ハイデルベルク信仰問答による説教その14 2012/04/29
『まことの人、イエス』

ガラテヤ4:4-5

 今晩は、神の御独り子なるイエス・キリストがまことの人となって私たちのもとに来てくださった、この驚くべき出来事の持つ意味について、信仰問答の言葉に導かれながら御言葉に聞いていきたいと思います。

(1)処女マリヤからの誕生の意味
 今日取り上げるハイデルベルク信仰問答の第14主日は、主イエスの母マリヤからの誕生について教えるところです。教理の言葉では神の御子が人となられたことを「受肉」と言い、またマリヤからの出生を主イエスの「処女降誕」と呼びます。まだヨセフと結婚前の処女であったマリヤが通常の生殖手段によらず聖霊によって主イエスを身籠もり、そして主イエスが誕生したという、あのクリスマスの出来事がいかなる意味を持っていたのか。それを次のように問い答えています。第35問。「問:『主は聖霊によりてやどり、処女マリヤより生まれ』とは、どういう意味ですか。答:永遠の神の御子、すなわち、まことの永遠の神でありまたあり続けるお方が、聖霊の働きによって、処女マリヤの肉と血とからまことの人間性をお取りになった、ということです。それは、御自身もまたダビデのまことの子孫となり、罪を別にしてはすべての点で兄弟たちと同じようになるためでした」。
 主イエスのマリヤからの誕生の次第は、長いキリスト教会の歴史の中で様々な議論の対象となって来ました。古くはマリヤを神聖視するローマ・カトリック教会が「マリヤの無原罪懐胎」といってマリヤが罪なき人間であったと主張したり、近代になってからは合理的でないという理由でこの事実そのものが否定されたり、かえって処女からの誕生が生物学的にどのように可能であるかを立証することに腐心したりといった具合です。しかし信仰問答の関心ははっきりしています。それはこの出来事が私たちにとってどのような意味を持っているかを明らかにすることでした。神の御子が聖霊によってマリヤを通してお生まれになった。それはひとえに「御自身もまたダビデのまことの子孫となり、罪を別にしてはすべての点で兄弟たちと同じようになるため」だというのです。この言葉はヘブル書
2章14節と4章15節の御言葉に拠っています。神の御子が人となられたのは「一生涯死につながれて奴隷となっていた人々を解放してくださるため」であり、「主はすべての点で兄弟たちと同じようにならなければなりませんでした。それは民の罪のために、なだめがなされるためなのです」。
 今晩与えられている御言葉はガラテヤ4章4節、5節です。「しかし定めの時が来たので、神はご自分の御子を遣わし、この方を、女から生まれた者、また律法の下にある者となさいました。これは律法の下にある者を贖い出すためで、その結果、私たちが子としての身分を受けるようになるためです」。これは神の御子が人となられたことの意味を考える上で決定的に重要な御言葉ですが、そのポイントは「律法の下にある」ということです。主イエスがマリヤを通してお生まれくださった一番の意味は、「律法の下にある者」となってくださったという事実にあります。それが主イエスが「まことの人」であられることの最も重要な点なのです。なぜならば私たちの罪は神の律法との関係において明らかになるのであって、その罪から私たちを贖い出すことができるのは、私たちと同じように律法の下にありながら、「律法の下にある者を贖い出す」ことのお出来になる唯一のお方、イエス・キリストだけであり、まさにイエス・キリストは、「その結果、私たちが子としての身分を受けるようになるため」に人となってこの地上に来られ、そして十字架において私たちの律法違反の裁きを引き受け、そればかりか私たちの果たし得ない律法の要求をすべて満たしてくださったのです。

(2)処女マリヤからの誕生の益
 それで信仰問答は続く第36問で次のように論じます。「問:キリストの聖なる受肉と誕生によって、あなたはどのような益を受けますか」。この「益」を問うというのはハイデルベルク信仰問答の大変意味深い特色ですが、二千年も前の、キリストの受肉と誕生という不可思議な出来事がなぜ私の益となるのか。その一番肝心なところを信仰問答は見事に言い表しています。「答:この方がわたしたちの仲保者であられ、御自身の無罪性と完全なきよさとによって、罪のうちにはらまれたわたしのその罪を神の御顔の前で覆ってくださる、ということです」。
 先ほどのガラテヤ書4章5節をもう一度お読みします。「これは律法の下にある者を贖い出すためで、その結果、私たちが子としての身分を受けるようになるためです」。本来は「罪のうちにはらまれた」生まれながらにして罪人である私のために、まことの神の御独り子が、罪を別にしてすべての点で私たちと同じ肉をまとい、まことの人間性をおとりくださって、このまことの神にしてまことの人であられる唯一の仲保者イエス・キリストが、私たちのために完全な贖いを成し遂げてくださったので、今や私たちの罪は神の御前で覆われ、その罪はもはや覚えられることなく、数えられることなく、完全な赦しをいただいているのです。これはすでに第18問で次のように教えられていた通りです。「問:それでは、まことの神であると同時にまことのただしい人間でもある、その仲保者とは一体どなたですか。答:私たちの主イエス・キリストです。この方は、完全な贖いと義のために、私たちに与えられているお方なのです」。ここにキリスト教がまさにイエス・キリストそのものであり、主イエスの人格と御業とが切り離すことの出来ないものであることが証しされています。主イエスにおいてはその言葉と業と存在とは一つであり、キリスト教信仰とはこの主イエス・キリストの存在そのものによって成っているのです。それは決して何か抽象的な思弁や論理に置き換えられたり、あるいは感覚や感情に解消されるものではありません。私たちは生ける神の御子、私のためにまことの人となってくださったただ独りの救い主、まことの契約の仲保者なるイエス・キリストを信じ、このお方について行くのです。

 



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