ハイデルベルク信仰問答による説教その38 2013/01/06
『礼拝の生涯』 

ローマ12:1

 一年の最初の主日の夕拝で、十戒の第四戒の戒めを説くハイデルベルク信仰問答に導かれながら御言葉を聞く幸いを覚えます。今年も私たちの日々が主への礼拝へと向けられた日々であるように祈りつつ、御言葉に聞いてまいりましょう。

(1)主の日にささげる礼拝
 まず今日の信仰問答の第38主日、第103問を読みます。「問:第四戒で、神は何を望んでおられますか。答:神が望んでおられることは、第一に、説教の務めと教育活動が維持されて、わたしが、とりわけ安息の日には神の教会に熱心に集い、神の言葉を学び、聖礼典にあずかり、公に主に呼びかけ、キリスト教的な施しをする、ということ。第二に、生涯のすべての日において、わたしが自分の邪悪な行いを休み、わたしの内で御霊を通して主に働いていだたき、こうして永遠の安息をこの生涯において始めるようになる、ということです」。これは出エジプト記20章8節から10節に記された十戒の第四戒について述べているところです。「安息日を覚えて、これを聖なる日とせよ。六日間、働いて、あなたのすべての仕事をしなければならない。しかし七日目は、あなたの神、主の安息である。あなたはどんな仕事もしてはならない」。十戒が教える安息日の規定は、創世記における創造の七日間にその起源を持っています。創世記2章の冒頭には、六日にわたって天地万物を創造された主なる神が「第七日目に、なさっていたわざの完成を告げられた。すなわち、第七日目に、なさっていたすべてのわざを休まれた。神はその第七日目を祝福し、この日を聖であるとされた。それは、その日に、神がなさっていたすべての創造のわざを休まれたからである」と記されます。信仰問答はこの主なる神の創造の恵みを覚え、さらに主イエス・キリストの復活こそが私たちにとっての真の創造と回復の恵みであることを覚えて、私たちが主を礼拝することを望んでおられるのです。
 そこでまず「神が望んでおられること」の第一のこととして、「説教の務めと教育活動が維持されて、わたしが、とりわけ安息の日には神の教会に熱心に集い、神の言葉を学び、聖礼典にあずかり、公に主に呼びかけ、キリスト教的な施しをする、ということ」が教えられます。ここで語られているのは、今日の私たちにとっての安息日の教えが何と言っても主日の公的礼拝に信徒たちが熱心に集い、これを整えることによって全うされるということです。その第一に御言葉の役者としての牧師職が確立、維持され、その職務である説教と教育の務めが確立されること、第二に神の言葉を学ぶこと、第三に聖礼典にあずかること、第四に祈りが重んじられること、第五に献金の祝福が実践されることが教えられます。私たちの教会では日曜日に四回の礼拝をささげていますが、特にこの夕拝の祝福をいつも覚えています。夕拝を開始した時、厳密に言えば私の赴任以前に数年間中断していたのを数年ぶりに再開した時以来、夕拝の意図を繰り返し確認してきました。朝の礼拝と違う説教が語られるのは、この礼拝を朝の礼拝に出席できない方々のため、という位置づけではなく、朝にも夕にも礼拝を捧げる信仰のライフスタイルを身に着けたいという願いからでした。こうして毎週朝に夕に神の教会に集う礼拝者たちによって、神が創造の一日と同じだけの時間を取り分けて、被造物の冠なる人間のために備えてくださった祝福と聖別の恵みにあずかることができる。この幸いをあらためてこの年も深く味わっていきたいと願います。

(2)毎日ささげる礼拝
 さらに、主日ばかりでなく「神が望んでおられること」の第二は、「生涯のすべての日において、わたしが自分の邪悪な行いを休み、わたしの内で御霊を通して主に働いていただき、こうして永遠の安息をこの生涯において始めるようになる、ということです」。これは私たちの毎日の生活についての教えです。私たちは日曜日だけ主を礼拝しているのではありません。生涯の全ての日において主を礼拝しているのであって、言い換えれば私たちの生涯は礼拝の生涯なのです。
 今晩与えられているローマ書12章1節を読みます。「そういうわけですから、兄弟たち。私は、神のあわれみのゆえに、あなたがたにお願いします。あなたがたのからだを、神に受け入れられる、聖い、生きた供え物としてささげなさい。それこそ、あなたがたの霊的な礼拝です」。ここで使徒パウロは「あなたがたのからだ」をささげよ、と命じています。そこでは私たちの存在の全体、私たちの生活の全体、私たちの生涯の全体をもっての主なる神への全き献身、全き服従、全き礼拝が求められていると言えるでしょう。しかしこのことは、私たちが皆、俗世を捨ててただひたすら祈りと御言葉に打ち込む隠遁生活を送ることを意味してはいません。そうではなく、私たちは日々それぞれの与えられた召命に従って、仕事や勉強、それぞれの務めに励むのですが、しかしそのようにして日々営まれている生活の実体は、主が「わたしの内で御霊を通して主に働いて」いただいていることだというのです。まさに主によって贖い取られた聖霊の宮として、私たちの全生活、全存在を通して主が働いていてくださるの。それはまさしく私たちの生涯全体が主へと方向付けられた礼拝的な存在とされていることの証しです。
 私たちは己れの人生の主導権を主が握っておられ、私たちが内に住みたもう御霊によって生かされている存在であるという事実を忘れないためにも「邪悪な行いを休」まなければなりません。私たちの日常は、私が働いて、神が休むのではなく、神が私を通して働いて、私が邪悪な行いを休むことによって成り立つのだというのです。そうして御霊なる神が私の内にあって生きて働いてくださることが、実は私が最も私らしく、自然に、そして手応えのある礼拝的な人生を歩むことにつながるのです。そのような人生は、いまだこの地上にありつつも、しかしすでに「永遠の安息をこの生涯において始めるようになる、ということです」と信仰問答は教えます。天の御国での永遠の祝福に憧れながら、その前味としてのこの地上の日々を生きる私たちの生涯そのものが、主なる神へと向けられた日々であり続けることができるように、主の御言葉に導かれ、主の日ごとにともに集まって礼拝をささげ、また遣わされていく日々においても、その場その場で、主を礼拝しつつ生きる私たちの礼拝の一年、そして礼拝の生涯とさせていただきたいと願います。

 



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