ハイデルベルク信仰問答による説教その15  2012/05/06
『誰のための苦しみか』

Iペテロ2:22-24

 今晩は御子イエス・キリストの受難の告白についてのハイデルベルク信仰問答の説き明かしを通して、その十字架の苦しみが誰のためであったのかを、あらためて御言葉から教えられてまいりたいと思います。

(1)キリストの苦しみ
 今日取り上げるハイデルベルク信仰問答の第15主日は、主イエスの苦しみを「ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、十字架につけられ」と言い表した使徒信条の箇条を説き明かすところです。まず第37問を読みます。「問:『苦しみを受け』という言葉によって、あなたは何を理解しますか。答:キリストがその地上での全生涯、とりわけその終わりにおいて、全人類の罪に対する神の御怒りを体と魂に負われた、ということです。それは、この方が唯一のいけにえとして、御自身の苦しみによってわたしたちの体と魂とを永遠の刑罰から解放し、わたしたちのために神の恵みと義と永遠の命とを獲得してくださるためでした」。今日の説教題を「誰のための苦しみか」としましたが、この一つの問答を学ぶだけで十分と言えるほど、ここには御子の苦しみがいったい誰のためであったのかがはっきりと記されています。
 特にここで目を留めておきたいのは、第37問が「キリストがその地上での全生涯、とりわけその終わりにおいて、全人類の罪に対する神の御怒りを体と魂に負われた、ということです」として、御子の苦しみを十字架だけでなく、「その地上での全生涯」としていること、また神の御怒りを「体と魂」とに負ってくださったと語っている点です。すなわちここでは人としてお生まれくださった神の御子イエス・キリストの御生涯が、その始まりから終わりに至るまで苦難の人生であったこと、しかもその苦しみは「体と魂」とにおいて担われたと言われているのです。このように私たちの主イエス・キリストは私たちの苦しみを、痛みを知っていてくださるお方です。私たちのために苦しみを体と魂の全体で担ってくださる主イエスは、私たちの魂とともに体の痛みもいやしてくださるお方です。主イエスの苦しみは私たちが味わう苦しみと変わるところがありません。だからこそ主イエスは私たちの苦しみをも十分に理解し、その苦しみに寄り添ってくださり、そしてその苦しみから私たちを癒し、解き放ってくださるお方なのです。

(2)私たちのための苦しみ
 しかしその上で、なお私たちは問わなければなりません。御子イエス・キリストの一番の苦しみは何であり、そしてそれはいったい誰のためであったのかと。あらためて第37問を見るとこう記されていました。「それは、この方が唯一のいけにえとして、御自身の苦しみによってわたしたちの体と魂とを永遠の刑罰から解放し、わたしたちのために神の恵みと義と永遠の命とを獲得してくださるためでした」。ここに繰り返し語られるように、御子の苦しみはほかならぬ「私たちのためであった」のです。私たちの 「体と魂」を贖い出すために、御子は「体と魂」とにおいて神の怒りを負ってくださいました。それによって私たちは贖われて今ここにあるのです。
 今晩与えられているIペテロ2章22節から24節の御言葉に聞きましょう。「キリストは罪を犯したことがなく、その口に何の偽りも見いだされませんでした。ののしられても、ののしり返さず、苦しめられても、おどすことをせず、正しくさばかれる方にお任せになりました。そして自分から十字架の上で、私たちの罪をその身に負われました。それは、私たちが罪を離れ、義のために生きるためです。キリストの打ち傷のゆえに、あなたがたは、いやされたのです」。神の御子イエス・キリストが味わってくださった真の苦しみ。それは十字架の上で私たちの罪の身代わりとなり、本来なら私たちが負うべき罪とその裁きをその身に背負って、罪なきお方が正しい父なる神の裁きに服してくださったということです。このキリストの打ち傷によって私たちは癒されたのであって、キリストの苦しみは私たちと切っても切り離すことのできないものなのです。

(3)私たちの苦しみ
 そうであればこそ、私たちの生涯においても、キリストのゆえの苦しみということが意味を持つはずです。言うまでもなく主を信じて生きる日々にも困難があります。試練があります。涙する日々があり、眠れない夜があります。しかしそれ らは決して意味なく私たちを苦しめる運命の暴力ではなく、主イエスの歩まれた道を辿る弟子の歩みの証しなのです。ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受けられたお方を我が主と告白する私たちは、それゆえにこそこの主イエスの歩まれた道をともに歩む主の弟子たちです。そして主はその愛する者たちを決して見離さず、見捨てず、私たちの重荷を知り、その重荷をともに担って終わりまで私たちとともに歩んでくださるお方なのです。
 今日の御言葉の前にはまさにそのようなことが語られていました。Iペテロ2章20節、21節。「善を行っていて苦しみを受け、それを耐え忍ぶとしたら、それは、神に喜ばれることです。あなたがたが召されたのは、実にそのためです。キリストも、あなたがたのために苦しみを受け、その足跡に従うようにと、あなたがたに模範を残されました」。キリストの苦しみが私たちのため、いや私のためと知り、信じた者は、それゆえにキリストのための苦しみをも引き受け、そこで十字架を担って生きていく。その途上でこそ、私たちは主のものとされたことの何よりの実感を抱くことができるのではないでしょうか。



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