ハイデルベルク信仰問答による説教その42 2013/02/10
『隣人の益のために』

ガラテヤ6:9-10

 今晩は十戒の第八の戒めを説くハイデルベルク信仰問答を手引きに、キリストの贖いのゆえに聖霊を内に宿す聖霊の宮とされた私たちが、もはや自分自身のために生きるのでなく、隣人の益のために生かされている恵みを、御言葉を通して教えられてまいりましょう。

(1)「盗むな」の射程
 今晩取り上げるのは十戒の第八戒、「盗んではならない」との戒めです。十戒の中でも私たちに近づいて来る罪の問題の中で、もっとも身近なもの、それが「盗み」に関する罪であると言えるでしょう。まず信仰問答の第110問を読みます。「問:第八戒で、神は何を禁じておられますか。答:神は権威者が罰するような盗みや略奪を禁じておられるのみならず、暴力によって、または不正な重り、物差し、升、商品、貨幣、利息のような合法的な見せかけによって、あるいは神が禁じている何らかの手段によって私たちが自分の隣人の財産を自らのものにしようとするあらゆる邪悪な行為または企てをも、盗みと呼ばれるのです。さらに、あらゆる貪欲や神の賜物の不必要な浪費も禁じておられます」。
 私たちの生きている社会を見渡してみると、すべての物事を決める価値観が「お金」であるという「マモン」信仰が蔓延しているように見受けられます。人々はお金に縛られ、お金に翻弄され、お金に支配されてしまっています。しかし旧約聖書を見ると、それらは決して今に始まったことではないことにも気付かされるのです。今日の信仰問答の解説を見ても、宗教改革の時代にあっても経済的な犯罪が後を絶たなかったのだろうと想像できるのです。実際に今日の旧約聖書学の検討によって、旧約の時代にも違法な高利貸しや不正な商取引、品質の詐称や違法な取り立てなどがあったことが明らかにされていますが、それとともに、元来この第八戒は「人を盗むこと」すなわち誘拐の禁止を指しているとも言われるようになりました。出エジプト記21章16節に「人をさらった者は、その人を売っていても、自分の手元に置いていても、必ず殺されなければならない」とあるように、人を誘拐して奴隷とすることの禁止がこの戒めの原意だとされ、それによって第八戒はそもそも十戒の与えられた文脈とも繋がってくるのです。
 十戒の序文である20章2節に「わたしは、あなたをエジプトの国、奴隷の家から連れ出した、あなたの神、主である」とあるように、イスラエルの主なる神は、ご自身の民を奴隷状態から解き放つ自由と解放の神であられ、イスラエルはまさに奴隷の状態から神によって贖い出されて自由を得た民である。ゆえに、そのようにして他人を自らがかつて置かれた境遇に置くことに荷担してはならないと戒められているのです。このように、自らが神によって自由とされた者であるが故に、人は盗んではならない。人の自由を制限し、それを暴力によってあるいは経済的な不正によって、合法的と見せかけたいかなる方法によっても自らのものとしてはならないと教えられているのです。

(2)隣人の益のために
 「盗むな」との戒めは、これまでの十戒の戒めがそうであったように、単なる禁止の命令に留まらない、より積極的な意味をも私たちに伝えています。その心を説く第111問を見ましょう。「問:それではこの戒めで神は何を命じておられるのですか。答:私が自分に出来、またしてもよい範囲内で、私の隣人の利益を促進し、私が人にしてもらいたいと思うことをその人に対しても行い、私が誠実に働いて、困窮の中にいる貧しい人々を助けることです」。ハイデルベルクはここでも禁止の命令に続いて、この戒めの積極的な命令を引き出しています。そこでは「盗むな」との戒めに従って生きる道は、単に盗みを働かないというだけでなく、より積極的には神の自由なる恵みに応答しつつ、隣人への愛に生きる生き方であると教えられているのです。
 今晩与えられているガラテヤ6章9節、10節にこうあります。「善を行うのに、飽いてはいけません。失望せずにいれば、時期が来て、刈り取ることになります。ですから、私たちは、機会のあるたびに、すべての人に対して、特に信仰の家族の人たちに善を行いましょう」。この信仰問答が「盗むな」という十戒を説くにあたり、その証拠聖句としてこの御言葉を引くのは意義深いことでしょう。私たちは単に他人のモノを盗まない、という生き方をすれば良いというのではない。むしろ自らの手の働きによって得た報酬を、善のために用いる生き方へ、自分を富ませるだけの経済活動としでなくではなく、隣人を生かしていくための新しい経済のあり方へと導かれているのです。ここに神の国の新しい経済倫理があると言えるでしょう。それは誰かに強制されての生き方ではなく、神の自由なる恵みに応答しての、私たちの自由なる感謝としての生き方です。かつて奴隷であった者が解法され、自由にされた。その喜びを知るがゆえに与えられる新しい生き方です。
 迫害下にあった初代教会は、教会の仕え人たちの経済的援助、やもめや孤児の支援、病人や障害者への援助、囚人や鉱山労働者の支援。貧者や行き倒れの人々の保護、奴隷の支援と解放のための資金援助、被災者の救援、旅人のもてなしを一手に引き受けていたと言われ、さらにはローマ教会の執事であったラウレンティウスが教会財産の没収を帝国から命じられた時、「教会財産は貧者のみ」と答えたという逸話も残されています。そのようにして、教会がこの世のただ中で隣人の益のために生きる時、そこに神の国の新しい倫理の可能性が開かれていくことを互いに信じて、主の御心に生きる私たちとさせていただきたいと願います。

 



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