ハイデルベルク信仰問答による説教その12 2012/04/01
『預言者、祭司、王』

ヨハネ1:18

 今晩は、神の御子イエス・キリストを私たちの救い主と信じ、告白する信仰の幸いについて、ハイデルベルク信仰問答に導かれつつ、御言葉を通して教えられてまいりたいと思います。

(1)キリスト、油注がれた方
 今日の第12主日は神の御子が「イエス」という名を持つことの意味を説き明かしたのに続いて、「キリスト」という称号の持つ意味を説いていきます。第31問。「問:なぜこの方は『キリスト』すなわち『油注がれた者』と呼ばれるのですか。答:なぜなら、この方は父なる神から次のように任職され、聖霊によって油注がれたからです。すなわち、わたしたちの最高の預言者また教師として、わたしたちの贖いに関する神の隠された熟慮と御意志とを、余すところなくわたしたちに啓示し、わたしたちの唯一の大祭司として、御自分の体による唯一の犠牲によってわたしたちを購い、御父の御前でわたしたちのために絶えず執り成し、わたしたちの永遠の王として、御自分の言葉と霊とによってわたしたちを治め、獲得なさった贖いのもとにわたしたちを守り保ってくださるのです」。
 「キリスト」という名は旧約聖書の「メシヤ」すなわち「油注がれた者」を指していました。旧約の時代、預言者や祭司、王といった特別な働きに立つ者は、その職に就くにあたって油注ぎの儀式を受けました。しかし真の意味での「油注がれた者」であるのは父なる神様から聖霊の油注ぎを受けられた主イエス・キリストであると言い、このキリストが私たちを贖うために果たしてくださる務めがある。それが「預言者、祭司、王」としてのストの三重の務めです。

(2)メシヤの三重の職務
主イエス・キリストが預言者であられるとは、「私たちの最高の預言者また教師として、私たちの贖いに関する神の隠された熟慮と御意志とを、余すところなく私たちに啓示」されるということです。今晩はヨハネ1章18節の次の御言葉が開かれています。「いまだかつて神を見た者はいない。父のふところにおられるひとり子の神が、神を説き明かされたのである」。まさに御子イエス・キリストは父なる神を私たちに説き明かしてくださるまことの預言者として、今日も私たちに語っていてくださるのです。
 預言者なるイエス・キリストは同時に祭司の職をも担われます。主イエスは「私たちの大祭司として、御自分の体による唯一の犠牲によって私たちを贖い、御父の御前で私たちのために絶えず執り成し」てくださる御方です。ヘブル書9章11節、12節に「キリストは、すでに成就したすばらしい事がらの大祭司として来られ、手で造った物でない、言い替えれば、この造られた物とは違った、さらに偉大な、さらに完全な幕屋を通り、また、やぎと子牛との血によってではなく、ご自分の血によって、ただ一度、まことの聖所にはいり、永遠の贖いを成し遂げられたのです」とあるように、主イエス・キリストは父なる神の贖いの御心を語られただけでなく、この贖いのために御自身が只一度の完全な犠牲となってくださったのです。
 さらに預言者であり祭司である主イエス・キリストは真の王であられます。主イエスは「私たちの永遠の王として、御自分の言葉と霊とによって私たちを治め、獲得なさった贖いのもとに私たちを守り保ってくださるのです」。ここにはキリストが贖いの恵みによってご自身のものとしてくださった民を、御言葉と御霊において治めてくださることが記されます。マタイ福音書28章18節に「わたしには天においても、地においても、いっさいの権威が与えられています」とあり、ピリピ書2章9節に「それゆえ、神は、キリストを高く上げて、すべての名にまさる名をお与えになりました」とあるように、私たちの主イエス、とりわけ復活の主イエス・キリストは天と地のすべての権威を持つ王として今おられ、そして再び来たり給う御方であり、エペソ書1章22節に「また、神は、いっさいのものをキリストの足の下に従わせ、いっさいのものの上に立つかしらであるキリストを、教会にお与えになりました」とあるように、この王なるキリストは御言葉と御霊をもって教会を導き、この世を統べ治めてくださるのです。

(3)メシヤの務めに与る
 さらに続く第32問にはこうあります。「しかし、なぜあなたが『キリスト』者と呼ばれるのですか。答:なぜなら、わたしは信仰によってキリストの一部となり、その油注ぎにあずかっているからです。それは、わたしもまたこの方の御名を告白し、生きた感謝の献げ物として自らをこの方に献げ、この世においては自由な良心をもって罪や悪魔と戦い、ついには全被造物をこの方と共に永遠に支配するためです」。私たちがキリスト者と呼ばれる理由、それを信仰問答は「信仰によってキリストの一部となり、その油注ぎに与っているから」と述べます。「キリストの油注ぎにあずかる」という表現の背後には、メシヤの油注ぎがその務めへの任職であったのと同様に、私たちもまたキリストのからだの一部に加えられることを通して、このキリストの職務にも与る者とされているという主張が込められているのです。つまりキリスト者はキリストの一部とされ、キリストの油注ぎに与ることによって、キリストの職務にも与る者とされているのです。
 ですから、続く部分は次のように始まるのです。「それは、わたしもまた、この方の御名を告白し、生きた感謝の捧げ物として自らをこの方に献げ、この世においては自由な良心をもって罪や悪魔と戦い、ついには全被造物をこの方と共に永遠に支配するためです」。ここにはキリストの預言者、祭司、王としての三重の職務に対応する私たちの務めです。預言者に応答して御名を告白すること、祭司のもとで生きた感謝の捧げ物としての自らを献げること、王の兵士として悪魔と戦い、全被造物を治めることです。キリストの御名を告白すること。それは私たちの存在に関わることです。恐れることなく、恥じることなく、世にあってキリストを告白することなしにキリストに与ることはできません。私たちキリスト者がこの地上において果たす務めは、いずれも油注がれたメシヤなるキリストの三重職から来るものであり、このキリストにあって御霊の油注ぎを受けた私たちが担うようにと託されたものです。「権力によらず、能力によらず、わたしの霊によって」(ゼカリヤ4:6)との主の言葉に信頼し、聖霊の力によってこの務めを果たすお互いでありたいと願います。

 



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