ハイデルベルク信仰問答による説教その40  2013/01/20
『報復を越えて』

ローマ12:19-21

 今晩は十戒の第六の戒めを説くハイデルベルク信仰問答に導かれながら、「殺すな」という私たちにとって最も根本的な戒めの持つ意味と、それが破られる現実、そしていかに私たちがこの戒めに積極的に応答しながら生きることができるのかを、ご一緒に御言葉から教えられてまいりましょう。

(1)「殺してはならない」の射程
 今晩開かれているハイデルベルク信仰問答第40主日は、「殺してはならない」と命じる十戒の第六戒を説き明かす箇所です。第105問を読みます。「問:第六戒で、神は何を望んでおられますか。答:わたしが、思いにより、言葉や態度により、ましてや行為によって、わたしの隣人を、自分自らまたは他人を通して、そしったり、憎んだり、侮辱したり、殺してはならないこと。かえってあらゆる復讐心を捨て去ること。さらに、自分自身を傷つけたり、自ら危険を冒すべきではない、ということです。そういうわけで、権威者もまた、殺人を防ぐために剣を帯びているのです」。
 「殺してはならない」という戒めは私たち人間同士がともに生きるための最も根本的な戒めです。しかしながらその戒めが至るところで破られているという現実を、私たちは認めざるを得ません。先週一週間を振り返るだけでも、大阪での教師の体罰によって自殺に追い込まれた高校生のニュース、北アフリカ、アルジェリアでのテロ事件により犠牲となった方々のニュース、国内外での数え切れないほどの殺人事件、あるいは戦争や死刑制度に至る制度的な死の問題、中絶、堕胎から安楽死などの医療倫理の問題、三万人を切ったとはいえ尋常でない自殺者の数に見られる社会の問題、あるいは原発被害の中にある被曝労働者や健康被害に晒されている福島の人々なども、この戒めの範疇に入れられるべき存在でしょう。このように「殺してはならない」の射程は実に広いものです。そしてそこで私たちは聖書が見つめる「いのちの尊厳」について改めて教えられるのです。創世記9章6節には次のように記されます。「人の血を流す者は、人によって、血を流される。神は人を神のかたちにお造りになったから」。人は神のかたちに造られている。この創造の事実こそが、人間のいのちの尊厳の根源であり、人が神のかたちに造られているがゆえに、このいのちは他者がいかなる理由によっても奪い去ることが許されない。ここに「殺してはならない」の根拠があるのです。

(2)隠れた殺人
 続く第106問は、その戒めを「私は犯していない」と簡単に通り過ぎることを許さず、その前に私たちを引き留め、私たちの心の深いところを探ってきます。「問:しかし、この戒めは、殺すことついてだけ、語っているのではありませんか。神が殺人の禁止を通して、わたしたちに教えようとしておられるのは、御自身が、ねたみ、憎しみ、怒り、復讐心のような殺人の根を憎んでおられること。またすべてそのようなことは、この方の前では一種の隠れた殺人である、ということです」。誰もが心の内に抱く「ねたみ、憎しみ、怒り、復讐心」、そのような誰にでも心当たりのある内面に秘められた罪の問題が「殺人の根」なのであり、しかもこれらはすでに一種の「隠れた殺人である」と教えられるのです。人は表面に表れた行為としての罪しか取り扱うことができませんが、しかし行為になって表れてからでは遅すぎるというのが「殺してはならない」という罪です。それが行為になって表れる前に未然に防がれなければならない。そのためには私たちの心の内に沸々と沸き上がってくる「ねたみ、憎しみ、怒り、復讐心」を正しく解決し、処理しなければならないのです。
 
(3)報復を越えて
 今晩開かれているローマ書12章19節から21節には次のように記されています。「愛する人たち。自分で復讐してはいけません。神の怒りに任せなさい。それは、こう書いてあるからです。『復讐はわたしのすることである。わたしが報いをする、と主は言われる。』もしあなたの敵が飢えたなら、彼に食べさせなさい。渇いたなら、飲ませなさい。そうすることによって、あなたは彼の頭に燃える炭火を積むことになるのです。悪に負けてはいけません。かえって、善をもって悪に打ち勝ちなさい」。ここには私たちの心に芽生える「隠れた殺人」の芽を摘み取り、報復の連鎖を断ち切る大切な教えが示されています。信仰問答の第107問も次のように教えます。「問:しかし、わたしたちが自分の隣人をそのようにして殺さなければ、それで十分なのですか。答:いいえ。神はそこにおいて、ねたみ、憎しみ、怒りを断罪しておられるのですから、この方がわたしたちに求めておられるのは、わたしたちが自分の隣人を自分自身のように愛し、忍耐、平和、寛容、慈愛、親切を示し、その人への危害をできうる限り防ぎ、わたしたちの敵に対してさえ善を行う、ということなのです」。
 「殺してはならない」の戒めは、私たちにねたみ、憎しみ、怒り、復讐心を乗り越えることを求めます。そしてその方法を「怒りを神に任せよ」というのです。そして怒りを神に任せたならば、むしろ敵に善を行うことで敵意を無力化し、報復の連鎖を断ち切れというのです。善をもって悪に打ち勝つ。これが本当の勝利だというのです。911テロ事件以来、世界は報復の連鎖の中に置かれてきました。様々な紛争、対立、テロを通して、報復によって解決がもたらされることはなく、むしろ泥沼の報復の連鎖が続くことを私たちは目の当たりにしてきました。そして今、私たちの国は、そのような報復の連鎖の中に進んで入っていこうとさえしています。私たちは今晩、あらためて聖書が「復讐は神のすること」と教えている意味を深く捉えることが必要です。そして「この方がわたしたちに求めておられるのは、わたしたちが自分の隣人を自分自身にように愛し、忍耐、平和、寛容、慈愛、親切を示し、その人への危害をできうる限り防ぎ、わたしたちの敵にさえ善を行う、ということなのです」と教える信仰問答の教えを、聖書から導き出される正しい帰結として十分に受け取りたいと願うのです。

 



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