ハイデルベルク信仰問答による説教その46 2013/03/17
『父の愛を信じて祈ろう』

ローマ8:31-32

 今晩は、主の祈りの冒頭、「天にまします我らの父よ」との呼びかけの言葉についての神恋う問答の説き明かしを通して、私たちの祈りの前提である父なる神の、神の子どもたちへの大いなる愛について、御言葉からともに教えられてまいりましょう。

(1)「父よ」との祈り
 主の祈りの冒頭は神への呼びかけではじまります。マタイ福音書では「天にまします我らの父よ」、ルカ福音書では単刀直入に「父よ」と呼びかけられています。神を父と呼ぶ。この事実に祈りの世界の不思議と神の愛の大いなることとが込められていると言えるでしょう。信仰問答の第120問には次のように記されます。「問:なぜキリストはわたしたちに、神に対して『われらの父よ』と呼びかけるようにお命じになったのですか。答:この方は、私たちの祈りのまさに冒頭において、私たちの祈りの土台となるべき、神に対する子どものような畏れと信頼とを、私たちに起こさせようとなさったからです。言い換えれば、神がキリストを通して私たちの父となられ、私たちの父親が私たちに地上のものを拒まないように、ましてや神は、私たちが信仰によってこの方に求めるものを拒もうとはなさらない、ということです」。
 前回も学んだように主の祈りの前提となっているのは、この祈りが私たちが愛されている子どもとして父に向かっている祈りであり、私たちが神の子であることは、キリストを通して初めて成り立つ関係であるという事実です。そもそも神が私たちの父であられることについて、すでに信仰問答は使徒信条の解説の中で次のように教えていました。第26問では「天と地とその中にあるすべてのものを無から創造され、それらを永遠の熟慮と摂理とによって今も保ち支配しておられる、私たちの主イエス・キリストの永遠の御父が、御子キリストのゆえに、私の神また私の父であられるということです」、第33問では「問:私たちも神の子であるのに、なぜこの方は神の『独り子』と呼ばれるのですか。答:なぜなら、キリストだけが永遠からの本来の神の御子だからです。私たちはこの方のおかげで、恵みによって神の子とされているのです」。
 このように神が私たちの父であられるのは、ヨハネ福音書1章12節に「しかし、この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとされる特権をお与えになった」とあるように、神が御子イエス・キリストの贖いのゆえに私たちを子としてくださったゆえのことであり、この神の子イエス・キリストの父なる神を、今や私たちもまたわれらの父よと呼ぶことの出来る関係に入れられていることが、今の私たちに与えられている救いの恵みの表れであると言えるのです。

(2)父の愛を信じて
 父が愛する子に与えてくださる良きものを信じて祈ること。それが父の愛を信じて祈る私たちの祈りです。今晩与えられているローマ人への手紙8章31節、32節にはこうあります。「では、これらのことからどう言えるでしょう。神が私たちの味方であるなら、だれが私たちに敵対できるでしょう。私たちすべてのために、ご自分の御子をさえ惜しまずに死に渡された方が、どうして、御子といっしょにすべてのものを、私たちに恵んでくださらないことがありましょう」。ここでは「父」という言葉は出てきませんが、御父の私たちへの愛の関わりが「私たちの味方」と言い表されています。父の愛、それはどこまでもいつまでも、最後まで私たちの側についていてくださるということ、たとえ全世界を敵に回しても自分の側についてくださるということ、そのためにはどのような犠牲を払うことも惜しまず、いとわないということです。
 とりわけ、この天におられる私たちの父なる神が私たちにくださる最高にして、最善のものが、御子イエス・キリストご自身であり、御子イエスによる救いです。この主イエスを求めて祈ることができる。これこそが父の愛を信じて祈る私たちの祈りの究極の姿なのです。

(3)天におられる父
 最後に第121問を見ましょう。「問:なぜ『天にまします』と付け加えられているのですか。答:私たちが、神の天上の威厳については何か地上のことを思うことなく、その全能の御性質に対しては体と魂に必要なことすべてを期待するためです」。この点についてハイデルベルクの解説を記したペリーは次のように言います。「天に、という語は、私たちが大胆に、人格的にこの父に近づきうるが、自分個人の利益のために、手に入れることのできる神ではないことを明らかにしている」。
 一方で私たちに父なるお方として親しく接したもうお方は、しかしだからといって私たちの思うままにその手中に収まってしまうようなお方ではなく、むしろ私たちを越えたお方です。この両面をしばしば神の「超越性」と「内在性」と言いますが、この神の持つ両面をしっかりと理解することが、私たちの信仰生活、祈りの生活においても大切です。そしてこの私たちの父である神が、同時に天におられる神であり、その天におられる超越的な存在である神を、親しく「われらの父よ」とお呼びすることが出来るところに、父なる神の愛と御真実が明らかにされるのです。
 宗教改革者カルヴァンはジュネーヴ教会信仰問答の第265問で、父なる神を「天にいます」と呼ぶことの理由を次のように教えました。「神を呼びまつる時、このようにして私たちの心を高く挙げることを教えられるのです。すなわち、神を肉的な、あるいは地上的なものと考えず、私たちの尺度に合わせて神を測ることもせず、神を何か卑しいものと理解したり、私たちの意志に従わせて神を引き下げたいと願うことなく、むしろ、畏れと敬いをもって栄光の尊厳を仰ぎ見るように学ぶのです。つまり御旨のままに万物を統べ治めたもう天上の主、また保護者をほめたたえる時、これは神に対する私たちの信頼を奮い立たせ、かつ堅くせずにおかぬ力を持つのです」。
 このように「天にましますわれらの父よ」と私たちが祈る時、私たちはこのお方の子どもとしての畏れと敬いの中で親しく神を呼ぶことができ、しかもこのお方が天地万物を創造し、統べ治めておられる創造と摂理の神であることに信頼して祈ることができるのです。  

 



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