ハイデルベルク信仰問答による説教その25 2012/08/05
『信仰はどこから』

ローマ10:17

 今晩は、私たちに与えられている信仰はどこからもたらされたのか。このことについてハイデルベルク信仰問答のことばに導かれながら、ともに御言葉に聴いていきたいと思います。

(1)信仰は聖霊により、御言葉の説教と聖礼典をとおして
 今日の第25主日からは、主イエス・キリストが救いの恵みを私たちに与えるために教会に託してくださった大切な恵みの手段である「聖礼典」が取り扱われるところです。その最初の問いである第65問では、行いによらず恵みにより、信仰によって義とされた私たちに、その信仰がどのようにどこから来るのか、と問うのです。「問:ただ信仰のみが、わたしたちをキリストとそのすべての恵みにあずからせるのだとすれば、そのような信仰はどこから来るのですか。答:聖霊が、わたしたちの心に聖なる福音の説教を通してそれを起こし、聖礼典の執行を通してそれを確かにしてくださるのです」。
 ここには大切なことが二つ述べられています。第一のことは、信仰とは聖霊が私たちの心に起こしてくださるものだということです。パウロはエペソ書2章8節でこう言いました。「あなたがたは、恵みのゆえに、信仰によって救われたのです。それは自分自身からでたことではなく、神からの賜物です」。宗教改革者たちは、この信仰の消息を「私たちの外」でなされたキリストの贖いの御業は「私たちのため」に与えられ、聖霊によって「私たちの内」に働くと教えたのです。第二のことは、この聖霊の働きは「聖なる福音の説教」を通して現実に働くということです。御言葉の説教をとおして聖霊は私たちのうちに信仰を起こし、聖礼典をとおしてその信仰を確かにしてくださるのです。ここで聖霊は福音の説教を通して信仰を起こされるというこの指摘はきわめて重要です。今晩与えられているローマ書10章17節に「信仰は聞くことから始まり、聞くことは、キリストについてのみことばによるのです」とあります。ここはいつも申し上げることですが「キリストについてのみことば」と新改訳聖書は訳していますが、欄外にあるようにむしろここは直訳的に「キリストのみことば」と言っておきたいところです。キリストのことばが語られ、聞かれるところに信仰がはじまる。これは私たちの信仰の営みの大事な大事なところです。さらにこれもいつも触れることですが、宗教改革者ルターはこの「信仰は聞くことから始まる」をドイツ語に翻訳するにあたり「信仰は説教から」と訳したと言われます。今日の信仰問答も単に「聖書」、「御言葉」と言わず、「福音の説教」と言うところにも教会というものの決定的な位置が示されているのです。私たちは信仰を教会における説教を通して与えられるのです。いわば聖書は教会の書であり、教会において読まれ、語られ、聞かれるものなのです。
 
(2)しるしと封印としての聖礼典
 第65問で聖礼典を「信仰を確かにして下さる」ものと示したのを受けて、第66問ではさらにそれが「目に見える聖なるしるしまた封印」であると説明されます。「問:礼典とは何ですか。答:それは、神によって制定された、目に見える聖なるしるしまた封印であって、神は、その執行を通して、福音の約束をよりよくわたしたちに理解させ、封印なさるのです。その約束とは、十字架上で成就されたキリストの唯一の犠牲のゆえに、神が、恵みによって、罪の赦しと永遠の命とをわたしたちに注いでくださる、ということです」。
 この「しるし」、「封印」という言葉は英語でそれぞれ「サイン」と「シール」と訳される言葉で、聖礼典の意義をよく表しています。そこでは私たちがすでに受けている福音の約束の中身が保証されているのです。すなわち「十字架上で成就されたキリストの唯一の犠牲のゆえに、神が、恵みによって、罪の赦しと永遠の命とを私たちに注いで下さる」という約束が、確かに私たちに受け取られていることの「受け取りサイン」であり、またそのような約束が与えられていることをもってそれが二度と破られることのないように、内容を保証する封印が押されているのです。ここには私たちが救いの確かさをどこに求めるべきかという問題に対しても、その答えを求める道筋が教えられています。私たちは救われてなお、時に信仰の迷いや救いへの疑いが生じることがあります。しかしそのような時に、私たちは自分の救いの確かさを自分自身の心の在り方や信仰の熱心に求めるのではなく、神がイエス・キリストを通して与えて下さった信仰を確証させてくださる聖霊と、その聖霊が示しておられる御言葉の説教に聞き、聖礼典にあずかるという仕方でこれを確かなものとすることが出来るのです。

(3)御言葉と聖礼典が指し示すキリスト
 さらに第67問、68問を読みましょう。「問:それでは、御言葉と礼典というこれら二つのことは、わたしたちの救いの唯一の土台である十字架上のイエス・キリストの犠牲へと、わたしたちの信仰を向けるためにあるのですか。答:そのとおりです。なぜなら、聖霊が福音において教え聖礼典を通して確証しておられることは、わたしたちのために十字架上でなされたキリストの唯一の犠牲に、わたしたちの救い全体がかかっている、ということだからです。問:新約において、キリストはいくつの礼典を制定なさいましたか。答:二つです。聖なる洗礼と聖晩餐です」。
 このように私たちのうちに信仰を起こす御言葉の説教と、福音の約束のしるしまた封印としての聖礼典は、生けるキリストを指し示すものです。これがキリストの御業から切り離されて、その儀式行為自体に救いの力があるかのように考えたカトリックの秘跡理解に対して、宗教改革はその本来の意味を取り戻したのです。第68問でわざわざ新約時代に主イエス・キリストが定められた聖礼典が二つであると確認するのもそのような理由によっています。信仰はどこから来るのか。私たちはこれを私たちの内側に探すのでなく、また外側の様々な儀式に求めるのでもなく、ただ主イエス・キリストの生ける御言葉の説教と、救いを私たちにしるしづけてくださる洗礼の恵み、そしてその恵みを繰り返し確かにしてくださる主の晩餐の恵みにあることを覚えて、ますますキリストとの生ける交わりの中に歩み続けていきたいと願います。

 



日本同盟基督教団 徳丸町キリスト教会
〒175−0083
東京都板橋区徳丸6−24−10
TEL 03−3935−3405
FAX 03−3935−3445

メールでのお問い合わせ
管理人


Copyritht ©The Evangelical Alliance Mission Tokumarucho Christ Church All Rights Reserved.