ハイデルベルク信仰問答による説教その11 2012/03/25
『神の御子イエス』

ヘブル7:22〜25

 今晩は、神の御子イエス・キリストを私たちの救い主と信じ、告白する信仰の幸いについて、ハイデルベルク信仰問答に導かれつつ、御言葉を通して教えられてまいりたいと思います。

(1)イエス、すなわち救済者
 今日の第11主日から第19主日までは、使徒信条の第一項である「父なる神」に続いて、中心部分である第二項の「子なる神」、イエス・キリストについての教えが語られます。まず第29問を読みます。「問:なぜ神の御子は『イエス』すなわち『救済者』と呼ばれるのですか。答:それは、この方がわたしたちをわたしたちの罪から救ってくださるからであり、唯一の救いをほかの誰かに求めたり、ましてや見出すことなどできないからです」。ここでのハイデルベルク信仰問答の関心は、単に「神の子」という存在がいかなるものであるかを問うているのではなく、このお方が「私たち」にとっていかなる存在であるかを問うところに表れています。それは聖書そのものの関心といってもよいもので、聖書は一貫して、神の御子イエス・キリストを私たちのための存在として記しているのです。
 そこでまず「イエス」という名前に注目しましょう。「イエス」という名前の由来は、旧約聖書のヘブライ語「イェホシュア」または「ヨシュア」という言葉で、「主(ヤハウェ)は救い」を意味します。「主は救いである」という名を持つ御方、このお方こそがマタイ1章21節で「ご自分の民をその罪から救ってくださる方」なのです。ですからハイデルベルクも次のように答えます。「それは、この方がわたしたちをわたしたちの罪から救ってくださるからであり、唯一の救いをほかの誰かに求めたり、ましてや見出すことなどできないからです」。「神は救いである」という名を持つ御方が、その名の通り、私たちを私たちの罪から救うためにこの世に来てくださり、十字架と復活の御業を通して贖いを成し遂げてくださった。それが私たちのイエス・キリストに対する信仰の中心です。今日開かれているヘブル書7章で次にように言われているとおりです。ヘブル書7章24節、25節。「キリストは永遠に存在されるのであって、変わることのない祭司の務めを持っておられます。したがって、ご自分によって神に近づく人々を、完全に救うことがおできになるのです。キリストはいつも生きていて、彼らのために、とりなしをしておられるからです」。

(2)主イエスによる救い
 続く第30問では、この神の御子イエス・キリスト以外に私たちの救いはないことが強調されています。「問:それでは、自分の幸福や救いを聖人や自分自身やほかのどこかに求めている人々は、唯一の救済者イエスを信じていると言えますか」。ここで言われているのは16世紀当時に人々の中に蔓延っていた「聖人崇拝」や、己の力で救いを得ようとするような自力救済的な信仰を念頭に置いてのことです。当時のローマ・カトリック教会では、大きな功績を積んだ人物を聖人と呼んで崇め、聖人の昇天した日を「聖人の日」として記念し、その遺骨や持ち物を「聖遺物」として崇敬することが広く行われていました。また主イエスの母マリヤを始めとして、教会で多くの功徳を積んだ聖人に祈ることで、その聖人たちの功徳に助けられて自分自身の救いを得ると言うことが行われていました。その背後には、救いは神の恩恵だけでなく人間の側の善行も必要であるとする自力救済的な考えが控えていたのでしょう。しかし信仰問答は、そのようなあやまった信仰を厳しく退けています。「答:いいえ。 たとえ彼らがこの方を誇っていたとしても、その行いにおいて、彼らは唯一の救済者また救い主であられるイエスを否定しているのです。なぜなら、イエスが完全な救い主ではないとするか、そうでなければ、この救い主を真実な信仰をもって受け入れ、自分の救いに必要なことすべてを、この方のうちに持たねばならないか、どちらかだからです」。
 ここでハイデルベルク信仰問答が念頭に置いている人々、彼らも確かに「イエス」の名を証しし、それを崇めていました。しかしそこに人間の側の功績や善行を一粒でも忍び込ませようとするならば、それは救い主イエスを否定していると言うのです。救いは神の恵みの業である。神の御子イエス・キリストはそのことを御自身の名をもって証しし、その身をもって証ししてくださいました。まさしく御子は「ご自分によって神に近づく人々を、完全に救うことがおできになるので」あり、「キリストはいつも生きていて、彼らのために、とりなしをしておられる」お方なのです。

(3)主イエスを神の御子と信じる
 イエス・キリストを神のひとり子と信じ、告白する。これが私たちの信仰の根幹です。このお方こそが私たちのただ一人の救い主であられ、この方以外に救いはないと信じ、告白する。キリストの教会の歴史はこの告白の上に立ってここまで続けられてきたと言っても過言ではありません。
 しかしながら今日、このイエス・キリストに対する告白は脅かされ、揺さぶられています。イエス・キリストは単なる人間、革命家、霊能者の位置におとしめられ、その聖霊による誕生も、その神の御子としての権威ある業も、そして最も重要な贖いの業としての十字架と復活も今日ではそれらは否定され、神話の世界へと追いやられてしまっています。教会が宣べ伝えるキリストも、自分に都合の良い自己実現の手段としての偶像のようなものであったり、福音の教えも人生成功の哲学のようなものにすり替えられてしまっています。しかし私たちが見つめるべきはやはり私たちの救いのために来てくださった救い主、メシヤなるお方、「主は救い」という名を持つお方である神の御子イエス・キリストです。イエスこそが神の御子、救い主と信じ、受け入れ、告白する。ここに教会の拠って立つべき大事な土台があることを今晩あらためて確認し、「イエス・キリスト以外に救いはない」、「イエス・キリストこそが主であられる」。この信仰の告白に生きるものでありたいと願います。

 



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