ハイデルベルク信仰問答による説教その36 2012/12/09
『告白と賛美』 

コロサイ3:16-17

 今晩は十戒の第三戒、主の御名の冒涜と濫用を禁じる戒めを通して、私たちの主に対する信仰の告白と賛美の姿勢について、信仰問答の言葉に導かれつつ御言葉に聞いていきたいと願います。

(1)第三の戒め
 今晩取り上げるハイデルベルク信仰問答第36主日は、十戒の第三戒について教えるところです。第99問。「問:第三戒は何を求めていますか。答:わたしたちが、呪いや偽りの誓いによってのみならず、不必要な誓約によっても、神の御名を冒涜または乱用することなく、黙認や傍観によってもそのような恐るべき罪に関与しない、ということ。要するに、わたしたちが畏れと敬虔によらないでは神の聖なる御名を用いない、ということです。それは、この方がわたしたちによって正しく告白され呼びかけられ、わたしたちのすべての言葉と行いとによって讃えられるためです」。
 ここで禁じられていることは大きく二つ、御名の冒涜と濫用ということです。それをさらに詳細に説明する仕方で、呪いや偽りの誓い、不必要な誓約が加えられています。御名をみだりに唱えない。それは神の名を自分の目的のために利用しないということです。自己実現の名目として、他者を支配し、己れに服従させるための名目として、自分の言動に権威付けを与える名目として、私たちはしばしば神の名を「政治的」に利用することがあり、実際に神の名において為された罪の歴史があることを忘れてならないでしょう。それとともに今晩、特に目を留めたいのは「要するに、わたしたちが畏れと敬虔によらないでは神の聖なる御名を用いない、ということです。それは、この方がわたしたちによって正しく告白され呼びかけられ、わたしたちのすべての言葉と行いとによって讃えられるためです」として、むしろ御名の濫用でなく正しい使用が奨励されているということ、すなわち私たちが畏れと敬虔をもって主の御名を用いることができる道があるというのです。それが「この方が私たちによって正しく告白されよびかけられ」るということと、「わたしたちのすべての言葉と行いとによって讃えられる」ということ、すなわち「告白と賛美」ということです。

(2)告白と賛美
 今晩与えられているコロサイ3章16節、17節には次のように記されています。「キリストのことばを、あなたがたのうちに豊かに住まわせ、知恵を尽くして互いに教え、互いに戒め、詩と賛美と霊の歌とにより、感謝にあふれて心から神に向かって歌いなさい。あなたがたのすることは、ことばによると行いによるとを問わず、すべて主イエスの名によってなし、主によって父なる神に感謝しなさい」。かつてユダヤ人は律法の第三戒を厳格に守るために「主」(ヤハウェ)という言葉を口にすることを禁じ、その四文字を「アドナイ」と読み替えました。それによって本来の発音が長い歴史の中で消えていたとさえ言われます。しかし私たちにとっての第三戒に生きる道は、主の名を決して口にしないということでなく、むしろ「キリストのことばを、あなたがたのうちに豊かに住まわせ、知恵を尽くして互いに教え、互いに戒め、詩と賛美と霊の歌とにより、感謝にあふれて心から神に向かって歌いなさい」と勧められているように、キリストのことばをうちに宿すものとして、そのことばから生み出される新しい歌をもって、主に大いなる賛美をささげて生きる道です。そこには畏れと敬虔とともに、何といっても生き生きとした喜びがあります。主の御名をみだりにとなえず、むしろ大いに主の御名を賛美して生きる。ここに主の民の姿があるのです。
 またコロサイ書が「あなたがたのすることは、ことばによると行いによるとを問わず、すべて主イエスの名によってなし、主によって父なる神に感謝しなさい」と教えるように、私たちの信仰告白は、ただ言葉によってのみ言い表されるものでなく、主の名によってなすすべての営みです。私たちがキリストの名をこの身に帯びた者として語る言葉、為す振る舞い、私たちの存在そのものが、それをもって主の御名を告白することに繋がっていくのです。古くからの教会の言葉に「祈りの法が信仰の法」という言葉があります。正しい祈り、礼拝、賛美が正しい信仰の告白を形作っていく。私たちは信仰をとかく内面的なこと、精神的なことと限定してしまいがちですが、しかしその信仰の外側への表れの部分で、私たちの言葉と行いが問われていることに注意を向けておきたいと思います。その意味で、私たちが第三戒に生きる道は神への礼拝と隣人への奉仕ということができるでしょう。

(3)神の聖さのために
 最後に第100問。「問:それでは、呪いや誓約によって神の御名を冒涜することは、それをできうる限り阻止したり禁じたりしようとしない人々にも神がお怒りになるほど、重い罪なのですか。答:確かにそのとおりです。なぜなら、神の御名の冒涜ほどこの方が激しくお怒りになる罪はないからです。それゆえ、この方は、それを死をもって罰するようにもお命じになりました」。ここで第三戒の違反が死罪に値するほどの罪として挙げられます。大変厳しい言葉です。それほどのこととしてこの事が教えられる理由は一体何でしょうか。それは、主の御名をどのように私たちが取り扱うかを通して、ひいては主なる神御自身を私たちがどのように信じ、愛し、従い、礼拝し、仕えているかが表されていくゆえでしょう。主の御名についてこれほど厳格な要求をされるのは、それが単に神の呼び名の問題ではなく、そこに神の存在そのものとその聖さとが関係しているからなのです。
 私たちの賛美を通して主の御名が聖とされ、私たちの告白を通して、主御自身の聖さが証しされていくために、私たちは今日から遣わされていく日々の中で、自分自身の全生活を挙げての礼拝と奉仕の生活を通して、この主の御名の輝きを照り輝かせる存在とさせていただきたいと願います。

 



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