朝拝(十戒講解7) 2006/10/22
『いのちを尊べ』

出エジプト20:13

今日は十戒の第六の戒め、「殺してはならない」という戒めの御言葉を通して、主なる神によって与えられ、また御手の内に取り上げられていくいのちの尊厳ということについてともに教えられていきたいと思います。

(1)「いのちを殺すな」の戒め
 今日与えられています十戒の第六の戒めは、とても短く、そして実にきっぱりとした戒めであり、それと同時にとても厳粛な戒めです。「殺すな」という戒めを前にしては、だれもそれを正面から打ち消したり口答えすることはできない、そのような戒めです。しかしそれほどにきっぱりとした戒めでありながら、私たちはこれを「当然のこと」として簡単にやり過ごすことはできないでしょう。創世記の最初のところを振り返ってみるならば、神の戒めに背いてエデンの園を追われたアダムとエバの二人の息子が犯した罪が殺人であったことが記されています。それほどに、実はここで戒められている事柄は私たち罪ある人間にとっては決して遠い事柄ではないということを知らされるのです。実際、私たち人間の歴史を振り返る時、この戒めほど人のいのちの尊厳に関わるものでありながら、同時にそれが様々な理由付けによって破られてきた戒めはないとさえ思わされるのです。
 ここで「殺してはならない」と訳されている言葉は、本来の意味からするとかなり特殊な言葉であると言われています。旧約聖書の中で「殺す」と訳される言葉はいくつかあるのですが、その中でもここで用いられている「ラーツァハ」という言葉は、動物を殺すというような場合には使われません。また神が主語になって使われることもありません。これは人が人のいのちを奪う殺人という行為について用いられています。しかもこの言葉は戦いによる殺人や刑罰としての殺人についても使われない言葉です。つまり当初の十戒の文脈においてはこの「殺すな」という戒めは悪意に基づく個人的な殺人というような場合に限定された戒めであると言われるのです。しかしやがてこの戒めの及ぶ射程は広げられ、深められ、特に後の預言者イザヤの時代を経て、新約の時代から今日に至る歴史において、この戒めはには戦争を含めた国家による殺戮についてもいのちの尊厳を正面から掲げるもっとも重要な戒めとして人間に与えられているものとなりました。それでも今日、この第六戒がその射程に含み込んでいる問題をざっと数え上げるだけでも、殺人はもとより、自殺、安楽死、堕胎、死刑、尊厳死などその一つだけをとっても大変複雑な倫理的な課題として私たちの前に突き付けられているものでもあるのです。こういう状況を前にして、それでも私たちはこの「殺してはならない」という戒めをそのままきっぱりと信じ、受け入れていかなければなりません。そのためにもこの戒めが語りかける「こころ」をよく受け取っておくことが必要でしょう。それは単なる外側の行為としての「殺すな」に留まらない私たちの内側の心の在りよう、すなわち主イエス・キリストがあの山上の説教において示されたこころです。マタイ福音書5章21節、22節。「昔の人々に、『人を殺してはならない。人を殺す者はさばきを受けなければならない。』と言われたのをあなたがたは聞いています。しかし、わたしはあなたがたに言います。兄弟に向かって腹を立てる者は、だれでもさばきを受けなければなりません。兄弟に向かって『能なし。』と言うような者は、最高議会に引き渡されます。また、『ばか者。』というような者は燃えるゲヘナに投げ込まれます」。こうして主イエスは外面的に戒めを守っていればよい、殺すことさえしなければよいというところから踏み込んで、私たちの心の奥に潜む隣人への妬みや憎しみ、あるいはおごり高ぶりによって隣人の尊厳を損なうことを禁じる主の教えがあるのです。

(2)「いのちを尊べ」の勧め
 私たちの心に浮かぶこのような「殺人」の根のような悪の思いを、では私たちはどのように取り扱っていったらよいのでしょうか。そこで次に考えておきたいのは、この戒めが単に「殺すな」という戒め、殺人の禁止の命令では終わらないということです。むしろここに含み込まれている真の心はむしろ大変積極的な勧め、すなわち「いのちを尊べ」という勧めの命令であるということなのです。それは私と私の隣人との間に造り上げられる平和の勧めとも言うことができるものです。このことを使徒パウロが取り上げるのが、今日お読みいただいたローマ書12章18節から21節の御言葉です。「あなたがたは、自分に関する限り、すべての人と平和を保ちなさい。愛する人たち、自分で復讐してはいけません。神の怒りに任せなさい。それは、こう書いてあるからです。『復讐はわたしのすることである。わたしが報いをする、と主は言われる。』もしあなたがたの敵が飢えたなら、彼に食べさせなさい。渇いたらなら、飲ませなさい。そうすることによって、あなたは彼の頭に燃える炭火を積むことになるのです。悪に負けてはいけません。かえって、善をもって悪に打ち勝ちなさい」。ここに私たちは、私たちの怒りや憎しみを私たちが自分で相手にぶつけるのではなく、最終的な裁き主の手に委ね、むしろ神の愛を求めて、自分の敵すら愛する愛によって相手に炭火を積み上げるという新しい戒めの道を教えられるのです。ここに聖書の持つ現実的な対応ということを見ることができるでしょう。怒りの心、憎しみの心を持つな、というのではなく、その心によって自分が悪に打ち負かされてしまうことがないように神に委ねよというのです。そしてそのような自分でどうすることもできない憎しみや妬みの心を主の愛によって満たしていただき、覆っていただくことによって、主が備えてくださった善をもって悪に打ち勝つ道を進ませていただくことができるのです。 このことを後の宗教改革の教会は次のように言い表しました。ハイデルベルク信仰問答の第107問。「問:私たちが自分の隣人をそのようにして殺さなければ、それで十分なのですか。答:いいえ。神はそこにおいて、ねたみ、憎しみ、怒りを断罪しておられるのですから、この方が私たちに求めておられるのは、私たちが自分の隣人を自分自身のように愛し、忍耐、平和、寛容、慈愛、親切を示し、その人への危害をできうる限り防ぎ、私たちの敵に対してさえ善を行う、ということなのです」。「殺してはならない」という戒めを私たちが正面から受け取り、その戒めに従って生きていこうとするとき、その戒めはむしろ「あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ」というあの主イエスが教えてくださった
律法の中心的な教えとして新しく私たちの前に開かれてきます。しかしこれは決して、私たちの生まれもっての性質によって成し遂げられることではないでしょう。むしろ自分の罪を認め、主イエスの十字架の愛によって罪赦された者としてこの愛を注がれ、聖霊に満たされて生きる中で、具体的な状況に直面する中で少しずつ形作られていく、まさに私たちの聖化の実りのようなものといえるのではないかと思います。

(3)いのちは主のもの
 最後に、私たちがこの戒めの意味を深く味わうために考えておきたいのは、この第六の戒めが与えられている順序ということです。すなわち「殺してはならない」という戒めが、第五戒の「あなたの父と母を敬え」と第七戒の「姦淫してはならない」という戒めの間に置かれていることの意味をよく受け取っておきたいと思うのです。なぜならそこにこの第六戒の大切な意味を見出す鍵があると言えるからです。第五戒はいうまでもなく親と子の関係についての戒めであり、第七戒は夫と妻の関係についての戒めです。そしてその間に今日の「殺してはならない」という戒めが置かれているということは、そこでは人の「いのち」というものが、神が肉親を通して与えられたものであり、また夫婦の交わりにおいてのみ許されたいのちの営みを通して受け継がれるものであることを表しているのです。このように人のいのちは決して誰かの所有ではなく、いのちを与え、いのちを受け継がせたもう主なる神の所有であり、それゆえにこそそのいのちには尊厳が与えられており、それを人が奪うことも自分が奪うことも、個人の手で奪うことも国家の手で奪うことも決して許されてはいないということなのです。
 主なる神が与えられたいのちを人は奪ってはならない。神が愛されているいのちを人は憎んではならない。神が尊ばれているいのちを人は軽んじてはならない。それが「殺してはならない」という戒めに込められた主なる神御自身のお心なのです。ですから自分のいのちの始まりも終わりも、隣人のいのちの始まりも終わりも、神の御手にあることのゆえに私たちはそのいのちを尊ぶのであり、またそのいのちが生まれ出るに値するかも、生き続けるに値するかも、それは人が決めることではない。人のいのちの長さ、人のいのちの重さ、人のいのちの尊さをお決めになるのはただお一人、いのちをお与えになり、またいのちを取り上げる権威をお持ちであるいのちの主なる神御自身のみなのです。この神が生きよとお命じになるならば、私たちは一生懸命生きなければならない。そのいのちを途中で投げ出してはならない。むしろ神がこのいのちを生きていていいのだ、と言ってくださるその大いなる生の肯定の中で私たちは神の目に映る私のいのちの尊さを受け取りながら、もうここまで、とおっしゃってくださる時までこのいのちを尊びながら育み続けていくのです。その神のお心を踏みにじり、それを絶とうとするあらゆる人間の業は第六戒への違反であることを心に刻み、己れのいのちと隣人のいのちを尊びながら、この戒めに生きるいのちに生かされてまいりたいと願います。

 

 



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