主イエスに出会った人々 その1 2007/04/15
『羊飼いと老人』

ルカ福音書2:8-38

 今晩から新しく、「主イエスに出会った人々」と題しての連続説教をしていきたいと願っています。主にマタイ、マルコ、ルカ、ヨハネの四つの福音書の中から主イエス・キリストに出会った様々な人々の姿を取り上げて、彼らの人生が主イエスとの出会いでどのように変えられていったかを知り、何よりも私たち自身が救い主イエスとの出会いを果たしていきたいのです。そのような期待と祈りをもって御言葉に耳を傾けたいと思います。

(1)出会いで決まる人生
 数年前に教会案内を作ることになった際、お招きの言葉として次のような一文をしたためました。これは教会のホームページにも載せられている言葉です。「人生は出会いによって決まると言われます。思いがけない出会い、待ち望んでいた出会い。出会いのかたちはさまざまですが、しかし、そのようなかけがえのない出会いの一つ一つが積み上げられて、私たちの人生は豊かにされていくのではないでしょうか。聖書が語る出会い。それは『神と人』との出会いの物語です。人が神と出会う時、そこに新しい世界が開かれていきます。冷え切ったこころにぬくもりが与えられ、傷ついたこころに慰めが満され、不安なこころに確かな土台が据えられ、絶望の闇の中に希望の光が注がれる。聖書の中にはそんな出会いのストーリーがあふれています・・・」。聖書にあふれている出会いのストーリー、その始まりに取り上げたのがルカ福音書2章のクリスマスの出来事です。ここには実に多くの人々が登場してきますが、私たちが特に目を留めておきたいのが、荒野で御使いを通して御子イエス・キリストの誕生を知らされ、生まれたばかりの御子のもとへと駆けつけていった羊飼いたち、そして長い間イスラエルの救いを待ち望み、人生の終わり近くになって御子イエスに出会い、御子を腕に抱いて神を賛美した老人シメオン、そして同じくイスラエルの慰めを待ち望んだ老女預言者アンナの姿です。

(2)羊飼いと老人
 8節から12節。「さて、この土地に、羊飼いたちが、野宿で夜番をしながら羊の群れを見守っていた。すると、主の使いが彼らのところに来て、主の栄光が周りを照らしたので、彼らはひどく恐れた。御使いは彼らに言った。『恐れることはありません。今、私はこの民全体のためのすばらしい喜びを知らせに来たのです。きょうダビデの町で、あなたがたのために、救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。あなたがたは布にくるまって飼葉おけにねておられるみどりごを見つけます。これが、あなたがたのためのしるしです』」。驚くことに御子イエス・キリストがお生まれになった最初のクリスマス晩、その知らせを受けたのは荒野で野宿をする羊飼いたちであったというのです。彼らは町囲みの外で生活をし、町の中の人々からは遠ざけられた人々でありました。また経済的にも決して豊かではなく、昼夜分かたず羊たちと寝食を共にする、社会の最下層に生きる人々でした。本来なら王の王として来られる救い主とは一番遠く隔たったところにいると思われた人々。自分は神にも見捨てられたような人間だ。神がいるならどうしてこんな生活を余儀なくされるのか。そんな言葉を口にしたかも知れない、そんな彼らにまず最初に主イエスとの出会いは訪れたのです。
 次に登場するのは老人シメオンとアンナの姿です。25節から27節。「そのとき、エルサレムにシメオンという人がいた。この人は正しい、敬虔な人で、イスラエルの慰められることを待ち望んでいた。聖霊が彼の上にとどまっておられた。また、主のキリストを見るまでは、決して死なないと、聖霊のお告げを受けていた。彼が御霊に感じて宮にはいると、幼子イエスを連れた両親が、その子のために律法の慣習を守るために、はいって来た」。年老いた人シメオン。彼がこれまで生きてきた時代はユダヤにとっては激動の時代、戦争が続き、ついには祖国が大ローマ帝国の支配下に置かれ、大きな苦難の連続でありました。そんな時代を生き続けてきた彼が、しかし今、待ちに待った救い主との出会いを果たすのです。しかしそれは見るかに頼もしく力に溢れた人物ではなく、小さくか弱い赤ん坊の姿でありました。しかしそれでもシメオンの思いは揺らぎません。彼は救い主イエスを懐に抱くと神を賛美して叫びます。29節、30節。「主よ、今こそあなたは、あなたのしもべを、みことばどおり、安らかに去らせてくださいます。私の目があなたの御救いを見たからです」。こうして苦難の人生の終わり近くに、シメオンは主イエスとの出会いを果たしたのでした。次にアンナの姿を見ましょう。36節から38節。「また、アセル族のパヌエルの娘で女預言者のアンナという人がいた。この人は非常に年をとっていた。処女の時代のあと七年間、夫とともに住み、その後やもめになり、八十四歳になっていた。そして宮を離れず、夜も昼も、断食と祈りをもって神に仕えていた。ちょうどこのとき、彼女もそこにいて、神に感謝をささげ、そして、エルサレムの贖いを待ち望んでいるすべての人々に、この幼子のことを語った」。シメオン同様、アンナが生きてきた時代も苦難の連続ですが、同時に彼女は夫に先立たれ、以来、やもめとして不遇の生活を耐えながら、ひたすら神に仕えつつ生きてきたのです。そんな彼女にも救い主イエスとの出会いがもたらされたのでした。
 
(3)主イエスとの出会いが生み出すもの
羊飼いと老人。主イエスに出会った最初の人々の姿はそれぞれに違っています。羊飼いたちにとっての主イエスとの出会いは、まさに予期せぬ、思いがけない出会いでありました。自分たちの所などに救い主が来るはずがない、そんな夢を見ることはない。今のこの現状を受け入れて生きるほかない。そんな彼らのもとに思いがけず主イエスとの出会いは訪れたのです。一方、年老いたシメオン、アンナにとっての主イエスとの出会いは、長い長い苦難の人生の果てに、待ち続けていた出会いでありました。苦しみの連続の人生の中にあっても、必ず神の救いは訪れる。その一つの希望によって生きてきた彼らにとって、主イエスとの出会いは、必ず神が成し遂げてくださるという約束にしがみつくように生きてきた末の待望の出会いであったのです。
 このように私たち一人一人の人生においても主イエスとの出会いは実に様々です。一人一人がそれぞれの人生の旅路において、ある時、ある場所で主イエスと出会う。それは私たちにとっては思いがけない出会い、あるいは待ち望み続けてきた出会いであるかもしれません。しかし確かに言えることは私たちと主イエスとの出会いは決して偶然の出来事ではなく、主イエスの深い愛と憐れみの中で、実は主イエスの方から私たちを捜し出して訪れてくださるそんな出会いであると言うことなのです。貧しい者にも、老いた者にも、救いから遠く隔たっているように思える者にも、苦難の連続でしかないような人生を生きる者にも、しかし主イエスとの出会いは確かに訪れる。私たちの信じる救い主イエスはそのように私たちを捜し出し、見つけ出し、私たちのもとに訪れてくださるお方なのです。そしてどんな人でも、どんな境遇にあっても、どんな出会いの仕方であったとしても、そこでひとたび主イエスに出会う時、そこに新しい人生、主をほめたたえ、主を喜んで生きる賛美の人生が始まるのです。それこそが主イエスが私たちにくださる幸いな人生なのです。 20節。「羊飼いたちは、見聞きしたことが、全部御使いの話のとおりだったので、神をあがめ、賛美しながら帰って行った」。

 



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