ハイデルベルク信仰問答による説教その32 2012/10/28
『良い行いに歩む』 

エペソ2:10

 今日は賛美夕拝ですが、続けてハイデルベルク信仰問答を手引きに御言葉から学んでいきます。今日は「良い行い」を私たちの信仰の営みにどのように位置づけるのか、このテーマについてご一緒に教えられてまいりましょう。

(1)行いによらず、恵みによって
 今晩与えられている御言葉は、エペソ書2章10節です。「私たちは神の作品であって、良い行いをするためにキリスト・イエスにあって造られたのです。神は、私たちが良い行いに歩むように、その良い行いをもあらかじめ定備えてくださったのです」。人は行いによらずただ恵みによって救われる。これは聖書が一貫して主張している中心的なメッセージであり、宗教改革の信仰の中心点です。しかし良い行いを積み上げて救いを得るのではない。救いは神がくださる恵みの賜物です。では救われた私たちにはもはや良い行いは必要ないのか。このテーマを扱うのが今日の第86問です。
 「問:わたしたちが自分の悲惨さから、自分のいかなる功績によらず、恵みによりキリストを通して救われているのならば、なぜわたしたちは善い行いをしなければならなのですか。答:なぜなら、キリストは、その血によってわたしたちを贖われた後に、その聖霊によってわたしたちき御自身のかたちへと生まれ変わらせてもくださるからです。それは、わたしたちがその恵みに対して全生活にわたって神に感謝を表し、この方がわたしたちによって讃美されるためです。さらに、わたしたちが自分の信仰をその実によって自ら確かめ、わたしたちの敬虔な歩みによってわたしたちの隣人をもキリストに導くためです」。ここには私たちを恵みにより十字架の血による贖いによって救ってくださる贖い主キリスト が、同時にまた私たちを本来あるべき神のかたちへと生まれ変わらせてくださるお方であると教えられます。つまり贖い主キリストは、私たちを義とするお方で あると同時に、聖とされるお方でもあるのです。しかも私たちを義としてくださった贖い主は、私たちに聖化の道を辿らせるために「聖霊」なる神を与えてくださっているのです。救いは神の業、善き行いは人の業ということではありません。聖霊に導かれての聖化の歩み。これが感謝の生活の基本線なのです。

(2)良い行いの目的
 宗教改革が向き合った当時のローマ・カトリックからの問いかけは、救いが神の恵みによるならば、人は怠惰になり善き行いに励むことがなくなるということでした。しかしこれに対してすでに第64問が「まことの信仰によってキリストに接ぎ木された人々が、感謝の実を結ばないことなど、ありえない」と答えています。そこから今日の第86問はさらに進んで、その実を結ばせるのは私たちの内にあって今働いていてくださる聖霊の御業であり、同時にそれは私たちのために贖いとなってくださったキリストへの感謝であるとするのです。続く答えを見ましょう。「それは、わたしたちがその恵みに対して全生活にわたって神に感謝を表し、この方がわたしたちによって賛美されるためです。さらに、わたしたちが自分の信仰をその実によって自ら確かめ、わたしたちの敬虔な歩みによってわたしたちの隣人をもキリストに導くためです」。
 ここには信仰者の善き行いの目的が四点にまとめられています。その第一は私たちを恵みによって救ってくださったキリストへの感謝、第二はこの方に対する賛美、第三は自分自身の信仰の確認、そして第四が隣人をキリストに導く福音宣教の業です。私たちが善い行いに励むのは、それによって自分の救いを得るためではありません。救いはすでに神の恵みによって成し遂げられているのです。では救われたから、あとは自分の好き勝手に生きるのかと言えば、決してそうではない。主イエス・キリストの十字架によって示された神の愛と、そこで成し遂げられた贖いの恵みを知れば、その恵みをただ甘んじて受けるばかりではなく、その 恵みに応えて生きる者へと私たちは聖霊によって変えられていくのです。父なる神が御子イエス・キリストの十字架によって表して下さった愛が、聖霊によって 私たちの内へともたらされる時、私たちの心はこの神への感謝に溢れます。そして溢れ出た感謝はこのお方への応答へと私たちを促し、感謝と賛美、そして福音 の宣教へと私たちを押し出すのです。

 



日本同盟基督教団 徳丸町キリスト教会
〒175−0083
東京都板橋区徳丸6−24−10
TEL 03−3935−3405
FAX 03−3935−3445

メールでのお問い合わせ
管理人


Copyritht ©The Evangelical Alliance Mission Tokumarucho Christ Church All Rights Reserved.