ハイデルベルク信仰問答による説教その41 2013/02/03
『聖霊の宮として生きる』

Iコリント6:18-20

 今晩は十戒の第七の戒めを説くハイデルベルク信仰問答を手引きに、キリストの十字架のゆえに罪赦され、神の子どもとされ、聖霊を内に宿す聖霊の宮とされた私たちが、きよく生きることの大切さを、御言葉を通して教えられてまいりましょう。

(1)姦淫してはならない
 今晩取り上げるのは十戒の第七戒、「姦淫してはならない」との戒めです。を取り上げます。まず第108問を見ましょう。「問:第七戒は、何を求めていますか。答:すべてみだらなことは神に呪われるということ。それゆえ、わたしたちはそれを心から憎み、神聖な結婚生活においても、それ以外の場合においても、純潔で慎み深く生きるべきである、ということです」。この戒めは、それぞれの時代の中でその戒めの適用される範囲が狭められたり、広げられたりしてきたものです。この戒めを狭く限定する人々は、これが結婚している男女の不貞について定められたものであり、それ以外のことに広げて考えるべきではないと言います。けれども今日の信仰問答には「すべてみだらなことは神に呪われる」と大変厳しい言葉で教えられています。
 今の社会は、結婚関係を破ることへの安易な迎合、性的な倫理の混乱が行き着く所にまで至っていると言わねばなりません。性を売り物にする産業や、あからさまな性情報の氾濫、卑劣な性犯罪の増大、それらは歯止めがかかりません。聖書は「性」の違いを尊重し、それゆえに結婚における性の交わりの祝福も教えています。神が人間に与えられた性の交わりは、本来互いを尊敬し、信頼し合う最も深い関係である夫婦の交わりの中に与えられたものでした。ですからそれを破る交わりは神に呪われるものであると教えられます。さらに信仰問答は「神聖な結婚生活において、それ以外の場合においても」と語って、これが結婚生活と独身生活における戒めであることに注意を促し、そこで求められる生き方を「純潔」と「慎み深さ」と言い表すのです。今晩開かれている一コリント6章19節、20節には次のように記されます。「あなたがたのからだは、あなたがたのうちに住まれる、神から受けた聖霊の宮であり、あなたがたは、もはや自分自身のものではないことを知らないのですか。あなたがたは、代価を払って買い取られたのです。ですから自分のからだをもって、神の栄光を現しなさい」。当時のコリント教会の人々は、「救い」の問題を単に魂のことに限定する過ちを犯し、自由と放縦を取り違えるという過ちにも陥っていました。しかし続く109問にもあるように、私たちの救いは魂だけでなく、からだの救いでもあるのであって、救われた私たちは自らの魂だけでなく、からだをも神の御前に差し出して生きる者とされているのです。

(2)聖霊の宮として生きる
 そこで続く第109問を読みましょう。「問:神はこの戒めで、姦淫とそのような汚らわしいこと以外は、禁じておられないのですか。答:わたしたちの体と魂とは共に聖霊の宮です。ですから、この方はわたしたちがそれら二つを、清く聖なるものとして保つことを望んでおられます。それゆえ、あらゆるみだらな行い、態度、言葉、思い、欲望、またおよそ人をそれらに誘うおそれのある事柄を禁じておられるのです」。
 ここで信仰問答は、先の一コリントの御言葉に聞きつつ、私たちがすでに主イエス・キリストのものとされているという「唯一の慰め」の中に生きる生が、聖霊の宮として生きることにつながっている事実を示します。そこでは「自分のからだは自分のものだ。これをどう扱おうと自分の勝手ではないか」との主張は成り立ちません。キリストの尊い十字架の血潮によって贖い取られ、聖霊の宮とされた私たちは、それゆえに自分の体と魂に対する所有権をもはや主張することはできず、かえってこれを聖霊の宮とし「清く聖なるものとして保つ」ようにと期待されているのです。

(3)聖霊に信頼しつつ生きる
 確かに私たちの中にある罪の残滓は時に私たちを罪の誘惑へと誘います。結婚する以前の若い人々に対する性的な誘惑の大きくまた深刻なことは言うまでもなく、結婚生活の中にある者でさえこのことから無関係であるとは言えないでしょう。しかし私たちはそこで性を嫌悪し罪悪視するような誤った純潔主義や、罪との戦いに最初から負けを認めてしまうような敗北主義、あるいは罪を犯すことへの開き直りや、聖書の教えとこの世の基準を使い分けて生きていくような信仰と生活の二元化に進むことがあってはなりません。
 むしろ義認と聖化の恵みを覚えつつ、主イエスの御霊が私の中で日々に成し遂げてくださる全人的な聖化の歩みに信頼し、それを支えてくださる聖霊の恵みにいよいよ信頼しながら、赦しの中を進んでいきたいと願うのです。性は本来、神から与えられた祝福です。しかしこれが祝福となるか、のろいとなるかは、その事柄そのものが決めることではなく、それが用いられる関係と、それが向かう目標によって決められるものです。神が与えてくださる夫婦の交わりにおいて、神への礼拝へと向かう営みの中で、ひとり一人が聖霊の宮として主なる神と、神が与えて下さる隣人とに対していつも慎み深く生きる者でありたいと願います。

 



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