ハイデルベルク信仰問答による説教その27 2012/08/26
『罪の清めの洗礼』

Iヨハネ1:7

 今晩も、主イエス・キリストが私たちに与えてくださった恵みの礼典としての洗礼について、ハイデルベルク信仰問答が語る言葉を手引きとしながら、御言葉から教えられてまいりたいと思います。

(1)罪の清めの洗礼
 最初に第72問と第73問を読みましょう。「第72問:それでは、外的な水の洗いは、罪の洗い清めそのものなのですか。答:いいえ。ただイエス・キリストの血と聖霊のみが、わたしたちをすべての罪から清めてくださるのです。第73問:それではなぜ、聖霊は洗礼を『新たに造りかえる洗い』とか『罪の洗い清め』と呼んでおられるのですか。答:神は何の理由もなくそう語っておられるのではありません。すなわち、ちょうど体の汚れが水によって除き去られるように、わたしたちの罪がキリストの血と霊とによって除さ去られるということを、この方はわたしたちに教えようとしておられるのです。そればかりか、わたしたちが現実の水で洗われるように、わたしたちの罪から霊的に洗われることもまた現実であるということを、神はこの神聖な保証としるしとを通して、わたしたちに確信させようとしておられるのです」。
 ここでは、「外的な水の洗い」である洗礼が持つ「内的な意味」について説明されます。すでに学んだように、洗礼も主の晩餐も、そこで用いられる水やパン、ぶどう酒は、目に見えない霊的真理の目に見えるしるしであり、天的な事柄の確かさを地上の事柄によって確かにしるしています。ですから洗礼がしるしている一番の意義は、主イエス・キリストご自身による私たちの罪の完全な洗い清めということです。今晩与えられているIヨハネ1章7節の御言葉が次のように語っているとおりです。「しかし、もし神が光の中におられるように、私たちも光の中を歩んでいるなら、私たちは互いに交わりを保ち、御子イエスの血はすべての罪から私たちをきよめます」。まさに洗礼の確かさは、この御子イエス・キリストの一回きりの完全な十字架による贖い、その御血潮による罪の洗いの確かさによっています。そして御子イエス・キリストによる罪の洗いという天的な事柄が、水による洗いという地上的な事柄によって担われているのです。ここに洗礼の一回性の根拠、再洗礼が必要ないことの根拠があります。
 さらにハイデルベルク信仰問答は、この「外的と内的」、「地上的と天的」の関係を「ちょうど〜のように、〜である」という独特の言い回しで表現します。ここには主なる神がご自身の持っておられる真理を私たち人間に理解できるようにと示してくださったへりくだりの態度を示しています。あえて霊的真理を私たちの地上的な事柄によってあらわしていてくださるのです。

(2)幼児の洗礼について
 次に第74問の幼児洗礼についての教えを取り上げておきます。「問:幼児にも洗礼を授けるべきですか。答:そうです。なぜなら、彼らも大人と同様に神の契約とその民に属しており、キリストの血による罪の贖いと信仰を生み出される聖霊とが、大人に劣らず彼らにも確約されているからです。それゆえ、彼らもまた、契約のしるしとしての洗礼を通してキリスト教会に接ぎ木され、未信者の子供たちとは区別されるべきです。そのことは、旧約においては割礼を通してなされましたが、新約では洗礼がそれに代わって制定されているのです」。
 生まれて間もない幼児に洗礼を授けるという習慣は、古くから教会の中で行われてきたものですが、それを聖書的に位置づけて整えたのは宗教改革の教会でした。中世カトリックの時代には、幼児洗礼はそのまま戸籍上の出生届のような意味を持っていましたが、宗教改革の教会はこれを単なる社会的な通過儀礼としてではなく、神の契約に基づく共同体としての教会の基礎に据えたのです。しかし一方で幼児洗礼を認めない教会もあります。宗教改革の時代に起こった「再洗礼派」あるいは「宗教改革急進派」と呼ばれる人々です。この人々は洗礼とはあくまでも個人の信仰の確信に基づく神との契約行為であって、自覚的信仰に至っていない幼児に洗礼を施すことは非聖書的であるとしてこれに反対したのです。今日のバプテスト教会も基本的にこの再洗礼派の流れを汲んでおり、今日でも幼児洗礼を認めていません。私たちの属する同盟教団は、その成り立ちからして特定の今日は的伝統に立つものではありませんので洗礼の理解についてもある多様性がありますが、現実にはTEAM宣教団の信仰がバプテスト派に近いことから、幼児洗礼を行わない教会がほとんどでした。今日では牧師たちの中に、自らの神学的な確信として幼児洗礼を受け入れる者もありますが、その場合でも教団の公同性という見地から、実際にそれを行うことはそれほど容易なことではありません。私自身も幼児洗礼論が相応しいと考えていますが、教団としての一致した理解が明確になるまでは、幼児洗礼の執行は控えたいと思っています。
 その上で、幼児にも洗礼を施すことの意義をハイデルベルク信仰問答に沿って学んでおきましょう。幼児洗礼の意義は信者の子どもの救いを神の契約に基礎付けているということであり、信仰を生み出す聖霊への信頼があるということです。神の救いの契約は、旧約におけるアブラハム契約から一貫して神とご自身の民との間に結ばれたものでした。神がアブラハムを召し出されたのは彼個人ではなく、彼を基とする全イスラエルであったのです。ですからそこには当然、子どもたちも含まれていましたし、彼らはイスラエル共同体の中に生まれたことをもってもはや神の民でした。さらに新約の時代においてさらに重要な意味を持つのは聖霊への信仰です。ある神学者は今日の教会が神を信仰の対象に限定し、信仰を生み出す主体であることを忘れてしまっていると重要な指摘をしています。
 信仰は聖霊が起こしてくださる恵みの賜物であると信じるなら、生まれて間もない乳飲み子であったとしても、神の恵みの契約によって信仰の共同体の中に生まれた子どもが聖霊の恵みの中で洗礼を受け、教会の肢に加えられることは相応しいことと言えるでしょう。もちろんその場合は旧約のイスラエルと同様に、教会と家庭はともに信仰の告白に至らせるための信仰教育を熱心に行わなければならないのは言うまでもないことです。いずれにしても、私たちは今晩、洗礼の恵みが主イエス・キリストの十字架による完全な罪の洗い清めを表すこと、その恵みは信仰者の子どもたち、神の恵みの契約の子どもたちにも与えられていることを覚えて、自らが与えられた洗礼の恵みに感謝し、なお洗礼の恵みにあずかる人々が多く起こされていくようにと、招きの声を挙げ続けてきたいと願います。

 



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