朝拝(十戒講解8) 2006/10/29
『聖さと誠実さ』

出エジプト20:14

私たちはこの朝の礼拝を宗教改革記念礼拝として捧げています。宗教改革が後の教会と社会にもたらした影響には計り知れないものがありますが、その一つに結婚についての新しい理解を与えたと言うことが挙げられます。この朝は、そのようなことにも触れながら十戒の第七の戒め、「姦淫してはならない」という戒めの御言葉を通して、主なる神によって与えられた結婚の聖さと、その根源にある主なる神が求められる御自身に対する誠実な愛の関わりについてともに教えられていきたいと思います。

(1)結婚の聖さ
 初めに申し上げたように宗教改革によってもたらされた改革の一つに聖職者の結婚ということがありました。当時のカトリック教会は結婚を秘蹟の一つに数えていましたが、同時に独身を貫くことを高い霊性の表れと考え、聖職者たちが独身であることが特別の祝福であるという考えが拡がっていました。しかし実際には中世末期の聖職者たちの中には大変不道徳な生き方をしている者たちがいたことは周知の事実であって、宗教改革者たちはむしろ結婚を通して、一人の妻を愛すること、御言葉にかなった家庭を築くことの大切さを自らの身を通して実践していったのでした。ですからルターもメランヒトンもブツァーもカルヴァンも妻と共に教会に仕えていったのであり、特にルターなどは妻カタリナが彼を支え、改革を推し進めるための貴重なパートナーであったことが知られています。
 姦淫の罪を禁じる十戒の第七戒は裏返して言えば結婚の聖さ、そして結婚関係における性の純潔を教えるものです。ルターは子どもたちのために記した小教理問答で次のように言っています。「問い:お父さん、これなあに。答え:私たちは神さまを畏れ、愛するのだ。だから言葉においても行いにおいても、きよく正しく生き、誰でも自分の夫や妻を、もちろんお父さんもお母さんを愛し、尊敬するのだよ」。神を畏れ、愛するがゆえに夫婦が互いを愛し、敬い、節操を守り、きよく正しく生きる。これが第七戒の示す生き方であるというのです。しかし今日、この「姦淫してはならない」という戒めほどその戒めの中身を失いつつあるものはないのではないかと思わされます。聖書が明らかに示す結婚の原則、性の祝福の原則はねじ曲げられ、破られています。私たちはこの朝、改めてこの戒めを真正面から聞き、受けとめることの大切さを覚えたいと思うのです。そこで「姦淫してはならない」という戒めを考えるに当たって、私たちはこの戒めを先に学んだ「殺すな」の戒めと、後に続く「盗んではならない」との結びつきにおいてたいと思います。神が人を男と女とに創造され、結婚の祝福と性の交わりを与えられ、二人が一心同体となるという深い関係が作り上げられ、命の恵みが受け継がれる交わりが開かれていく。この結婚の祝福が、不倫や結婚以外の性的関係が当たり前のようになり、性の商品のように扱われ、特に若い人々の中に性を金銭との交換可能なものととらえる空気の中で損なわれています。こうして性を人格的な結合から切り離していく時、神に与えられた人間固有の尊厳は失われていき、人の尊厳を奪うことは、聖書によればこの戒めに先立つ第六戒の「殺すな」という戒めに反することになってしまうでしょう。またこの戒めを続く第八戒の「盗むな」の戒めとの関連でも考えたいのです。「姦淫」の罪とは、いわゆる不貞、不倫と呼ばれるもので、互いに対する裏切りと正しい結婚の関係が破られることになります。それによって人が隣人の結婚関係を侵害すること、あるいは隣人の性に代表されるその尊厳を自分の所有とすることと言えるでしょう。それが第八戒の「盗むな」との戒めに関わってくるのです。ヘブル13章4節の御言葉を心に刻んでおきたいと思います。「結婚がすべての人に尊ばれるようにしなさい。寝床を汚してはいけません。なぜなら、神は不品行な者と姦淫を行う者どもとを裁かれるからです」。

(2)神の御前での誠実さ
 結婚の聖さはそもそもが神の御前に結ばれた契約への誠実さに基づいています。結婚においてお互いがお互いに対して愛と誠実を尽くし、固く節操を守ることを主なる神の御前に言い表して誓約をし、それゆえに牧師は神が結びあわせたものを人が引き離してはならないと宣言するのです。さらに言えば結婚において結ばれる契約関係の基礎には、創造主なる神と、その神の御心に沿って生きる人間との間の信頼と尊敬、服従という関係があることを忘れてはならないでしょう。つまり私たちは結婚という極めて限定された人と人との関わりにおいてさえ、主なる神との関係と切り離してこれを考えることはできないのであって、互いに対する誠実さは、その最も深いところにおいて主なる神への誠実さに繋がるものでもあるのです。結婚の誠実さとは互いが互いをただ一人の自分の夫、自分の妻として愛するということです。一人の人を愛することにおいて問われる誠実さ、それが第七戒によって繰り返し問われるところなのです。この一人の人に注ぐべき愛を他の者に注ごうとする時に、あるいは愛と関わりなく、ただ自分の欲望を満たしたがために相手の性を奪う時に姦淫の罪が入り込んでくるのであって、そこで私たちの愛と誠実さが鋭く試されているとも言うことができるでしょう。
 このことは十戒の第一戒とともに考えるときに、私たちと主なる神との関係においても当てはめられる戒めであることがわかってきます。旧約聖書において、神の民イスラエルが主なる神のもとを離れて他の偶像の神々を拝むことを神は姦淫の罪になぞらえて語っておられますが、まさしく真の神のみを愛し、この神を礼拝することを捨てて他の神々のもとに走ること、あるいは真の神を礼拝することと並べて他の神々の前に膝を屈めることが偶像礼拝の本質であり、また神に対する姦淫の罪であるとさえいうことができるのです。
しかし、同時に私たちが悔い改めと深い感謝の中で覚えたいのは旧約聖書ホセア書が記す主なる神御自身の誠実さのお姿です。ホセア書において神は預言者ホセアに姦淫の女ゴメルを妻として迎えるように命じ、その後、ホセアのもとを離れて他の男の所に走るゴメルをなおも愛して迎えるようにとお命じになります。このことを通して主なる神はご自身を捨てて偶像のもとに走る背信のイスラエル、姦淫の民をなお誠実に愛をもって愛されるそのお姿を示されたのでした。本来愛されるに値しない罪ある人間を、なお主なる神は愛し、追い求め、ご自身の愛を傾けて、ご自身のもとへと引き戻して下さるのです。まさにホセア書が語るメッセージは一人の人をとことん愛するということ、そこに表れる神の御愛と誠実さということを私たちに教えているのです。


(3)キリストと教会
 さらに新約聖書のエペソ書5章においては、地上の教会は主イエス・キリストの花嫁と呼ばれ、結婚の愛の基礎が「キリストが教会を愛されたように」という所に結びつけられています。このような驚くべき愛、愛されるに値しないものに注がれる無尽蔵の愛、その愛の交わりが、結婚の聖さを形作るのです。姦淫の罪は、独りよがりの自己中心的で自己完結的なものです。しかし聖書の語る愛はそのような独りよがりの愛ではありません。そうではなくむしろ他者を欲し、他者の愛を呼び覚ます愛です。そしてその愛はほかならぬ主イエス・キリストご自身によってこの世にあらわされ、私たちは今その愛を注がれて、その愛に生きる者とされているのです。
 この点で、宗教改革者カルヴァンの結婚の姿を見ておきたいと思います。カルヴァンというと非常に厳格で独身を生涯貫いたかのように考えられがちですが、彼は31歳の時、すなわち1540年8月にイドレット・ド・ビュレという女性と結婚します。彼女は当初、夫とともにフランスから亡命してきた再洗礼派の信徒であり、後にカルヴァンの牧会の中で福音主義の信仰に改宗した人物でした。やがてイドレットの夫は疫病のために病死し、彼女は未亡人となります。そんな女性とカルヴァンは結婚したのです。未亡人のしかも当時異端とされていた再洗礼派出身の女性との結婚ということで外面的に見れば幾つもの障害の想定される結婚でしたが、カルヴァンはイドレットを生涯の伴侶と定め、結婚生活に入っていきました。生まれつき健康ではなく、しかも教会改革の激務に追われるカルヴァンにとって、この愛する妻の存在は実にかえがえなく大きなものであったといわれます。しかしこの結婚生活の幸せも長くは続くことがありませんでした。イドレットは1542年に男児を出産しますが、その子は生後すぐに病死してしまいます。さらにその三年後の1545年にイドレットも重病にかかり、1549年についに天に召されていくのです。このようにカルヴァンの結婚生活は実に9年という短いものでした。しかもその間に愛する子どもの死を経験し、妻との死別を経験するという人間的に見れば実に過酷なものだったのです。しかし彼は生涯、妻イドレットに対する感謝と尊敬の思いを忘れることはありませんでした。表面的には妻の死後も淡々と務めを果たし、再婚の勧めも断って終生独身を通したカルヴァンでしたが、親しい友人に書き送った手紙が残っており、そこにカルヴァンの心の内がよく表れています。「妻の死が私にとってどんなに厳しく悲しいものであっても、出来る限り私はこの悲しみに打ち勝とうと努めています。私と彼女とは願っていたほどには永く連れ添うことができませんでした。しかしそれによって得たものがどんなに私の役に立っているか、とても言い尽くせないほどです。確かに私の苦しみの原因は決して小さいものではありません。最上の連れ合いが奪われたのですから。どんな苦しい目に遭おうとも、彼女は追放や貧困だけでなく死をも私と共に喜んで分かち合おうとしていたのです」。ここに私たちは結婚の聖さと誠実さを御言葉から学び、そのように生きた一人の信仰者の証しを見ることができるのではないでしょうか。
 この朝、十戒の第七戒を通して、主なる神が与えてくださった結婚の祝福を感謝し、与えられた人間としての尊厳、聖なる契約の秩序、姦淫の罪の深さをよくわきまえ知りたいと思います。そしてますます主なる神への誠実さと、隣人への誠実さに生きるお互いでありたいと願います。

 



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