朝拝(十戒講解9) 2006/11/12
『生かす愛によって』

出エジプト20:15

 夏の終わりからこの朝の礼拝では旧約聖書の出エジプト記に記された「十戒」を通して主の御言葉を聞き続けています。そこで今朝は十戒の第八番目の戒めを通して、主なる神から与えられた賜物を感謝して、隣人とともにその恵みを分かち合いながら生きる信仰者の人生態度について教えられたいと願います。

(1)「盗むな」の射程
 十戒の後半部分、神の御前にある人と人との関わりについての戒めは、先に学んできました「殺してはならない」、「姦淫してはならない」そして今日の「盗んではならない」といずれも大変シンプルで率直な戒めです。誰もこれを正面から否定することはない。極めて常識的で真っ当な戒めと言えるでしょう。しかしこの戒めもまた、いつものことながらそれだからということで簡単に当たり前のように通り過ぎることのできない含蓄を含んだ戒めであることをまず覚えて、まずこの戒めが射程に収めている広がりということに目を留めておきたいと思います。その際に有益なのがいつもご紹介しますハイデルベルク信仰問答の言葉です。その第110問と第111問をご紹介します。「第110問:第八戒で、神は何を禁じておられますか。答:神は権威者が罰するような盗みや略奪を禁じておられるのみならず、暴力によって、または不正な重り、物差し、升、商品、貨幣、利息のような合法的な見せかけによって、あるいは神が禁じている何らかの手段によって私たちが自分の隣人の財産を自らのものにしようとするあらゆる邪悪な行為または企てをも、盗みと呼ばれるのです。さらに、あらゆる貪欲や神の賜物の不必要な浪費も禁じておられます」。「第111問:それではこの戒めで神は何を命じておられるのですか。答:私が自分に出来、またしてもよい範囲内で、私の隣人の利益を促進し、私が人にしてもらいたいと思うことをその人に対しても行い、私が誠実に働いて、困窮の中にいる貧しい人々を助けることです」。 ここに見られるように、ハイデルベルク信仰問答は第八戒の戒めを実に広く、深くとらえています。盗みは単なる窃盗行為のみならず、暴力を伴う略奪、あるいは経済的な不正、高利貸しなど、「私たちが自分の隣人の財産を自らのものにしようとするあらゆる邪悪な行為、企て」も盗みであり、また実際の誰かのモノに手を着けていなくても、それを欲する「あらゆる貪欲」も生み出す心の中の種といわれます。このあたりは続く第九戒、第十戒でさらに深められるところです。さらに興味深いことに「神の賜物の不必要な浪費」も「盗むな」という第八戒の違反とされています。神から与えられ、神と隣人とのために用いるようにと与えられた賜物を土の中に埋めてしまい込んだり、その目的からはずれて単に自分自身の楽しみや自己満足のために浪費するならばそれもまた神の賜物を盗んでいることになるのです。そしてむしろこの戒めに立って生きていくことは「私の隣人の利益を促進し、私が人にしてもらいたいと思うことをその人に対しても行い、私が誠実に働いて、困窮の中にいる貧しい人々を助けること」と言われているように、盗んではならないとの戒めは、それを積極的に受け取る時、私たちを隣人を生かす愛に導く戒めとなるのです。

(2)すべては主のもの
 このような考え方を支えている前提を私たちは、主なる神こそが天地万物の所有者であられ、主権者であられるという、神ご自身の御性質に見ることができるでしょう。詩篇24篇1節には次にようにあります。「地とそれに満ちているもの、世界とその中に住むものは主のものである」。天地万物のすべてのものをお造りになり、その主権者、所有者としての一切の権威をお持ちであられる主なる神。これが私たちの信じる神への信仰です。私たちはしばしば神を私たちの所有物のように考えるものです。私の願いを聞いてくれる神、私を幸せにしてくれる神、私の人生設計を実現させてくれる神。そういう自分に都合の良い神を期待し、それが叶えられないと見ると、その神を捨てて他の神々へと走っていく私たち。十戒の第七戒で「姦淫してはならない」との戒めを受けた時、まさに問題にされていたのは、そのようにして自分本位に神様さえ扱い、他の偶像のもとに走る私たちの不誠実な姿でありました。
 そもそも聖書の持つ基本的な考え方は、主なる神こそが天地万物の所有者、主権者であって、その主なる神が私たちにご自身の世界の正しい管理と統治を委ねられたということです。創世記1章28節で「生めよ。ふえよ。地を満たせ。地を従えよ。海の魚、空の鳥、地をはうすべての生き物を支配せよ」とのいわゆる「文化命令」が与えられた時、そこでは主なる神のもとにあって、私たちはそれらの管理を委託されたしもべとしてこの世界に生きるようにされたのでした。しかしこの神に背を向けて、神とともに生きることを捨て、罪の中に堕落した人間は、神から委ねられたしもべとしての立場を忘れて傲慢の罪に陥り、あたかも自らが神のようになったと錯覚して我が物顔で生きている。これが人間の罪の姿であり、そうやって人間が自分の与えられた分を超えて神の造られた世界を我がモノとすることを主なる神は、ご自身の所有である世界に対する「盗み」だと断罪されるのです。
人が神のように振る舞うこと、それが神に対する盗みの一番の根本であることをわきまえ知っておきたいと思います。

(3)生かす愛によって
 しかし私たちが主イエス・キリストの十字架の愛を通して真の神を知り、このお方を信じて生きていく時に、私たちは「すべては主のもの」という信仰の告白に基づいて、自分に与えられたもので満足し、第八戒の戒めに従って生きる道筋が開かれてきます。それが隣人を生かす道であり、自分の分を知るという道であるといえるでしょう。先に見たようにこの戒めの積極的な側面について、ハイデルベルク信仰問答は「自分に出来、またしてもよい範囲内で、私の隣人の利益を促進し、私が人にしてもらいたいと思うことをその人に対しても行い、私が誠実に働いて、困窮の中にいる貧しい人々を助けること」と教えました。盗むなとの戒めに生きる道は、単に盗みを働かないというだけでなく、より積極的には隣人への愛に生きる生き方であると教えられているのです。与えられたものを隣人と分かち合いながら生きる。そこに主なる新しい人の生き方が表れてくるのです。そもそも盗みとは他人のモノを自分のモノにすることであり、他人との交わりを断ち切って生きようとする姿です。それによって他人のモノを得ることはあっても、しかし結果的に他人との生きた交わりは失われ、絶えず人を疑い、疑心暗鬼と不安の中に生き続けることになるでしょう。そこに残るのは孤独ということです。しかし主イエス・キリストが招いてくださる生き方は交わりに生きる人生です。神との交わりに生き、それによって隣人との真の交わりに生きる人生です。そこにおいてこそ隣人も生き、私も生きることのできる愛の交わりが生まれてくるのです。そのためにも私たちは私たちの分をわきまえ知るという謙虚で慎ましい人生態度ということをも教えられるでしょう。旧約聖書の箴言30章7節から9節をお読みします。「二つのことをあなたにお願いします。私が死なないうちに、それをかなえてください。不信実と偽りとを私から遠ざけてください。貧しさも富も私に与えず、ただ、私に定められた分の食物で私を養ってください。私が食べ飽きて、あなたを否み、『主とはだれだ。』と言わないために。また、私が貧しくて、盗みをし、私の神の御名を汚すことのないために」。ここに表れる人生態度は「中庸の徳」といわれるような、何でもほどほどがいい、というような無難な生き方ではありません。むしろ神が与えた人生をそのままに引き受け、生かされた生をありのままに全うする慎ましく、謙遜で、しかし前向きな生き様です。そこに私たちの一つの生き方の指針があると言えるのではないでしょうか。またこのような人生態度は私たちが繰り返し祈る「主の祈り」の「日ごとの糧を今日も与えたまえ」という祈りとも響き合うものです。一日一日、その日その日に必要な糧を主に期待し、主に求めて生きる。この祈りの背景は十戒の背景でもある出エジプトの経験、すなわちあの荒野でイスラエルの民を養うために天から降った食物、マナの経験が横たわっています。それはその日その日に必要な分だけ与えられる、まさに天の神の愛と慈しみによる養いを信じて期待する祈りでもあるのです。確かに同じマタイの山上の説教で主イエスは「求めなさい、そうすれば与えられます」と教えてくださいました。しかしこれは持っている者がますます貪欲に求めるようにという教えではなく、何も持たない空っぽの手を差し伸べて祈り求める者への言葉です。一日一日を日ごとの糧によって養われながら、それを自分一人の所有とせずに隣人と分かち合いながら、隣人を生かす愛によって共に生きることを許したもうそのような生き方への招きの言葉なのです。
 主イエス・キリストはヨハネ福音書14章19節でこう言われました。「わたしが生きるので、あなたがたも生きる」。真のいのちの養い手であられる主イエス・キリストの、その生かす愛によって私たちが生かされる時、私たち同士の交わりの中にも「わたしが生きるので、あなたがたも生きる」といういのちの交わりが生まれてくるでしょう。そのような愛の交わりに生きることが、「盗んではならない」というこの十戒の第八戒に込められた主なる神の御心に沿って生きる私たちの生き方であることを覚えて、謙虚に、慎ましく、生かす愛によって私も生き、あなたも生きるという交わりの麗しさを、この私たちが生かされている世にあって証しさせていただきたいと願います。そこにおいてこそ「今、ここに、この時代に」教会が置かれていることの確かな一つの使命があることを互いに深く心に刻ませいただきましょう。

 



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