ハイデルベルク信仰問答による説教その43 2013/02/17
『愛をもって真理を』

エペソ4:25

 今晩は十戒の第九の戒めを説くハイデルベルク信仰問答を手引きに、御言葉を通して、キリストにある真実な人との関わりの姿をご一緒に教えられていきましょう。

(1)偽りの証言をしてはならない
 嘘がまかり通る社会です。あらゆるところで嘘が重ねられ、いったい誰の言葉を信じたらよいのか、人々の間に疑心暗鬼が深まる時代です。あらためて言葉の真実さ、言葉への誠実さが問われています。十戒の第九戒を読みましょう。「あなたの隣人に対し、偽りの証言をしてはならない」。この戒めについて信仰問答の第112問は次のように解き明かします。「問:第九戒では、何が求められていますか。答:わたしが誰に対しても偽りの証言をせず、誰の言葉をも曲げず、陰口や中傷をする者にならず、誰かを調べもせずに軽率に断罪するようなことに手を貸さないこと。かえって、あらゆる嘘やごまかしを、悪魔の業そのものとして神の激しい御怒りのゆえに遠ざけ、裁判やその他のあらゆる取引においては真理を愛し、正直に語りまた告白すること。さらにまた、わたしの隣人の栄誉と威信とをわたしの力の限り守り促進する、ということです」。
 そもそもこの戒めは、裁きの場での偽りの証言や悪意による中傷を禁じるためのものと言われます。今日でいえば、たとえば裁判所や国会に証人として呼び出されて、そこで偽証をするという類いのことですので、それは私たちの日常生活からは縁遠い特殊なことがらと考えがちです。しかし実際にはこの戒めは私たちの内側にまで深く入り込んでくる大切な戒めです。宗教改革者ルターは『善きわざについて』という著書の中で第九戒を取り上げて、「この戒めは小さく見えるけれども、もし正しくこれを守ろうとすれば、身体、生命、財産、名誉、友人をはじめ、自分の所有するいっさいのものを賭さねばならないほど大きなものである。しかもその中に含まれているのは舌という一小肢体のわざ以外のものではない」と語っています。
 私たちの日々の生活の中でも、嘘をつく、というこちら側からのことだけでなく、他人からの言葉を素直に聞けずにあれこれと邪推したり、曲解したりすること、相手の言い分に丁寧に耳を傾けることをせずに、一方的に決めつけたり、簡単に断罪してしまうことといった受け身の側のこともあるでしょう。また他人の噂話や中傷、陰口の輪の中に加わって密やかな愉しみを感じること、誇張した言葉、知ったかぶりの言葉、ごまかしの言葉など、ほんの一言の言葉をもってしても罪に陥る恐れをはらんでいるのであり、私たちの内と外の至るところにこの戒めを破る罪への入口があることに気がつかされるのです。

(2)真実な言葉を語る
 ではこの戒めを守って、言葉の罪を犯さないで生きるためにはどうしたらよいのか。「口は禍いのもと」ということで、ひたすら口を噤んで沈黙を守ればよいということなのでしょうか。その点で他の問答と同様に、信仰問答は禁止の戒めの持つ能動的、積極的な意図を次のように解き明かしていました。「あらゆる嘘やごまかしを、悪魔の業そのものとして神の激しい御怒りのゆえに遠ざけ、裁判やその他のあらゆる取引においては真理を愛し、正直に語りまた告白すること。さらにまた、わたしの隣人の栄誉と威信とをわたしの力の限り守り促進する、ということです」。
 今晩開かれているエペソ人への手紙4章25節には次のように記されています。「ですから、あなたがたは偽りを捨て、おのおの隣人に対して真実を語りなさい。私たちはからだの一部分として互いにそれぞれのものだからです」。これと併せて覚えたいのは、その前の4章15節の「愛をもって真理を語り」との御言葉です。すでに主イエス・キリストの十字架の贖いによって救い出され、神に背を向け、隣人を顧みることのなかった自己中心の罪から解き放たれて、神の子としての自由と特権を与えられた私たちは、この自由をもって神を愛し、隣人を愛して生きるようにと召されています。それゆえに第112問の終わりに「わたしの隣人の栄誉と威信とをわたしの力の限り守り促進する」と記され、また第五戒を説いた第107問でも「私たちが自分の隣人を自分自身のように愛し、忍耐、平和、寛容、慈愛、親切を示し、その人への危害をできうる限り防ぎ、私たちの敵にさえ善を行う」と教えられ、そして前回学んだ第八戒についての第111問に、「わたしが、自分にでき、またはしてもよい範囲内で、私の隣人の利益を促進する」と教えられていたのです。そしてこのことが、隣人に対して「偽証をしない」、という消極的なあり方から一歩踏み出して、「偽りを捨て、おのおの隣人に対して真実を語る」という積極的な生き方、隣人の栄誉と威信の促進を目指した「愛をもって真理を語る」という生き方へと私たちを導くのです。
 聖書はいのちのことばの持つ力を存分に私たちに伝えます。けれどもそれと同時に、私たちの操る言葉がどれほどに人を傷つけ、打ち倒し、時にはその命を奪うかということについても注意を促します。私たちは人を打ち倒す言葉ではなく、むしろ人を励まし、人を立たせ、人を慰め、人を建て上げ、人を生かす言葉を与えられたいと願うのです。それとともに、私たちは真実な言葉、真理の言葉を語る者として召されていることを覚えましょう。真理を曲げてしまっては、どれほど慰めや励ましの響きを持つ言葉であっても、それは真実な言葉とはなり得ません。曲がった時代にあってもまっすぐに真理を説き明かし、真実な言葉を語り続けるキリスト者、また教会でありたいと願うのです。

(3)愛をもって真理を
 そして最後に、私たちは「愛をもって真理を」語ることを心したいと願います。愛を失った真理の言葉は時に人を罪へと断罪する律法の言葉に変化しがちです。いくら正しい言葉であっても、そこに相手に対する愛がなければ、その真理は相手に伝わることがないでしょう。愛をもって真理が語られることこそが、人を真に自由なる者として神への感謝と隣人への奉仕に生きる道に立たせるのです。
 東欧チェコの出身で、スイスのバーゼルで活躍した神学者ロッホマンは、「真理はつねに、いつでも具体的な状況において、当惑している隣人の事情を考えて探求され、証言されるもの」であり、「愛へと向かう方向付けの中にある」と言いました。愛とは極めて具体的・個別的なものです。ひとり一人の置かれた場と状況を信仰の目をもってしっかりと見つめ、吟味しつつ、その隣人に相応しく愛をもって真理を語り、隣人を建て上げていく。そのようにして隣人の栄誉と威信を力の限り守り促進することへと進ませていただきましょう。

 



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