ハイデルベルク信仰問答による説教その33 2012/11/11
『新しい人として生きる』 

ガラテヤ2:20

 今晩はハイデルベルク信仰問答第33主日に導かれながら、悔い改めて新しい人とされて生きる私たちの生き方を、ガラテヤ書の御言葉からともに教えられていきましょう。

(1)神への立ち返りとしての「悔い改め」
 聖書の教える悔い改めとは、単なる反省や後悔などとは全く異なるものです。まことの悔い改め、それは先の第87問が示したように「神への立ち返り」であり、それは「救いに導く恵みの賜物です」。主イエス・キリストの十字架によってもたらされた贖いを信じ受け入れる時、私たちは神に背を向けていた人生から、神に向かって生きる人生へと方向転換を遂げることができるのです。それで今日の第88問では次のように言われます。「問:人間のまことの悔い改めまたは回心は、いくつのことから成っていますか。答:二つのことです。すなわち、古い人の死滅と新しい人の復活です」。
 今晩与えられている御言葉、ガラテヤ人への手紙2章20節には次のように記されています。「私はキリストとともに十字架につけられました。もはやわたしが生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。いま私が、この世に生きているのは、私を愛し、私のためにご自身をお捨てになった神の御子を信じる信仰によっているのです」。キリストとともに十字架に付けられ、そしてキリストのいのちに生かされる。これこそが悔い改めて神に立ち返った新しい人の姿だと御言葉は教えるのです。使徒パウロはこれと同様のことをローマ人への手紙6章で次にように教えています。4節。「私たちは、キリストに死にあずかるバプテスマによって、キリストとともに葬られたのです。それは、キリストが御父の栄光によって死者の中からよみがえられたように、私たちも、いのちにあって新しい歩みをするためです」。8節。「もし私たちがキリストとともに死んだのであれば、キリストとともに生きることにもなる、と信じます」。そして11節。「このように、あなたがたも、自分は罪に対しては死んだ者であり、神に対してはキリスト・イエスにあって生きた者だと、思いなさい」。
 このようにまことの悔い改めとは、キリストにあって古い人に死に、新しい人に生きること、すでにそこでは「復活」という言葉さえ用いられるような根本的な変革が起こっているのです。私たちは人生のやり直しをしたいと思うことがある。けれども人生の中で私たちが経験するのは、心入れ替えて歩み始めても、またすぐに同じ過ちを繰り返してしまう自分自身の弱さであったり、過去の様々な傷や痛みから自由になることのできない限界です。できることなら時間を巻き戻して、あの日あの時のあの場面からもう一度やり直してみたいと思うことがあっても、時間の中を生きる私たちにはそれは適わないことです。けれども諦める必要はない。主イエス・キリストにあってはどこからでも、どの地点からでも、どんな境遇からでも神に立ち返るなら、そこから新しい人生をスタートすることができる。新しい人の復活が起こる。それが主イエス・キリストが私たちにくださる救いなのです。

(2)古い人の死滅、新しい人の誕生
 この新しい人として生きる現実を、信仰問答はさらに深めて行きます。第89問、90問を読みましょう。「問:古い人の死滅とは何ですか。答:心から罪を嘆き、またそれをますます憎み避けるようになる、ということです」。「問:新しい人の復活とは何ですか。答:キリストによって心から神を喜び、また神の御旨に従ったあらゆる善い行いに心から打ち込んで生きる、ということです」。ここに罪から神への立ち返りとしての悔い改めの内実が明確にされます。かつては神を憎み避け続け、罪を喜び、罪に従って生きてきた私たちが、主イエス・キリストの贖いによって罪赦され、神の子とされて神へと立ち返った時、そのような以前の姿から180度方向転換し、新しくされて、今や「罪を嘆き、またそれをますます憎み避けるように」なり、そればかりか「キリストによって心から神を喜ぶ」者とされたのです。まさしくパウロが今晩のガラテヤ書で語った「もはやわたしが生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられる」という新しい生がここに始まるのです。
 この新しい人の誕生は、聖霊によって私たちの人生に起こる大きな出来事ですが、それを目に見える仕方で表すのが、洗礼の恵みです。私たちが罪の悔い改めとキリストへの信仰を告白し、洗礼を受けるのは、ただ罪ある過去との訣別のためだけでなく、「キリストによって心から神を喜び、また神の御旨に従ったあらゆる善い行いに心から打ち込んで生きる」ためなのです。この新しい人としての生き方は、神のかたちに創造された人間本来の生きる姿とその目的に立ち返ったことを表すものです。神のかたちに創造された人間の最も本来的な生き方は、神を喜び、神の御旨に従って生きることでした。しかし最初の人アダムの堕落によって罪が入った時から人間は神の姿を損ない、その目的に生きることが不可能になったのです。そればかりか自分自身を神として生き、己れを義として生きるようになりました。しかしそれは神の御心からは遠く離れたものなのです。第91問は言います。「問:しかし、善い行いとはどのようなものですか。答:ただまことの信仰から、神の律法に従い、この方の栄光のために為されるものだけであって、私たちがよいと思うことや、人間の定めに基づくものではありません」。
 今やキリストによって新しく復活させられた新しい人は、「キリストによって心から神を喜ぶ」人であり、「神の御旨に従ったあらゆる善い行いに心を打ち込んで生きる」人であり、そのようにして「この方の栄光のために」生きる人のことです。人生の目的を見失い、何のために生きるのかが分からずにもがき苦しむ人々に対して、主イエス・キリストは一生懸命に心打ち込んで生きることのできる人生をはっきりと指し示し、それを私たちに与えてくださるいのちの主です。このお方にあって生きる。新しい人として生きる。その人生を今日からまた新しく始めてまいりましょう。

 



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