳すると「その言葉のゆえに」という意味になります。つまり彼女の「主よ。そのとおりです。でも、食卓の下の小犬でも、子どもたちのパンくずをいただきます」という言葉に主イエスは彼女の真実な思いを見出し、それを取り上げてくださったということなのです。つまり主イエスの愛にすがる言葉をもって、主イエスはそれを彼女の信仰の告白の言葉として聞いてくださったのです。
 そもそも主イエスがここで「小犬」というたとえを用いられた意図を、彼女は彼女なりにしっかり汲み取っていたのでしょう。聖書の中にはしばしば悪い意味で「犬」という言葉が使われます。パウロもピリピ書3章2節で「どうか犬に気をつけてください。悪い働き人に気をつけてください」と言っています。しかし主イエスはここで彼女を「犬」呼ばわりされはしませんでした。そうではなく異邦人を指して「小犬」と呼ばれた。小犬は今でも同じく当時もローマ社会にあっては愛玩動物であり、家族の一員のようにして暮らしていたと言われます。ここで主イエスは旧約から新約にかけての神の救いのご計画の全体を心に置きながら、御自身が遣わされてきたのはまず神の民イスラエルの悔い改めのためであり、その救いのご計画の秩序を差し置いて異邦人を救うということが優先順位ではないという一般原則を立てながら、しかし異邦人たちにもやがて救いの恵みがもたらされる時が間近に来ていることを示しつつ、この言葉を発せられたと言うことができるでしょう。しかし彼女はそのような神の救いのご計画の秩序を受け入れつつも、それでもなお主に大胆に願い出る。その彼女の言葉とその姿勢の中に主は彼女の主イエスに対する真実を見出してくださり、そこに恵みを注いでくださったのです。自分もあなたの恵みのおこぼれにあずかりたい。そのおこぼれでも十分私は満たされ、救われる。そんなへりくだった切なる願い、しかし大胆で率直な信仰をもって私たちも主の恵みにあずかりたいと思います。

 



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