ハイデルベルク信仰問答による説教その22 2012/07/15
『キリストの似姿に』

Iヨハネ3:2

 今晩は、罪赦された罪人の集まりとしての教会の姿を、信仰問答の言葉に導かれつつ御言葉からご一緒に教えられてまいりたいと思います。

(1)キリストの似姿に
 今晩取り上げるハイデルベルク信仰問答の第22主日、第57問と第58問は使徒信条の「身体のよみがえり、永遠のいのちを信ず」との告白を説き明かしているところです。まず二つの問答を読んでおきましょう。第57問、「問:『身体のよみがえり』は、あなたにどのような慰めを与えますか。答:わたしの魂が、この生涯の後直ちに、頭なるキリストのもとへ迎え入れられる、というだけではなく、やがてわたしのこの体もまた、キリストの御力によって引き起こされ、再びわたしの魂と結び合わされて、キリストの栄光の御体と同じ形に変えられる、ということです」。第58問、「問:『永遠の命』という箇条は、あなたにどのような慰めを与えますか。答:わたしが今、永遠の喜びの始まりを心に感じているように、この生涯の後には、目が見もせず耳が聞きもせず、人の心に思い浮かびもしなかったような完全な祝福を受け、神を永遠にほめたたえるようになる、ということです」。
 これまでにもハイデルベルク信仰問答の一つの特色が「慰めを問う」ところにあったと学んできましたが、ここではその一番の慰めとして、復活と永遠のいのちの希望が取り上げられています。まず身体のよみがえりについて、第57問は二つの点を挙げます。第一に「わたしの魂が、この生涯の後直ちに、頭なるキリストのもとへ迎え入れられること」、第二に「やがてわたしのこの身体もまた、キリストの御力によって引き起こされ、再びわたしの魂と結び合わされて、キリストの栄光の御体と同じ形に変えられる、ということです」。ここで大切なのは「直ちに」と「やがて」という言葉です。私たちの魂は死後「直ちに」頭なるキリストのもとに迎え入れられ、「やがて」の時に身体も復活させられ、魂と結び合わされ、キリストの栄光の身体と同じ形に変えられる。これこそが私たちの救いの完成の姿です。今晩与えられているIヨハネ3章2節にこうある通りです。「愛する者たち。私たちは、今すでに神の子どもです。後の状態はまだ明らかにされていません。しかし、キリストが現れたなら、私たちはキリストに似た者となることがわかっています。なぜならそのとき、私たちはキリストのありのままの姿を見るからです」。

(2)「身体のよみがえり」の慰め
 さらに大切なのはよみがえりが「身体」をともなったものであるという事実です。ここに私たちに与えられている希望と慰めの根拠があるのです。この点について、オランダの神学者ファン・ルーラーの言葉を紹介しておきましょう。「肉体の復活についてのこの条項が持っている大きな価値は、キリスト教的希望は創造された現実の何ものも失わないという点にあります。私たちは、私たちについての思い出が私たちの親族や友人たちのもとに、あるいは神の御許に辛うじて残るということで満足することは出来ません。私たちはまた、私たちが私たちの霊魂や人格存在の不死性あるいは私たちの神関係の不死性の力によって精神的にさらに存続するとか、ましてや私たちが私 たちの子どもの中にさらに生き続けるといったことに満足することは出来ません。イエス・キリストの復活を通して、全体として、人格的に、また私たちの身体をもって、生命の希望のもとに動かされています。それゆえ私たちはあらゆる時代のキリスト者たちとともに、力を込めて肉体の復活を告白するのです。この信仰箇条は、それを可能な限り著しく言い表しています。多くの神学者たちはそれがあまりに物質主義的に響きすぎると思っています。むしろ彼らは死人の復活ないしは人間の復活について好んで語りたいのです。しかしこれは私にはあまりにも繊細すぎるように思われます。というのは、ここでは明らかに被造性としての私たちの身体性に対する完全な然りが言われるべきだからです。しかもそれ以上のことがあります。そうです。その際重要なのはただ単に魂と体だけではありません。そうでなく、私が私である全体性が重要です。私は何でしょうか。私は充満した時間の一部でもあります。私の全生涯の時間とともに、私がここにあったし、また現にある、そのすべてとともに私は起き上がります。しかしまた、それらの中にあったあらゆる堕落から私は解放されます。このことが私たちの復活節の希望をいよいよ大きくし、また理解を越えたものにするのです」。

(3)「永遠のいのち」の慰め
 身体のよみがえりの希望を与えられている私たちには、永遠のいのちのがすでに与えられ、私たちは今すでにこのいのちに生き始めています。第58問で「わたしが今、永遠の喜びの始まりを心に感じているように、この生涯の後には、目が見もせず耳が聞きもせず、人の心に思い浮かびもしなかったような、完全な祝福を受け、神を永遠にほめたたえるようになる、ということです」と教えられているとおりです。ここで大切なことは、第一に「今、永遠の喜びの始まりを心に感じている」ということです。永遠のいのちは、今日の私を生かす力です。この力によって、私たちの日常は様々な苦しみや困難の中にあっても前へと進んでいくことができるのです。私たちは日々の生活の中であれこれと思い煩い悩むものですが、しかし確かなことは、それでも今この私の中に、永遠のいのちが与えられ、私はこのいのちに生かされている。この約束が私たちを励まし、慰め、生かすのです。確かに失敗も多く、思ったような歩みにならず、挫折したり、遠回りを強いられるような歩みであるかも知れない。けれどもその道筋は私たちがよみがえられた御子イエス・キリストに聖霊によって結び合わされ、その結び合いがますます堅く確かにされていく歩みであり、そうやって少しずつキリストに近づけられていく聖化の歩みであり、何よりもその歩みの果てには、私たちがキリストの似姿に変えられる栄化の恵みがあるのです。
 永遠のいのち。それは今すでに与えられており、しかもまたやがて完全とされるいのちです。そのいのちが私たちの内に完全になるとき、それは私たちの思いを遙かに越えた完全な祝福として与えられるのです。永遠に神とともにあること。それが主イエス・キリストが贖いによって獲得し、聖霊によって私たちに分け与えられた完全な祝福なのです。この恵みを今、喜ぶ私たちでありたいと願います。

 



日本同盟基督教団 徳丸町キリスト教会
〒175−0083
東京都板橋区徳丸6−24−10
TEL 03−3935−3405
FAX 03−3935−3445

メールでのお問い合わせ
管理人


Copyritht ©The Evangelical Alliance Mission Tokumarucho Christ Church All Rights Reserved.