シリーズ教会に生きる その1 2008/01/06
『主の名による集い』

マタイ福音書18:19-20

 今晩からこの夕拝では、新しく「教会に生きる」というシリーズで皆さんとともに御言葉を聴いていきたいと願っています。聖書は教会というものについて実に豊かな言葉や様々なイメージを用いて描き出しています。私たちはそれらの言葉に注目しながら、主の教会についての理解を深め、それだけでなく教会に生きる私たちの信仰を養っていきたいと願っています。

(1)主の臨在の集い
私自身のうちにある大きな問いであり、またこの答えを追い求め続けていきたいと願っている生涯のテーマは「教会とは何か」、「教会を建て上げるとはいかなることなのか」ということです。地上の教会のあらゆる営みはこの問いに向けてなされ続けていると言ってもよいでしょうし、この問いを追い求めながらの歩みそのものが、地上の教会の形成であると言ってもよいのだろうと思います。つまり教会を問い、教会を考えることは、決して抽象的なことがら、観念的なことがらでなく、教会に生きる私たちの歩みと深く結びついた、いわば信仰のリアリティーに繋がる問いのなのであって、それほどにこの問いは大切なものだと言わなければなりません。
 では教会とは何かを問うと言う営みを私たちはいったいどこから始めるのでしょうか。実際には様々な観点からの考察や切り口もあるでしょう。けれども私たちは教会に生きる者として教会を問うという時に、この御言葉から始めていきたいのです。19節、20節。「まことに、あなたがたにもう一度、告げます。もし、あなたがたのうちふたりが、どんな事でも、地上で心を一つにして祈るなら、天におられるわたしの父は、それをかなえてくださいます。ふたりでも三人でも、わたしの名において集まる所には、わたしもその中にいるからです」。主イエス・キリストがそこにいましたもうところ、生ける主キリストの現臨のあらわれるところ、それが教会だ、ということなのです。

(2)心を一つにして祈るなら
では、この生けるキリストのご臨在は教会において、どのようにして鮮やかに示されるのでしょうか。19節、20節で主イエスは言葉を入れ替えながら一つの御心を教えておられるところですが、19節では「どんな事でも、地上で心を一つにして祈るなら」と言われ、20節では「わたしの名において集まる所には」と言われます。主イエス・キリストの臨在のあらわれるところ、それは地上で心を一つにして祈るところ、主イエス・キリストの御名において集まるところだと言われるのです。このことをもっともはっきりと現すもの、それが今、こうして私たちが集っている教会の礼拝、主の日の公同の礼拝なのです。
 教会は主イエス・キリストの御名によって呼び集められるところです。私たち人間の側が思い立って呼びかけあって集まってくるのでなく、主イエス・キリストのお招きにあずかり、主イエスの権威ある御声によって招集される集まりです。まさに「エクレーシア」、「呼び出された者たちの集い」という言葉がこの真理を示しています。またこうして主の御名によって呼び集められた集いは、心を一つに祈る集いです。互いの意見の一致、利害の一致、興味関心の一致、思惑の一致、主義主張の一致によって集まるものではありません。互いのあいだの一致によって成り立つ集団は、案外と崩れやすく脆いものです。しかし教会は、ただお一人の方の御心を求める祈りにおいて一致するところと教えられます。様々な点で違いのある私たちが、それでもそれらを越えてただ一人の主イエス・キリストの御心に聴き、それに従う信仰をもって主の御前にともに進み出て、心を一つに賛美をささげ、御言葉に聴き、心を合わせて祈る時、そこに主はその豊かな御臨在をあらわしてくださるのです。

(3)ふたりでも三人でも
そのような生ける主イエス・キリストの臨在の現れるところ、真実な祈りと礼拝のささげられるところ、それが主の教会であると聞かされる時、私たちは大きな慰めと励ましをいただくことができるでしょう。このことを一層深く教えられるのが20節の「ふたりでも三人でも、わたしの名において集まる所には、わたしもその中にいるからです」との御言葉です。私たちはこの御言葉を、単なる数の多い少ないに関わる言葉として聞いてはならないでしょう。立派な大伽藍の礼拝堂とその席を埋め尽くす礼拝者たちが集まる所でも、六畳二間の、ふたり三人の礼拝者の集いでも、その規模や人数が問題なのではありません。大切なのはやはり「わたしの名において集まる所」という一語です。それでもやはり今晩、私たちは主イエスが「ふたりでも三人でも」と仰ってくださった御言葉から慰めの響きを聴き取っておきたいのです。
 一時期、家内と二人で水曜夜の祈祷会を守り続ける時期がありました。そこに堀江姉が加わってくださり、三人という時期もありました。そのような時、いつも私の心を励ましてくださったのがこの御言葉でした。今では多くの礼拝にも多くの人々が集まり、祈祷会にも朝夕、祈り手が送られるようになりましたが、それでもいつでも教会の原点としてこの御言葉を絶えず心に留め、主の慰めと励まし、それを支える恵みのお約束をしっかりと握り締めておきたいと思うのです。教会のあらゆる集いはこの御言葉によって支えられています。礼拝はもちろんのこと、祈祷会も、各会も、教会学校や家庭集会、様々な委員会、役員会も教会総会も、またちょっとした食事の交わり、お茶を飲みながらの語り合いも、さらに教会という場所に留まらず、主にある兄弟姉妹たちがともに集まって語り合ったり祈りあったりするその交わりの最中にも、主イエス・キリストが臨在されたもうのです。だからこそ、私たちはこの主イエスの御名によって集められた交わりの中にあることを喜び、感謝するとともに、その交わりが主の御名にふさわしいものであるように、これを清い交わりとして保ち、建て上げていかなければなりません。この小さな礼拝にも、今、主イエス・キリストはいましたもう。この恵みの現実を覚えつつ、このお方を中心とした交わりを、その御名にふさわしく建て上げていく、そのようにして、私たちの教会に生きる信仰をさらに育んでまいりたいと願います。

 



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