ハイデルベルク信仰問答による説教その53 2013/06/09
『アーメンの確かさ』

マタイ6:13

 ハイデルベルク信仰問答による御言葉の学びも最終回を迎えました。主の祈りの結びにささげられる頌栄とアーメンの言葉を通して、私たちの祈りを確かに聞き届けてくださる父なる神の御愛を受け取ってまいりましょう。

(1)御国、力、栄光
 第128問を見ましょう。「問:あなたはこの祈りを、どのように結びますか。答:『国と力と栄えとは、限りなくなんじのものなればなり』というようにです。すなわち、私たちがこれらすべてのことをあなたがたに願うのは、あなたこそ私たちの王、またすべてのことに力ある方として、すべての良きものを私たちに与えようと欲し、またそれがおできになるからであり、そして、私たちではなく、あなたの聖なる御名が、永遠に賛美されるためなのです」。
 主の祈りは新約聖書の中でマタイ福音書6章と、ルカ福音書11章に記されていますが、この頌栄の部分はマタイの福音書にだけ記され、しかも実際にはこの部分は元々のマタイのテキストではなく、後代の教会による加筆挿入であると言われています。しかしだからといってこの頌栄の部分は不要かと言えば、決してそうではありません。むしろ代々の教会は、この頌栄が主の祈りの本体部分と全く一致した祈りであることを認めて、これを含めたものを主の祈りとして長い間祈り続けてきたのです。その意味で、この結びの部分に記された頌栄の意味を味わうこともまた主の祈りの学びの締め括りに相応しいことと言えるでしょう。
 ここに賛美される「国と力と栄光」の三つは、主の祈りの六つの祈願の中にそれぞれ深く関わるものであるということができます。「国」とは第二の祈願の「御国が来ますように」との祈りに関わり、「力」とは第六の祈願の「試みにあわせず、悪より救い出したまえ」との祈りに関わり、「栄光」とは第一の祈願の「御名があがめられますように」と関わっています。「国」については、「あなたこそ私たちの王、またすべてのことに力ある方」であると言われますが、これについては第123問で「あなたがすべてのすべてとなられる御国の完成に至るまで」とあるように、主なる神がすべてのすべてであられる御国におけるすべてのことに力ある王としていまし給うことが賛美されています。また「力」については、「すべての良きものを私たちに与えようと欲し、またそれがおできになる」と言われますが、これについては第127問で「どうかあなたの聖霊の力によって、私たちを保ち、強めてくださり、完全な勝利をおさめられるように」とあるように、私たちを終末における完全な勝利へと導く大いなる聖霊の御力が賛美されています。そして「栄光」については、「あなたの聖なる御名が、永遠に賛美されるため」と言われますが、これについては第122問で「あなたの全能、知恵、善、正義、慈愛、真理を照らし出す、そのすべての御業において、あなたを聖なる方としてあがめ、賛美できるようにさせて下さい」とあるように、すべての善きものの源である聖なる御方として、その御名が賛美されています。このように、主の祈りの結びの祈りは、主の祈りの全体を一つにまとめ上げて神への祈りとして整えあげる賛美と頌栄の祈りなのです。

(2)祈りを聞かれる神
 最後に第129問を見ましょう。「問:『アーメン』という言葉は、何を意味していますか。答:『アーメン』とは、それが真実であり確実である、ということです。なぜなら、これらのことを神に願い求めていると、わたしが心の中で感じているよりもはるかに確実に、わたしの祈りはこの方に聞かれているからです」。祈りはしばしば単なる自己満足や気休めに過ぎず、結局の所どんなに祈っても世界は変わらないと言われることがあります。しかし祈りは祈る私たちの思いよりも遙かに確かに、この祈りを聞かれる生ける神によって確かに聞き届けられ、そして御業がなされる。それゆえに私たちは「アーメン」と言い切ることができるのであり、また言い切らなければならないのです。なぜなら、私たちがこの主の祈りをもって祈る相手は、天地万物の創造主にして、全知全能の神、それとともに創造の世界を今も真実の憐れみ深い御手をもって治めて下さる摂理の神であり、しかもそのような偉大なる創造と摂理の神が、私たちの父なるお方として、私たちに愛と恵みを注いで下さるという確信があるからであり、さらにはこの祈りを私たちに祈るようにと教えて下さったのが、父なる神の愛する御子であり、私たちの救い主であられる主イエス・キリスト御自身であるからです。それゆえにこそ、私たちはこの祈りを頌栄と賛美の言葉をもって締め括り、そして力強くアーメンと祈り終えるその時に、再び「天におられる私たちの父よ」と祈り始めることが出来るのです。
 この神の大いなる肯定の中にある時に、私たちは祈りつつも確信が持てず不安になる時にも、祈りながらも答えが出ずに行き詰まる時にも、祈ること自体がとぎれそうになる時にも、にもかかわらず、希望を持って祈り続けることが出来るのです。カルヴァンは言います。「もしわれわれの祈りが、われわれの価値によって神に捧げられるとすれば、ただ低く口ごもって言うだけで、誰が敢えて神の前に祈りうるだろうか。しかし今やわれわれはどんな悲惨の極みにあり、全ての者の中で最も無価値であり、何ら誇ることができるものも持たないとしても、われわれから祈る理由が取り去られることも、信頼がなくなることもない。なぜなら誰も、われわれの父から、その国と力と栄えとを奪い取ることは出来ないからである」。
 祈りは決して諦めや気休めではありません。祈りながら疑い、恐れ、惑いを抱く時にも、私たちの御子イエス・キリストの父なる神は、私たちの父なる神として私たちの祈りを私たちが確信する以上の確かさで聞き届けていてくださる。その信頼があればこそ、私たちはなお祈り続けることができる。祈りを聞かれる父なる神に、今晩もまた大胆に率直に恐れなく祈り、そしてその祈りを力強くアーメンと結ばせていただきましょう。



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