ハイデルベルク信仰問答による説教その34 2012/11/25
『神を恐れ、人を愛する』 

マルコ12:28-31

 今晩読みますハイデルベルク信仰問答第34主日からは、出エジプト記20章に記された十戒の説き明かしがはじまります。信仰問答の言葉に導かれながら、主イエスによる救いに感謝して生きる、私たちの応答の生き方をともに教えられていきましょう。

(1)主なる神からの戒め
 今回取り上げる第34主日から第44主日にかけて、神の律法である十戒の解説が扱われます。律法の問題はすでに第2主日の箇所で、人は律法によって自分の罪の悲惨さを知ると教えられていました。そして第5問では「あなたはこれらすべてのことを完全に行うことができますか。答:できません。なぜなら、わたしは神と自分の隣人を憎む方へと生まれつき心が傾いているからです」と言われていました。ここでは律法が人に罪を認めさせるといういわゆる律法の第一用法が語られていますが、その際には信仰問答は律法の要約である福音書の御言葉を掲げるのに対して、罪から救われた私たちがその感謝を神にどのように表すべきかという律法の第三用法についての箇所では、文字通り神の律法としての十戒をそのまま掲げて、これを順を追って解説していくのです。ここに十戒が今の私たちにとってどのような意味を持つのかが明らかにされています。私たちはもはや律法によらず恵みにより、信仰によって救われるのですが、しかしそれでは律法はもはや不必要かといえばそうではない。主の救いに感謝して新しいいのちに生きる私たちの感謝の生活の指針として、今も重要な意味を持っているのです。
 第93問では、十戒の大きな二つの区分について述べられています。「問:これらの戒めはどのように分かれていますか。答:二枚の板に分かれています。その第一は、四つの戒めにおいて、わたしたちが神に対してどのようにふるまうべきかを教え、第二は、六つの戒めにおいて、わたしたちが自分の隣人に対してどのような義務を負っているかを教えています」。このように十戒は大きく二つの部分に分けられます。前半四つは対神関係についての戒め、後半六つは対人関係についての戒めということです。しかも前半部分と後半部分は全く別個の戒めとしてあるというのではなく、実はこの二つの部分が全体として一つのものとして記されているのです。今晩開かれているマルコ福音書によれば、律法学者の主イエスに対する問いは「すべての命令の中で、どれが一番大切ですか」でした。つまり第一のものは何かという問いです。これに対して主イエスは主なる神を愛し、隣人を愛せよという二つのことをもって答えられました。つまり神を愛することと隣人を愛することは、二つでありつつしかも分かちがたく結びあった一つの戒めであり、十戒の全体が、そしてそれを含む神の律法全体の究極の戒めであるということになるのです。聖書が示す愛の倫理は、神をさしおいて人間へと向かう人間主義的な博愛精神でもなく、また隣人を無視して神へと向かう自己中心的で偏狭な熱狂主義的信仰でもありません。絶えず神を愛することによって隣人の存在へと目が開かれていくような愛の姿であり、隣人と誠実に向き合うことで神への愛に気づかされていくような愛の姿です。神の戒めは私たちを束縛する重荷ではなく、神と隣人の前に生きていく上での自由な道しるべなのです。
(2)第一の戒め
 そこで第一の戒めを見ましょう。第一戒は「あなたには、わたしのほかに、ほかの神々があってはならない」です。この戒めについてハイデルベルク信仰問答第94問では次のように記されます。「問:第一戒で、主は何を求めておられますか。答:わたしが自分の魂の救いと祝福とを失わないために、あらゆる偶像崇拝、魔術、迷信的な教え、諸聖人や他の被造物への呼びかけを避けて逃れるべきこと。唯一のまことの神を正しく知り、この方にのみ信頼し、謙遜と忍耐の限りを尽して、この方にのみすべてのよきものを期待し、真心からこの方を愛し、畏れ敬うことです。すなわち、わたしが、ほんのわずかでも神の御旨に反して何かをするぐらいならば、むしろすべての被造物の方を放棄する、ということです」。出エジプトに際して、主なる神は燃える柴の中からモーセに御自身を啓示され、そこで御自身の名を「わたしは『わたしはある』という者である」(出エジプト3:14)とお呼びになりました。この「ありてある者」なる神が、この世界を創造され、それを保ち、治め、導き、そればかりでなく「あなたをエジプトの国、奴隷の家から連れ出した、あなたの神、主」として、私たち人間を愛し、救おうとしてくださっているがゆえに、神の愛に基づく自由によって私たちのもとに来たりたもう神として存在される。その神の人間への近づきこそがクリスマスに起こった御子の誕生ですが、そのようにして神は私たちを愛し、私たちに向かって近づいてくださるお方なので、私たちにもこのお方のみを愛することが期待されるのです。次に「唯一のまことの神を正しく知り、この方にのみ信頼し、謙遜と忍耐の限りを尽して、この方にのみすべてのよきものを期待し、真心からこの方を愛し、畏れ敬うことです。すなわち、わたしが、ほんのわずかでも神の御旨に反して何かをするぐらいならば、むしろすべての被造物の方を放棄する、ということです」。私たちが真の神を知り、信じるのは、神の御言葉とその説き明かしとしての福音の説教、それらを通して私たちの内に生けるキリストを証しして下さる聖霊の神のお働きによることです。その信仰に立つ時に、私たちは時に決然とした信仰態度を取らざるをえない状況に置かれることをも覚悟しなければなりません。
 第95問では、神以外の者を神とする偶像礼拝の本質が明らかにされます。「問:偶像礼拝とは何ですか。答:御言葉において御自身を啓示された、唯一のまことの神に代えて、またはこの方と並べて、人が自分の信頼を置く何か他のものを考え出したり、所有したりすることです」。ここで明らかにされることは、他の神々を拝むことだけが偶像礼拝なのではなく、人が神以外のものに信頼を置くならば、被造物のどんなものでもそれは偶像になるということです。神を正しく知ること、神に信頼すること、謙遜と忍耐の限りを尽くして神に期待すること、神を愛すること、神を畏れ敬うこと。それらを通して、私たちはこの唯一の神、世界の創造者にして歴史の支配者なる神、私たちを愛し、救い、交わりをもちたもう「ありてある者」であられる神を「わたしの神」としていよいよ知り、そしてこの神が御子イエス・キリストにおいて私たちとともにいて下さる「インマヌエル」として来たりたまい、そして今も聖霊においてともに居続けてくださることに信頼するものでありたいと願います。この神を神とする時に、人はまことの人となっていく。神を崇める姿こそが、人間の最も根源的で本来的な姿です。私たちもますますこのお方を私の神として崇めつつ、そのようにして神の御前に生きるまことの人としての歩みを全うさせていただきましょう。



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